第10話 求婚
「もしかして君、レゼかい?」
「……ええ」
自分のことを「レゼ」と呼んだことで、レゼフィーヌの疑惑は確信に変わった。
でも彼がこんなところにいるはずない。だって彼は――。
動揺するレゼフィーヌをよそに、銀髪の男性は、嬉しそうに美しいエメラルドの瞳を輝かせた。
「やっぱり。僕のこと覚えてない? シルムだよ。昔よく遊んだと思うけど。驚いたな。まさかかの高名なガヒの森の『いばら姫』が君だとは!」
「シルム」
レゼフィーヌは後ずさりをしながら小さく呟いた。
どうしてこんなところにシルムが?
レゼフィーヌは大きく深呼吸をして息を整えると、キッとシルムを睨んだ。
「シルム、あなたこの国の王太子でしょ? なんでこんなところにいるのよ」
シルムは現在のこの国の国王陛下の長男で第一王子。
将来はこの国の国王になるべき存在だ。それがなぜ護衛もつけずにこんな田舎の森の中にいるのだろうか。
レゼフィーヌの毅然とした態度にもひるむことなく、シルムは優しく微笑んだ。
「僕のことを覚えてくれていたんだ。嬉しいな」
「そ、そりゃあ」
忘れるわけないでしょと言いたいところをレゼフィーヌはぐっとこらえた。
「それよりどうしてシルムはこんなところまで来たの」
レゼフィーヌの問いに、シルムは少し無言になった後、こう切り出した。
「実は、これから国で大規模な魔法学園を作る計画があるんだ」
「魔法学園?」
今、ここセレスト王国は魔力を秘めた鉱石――魔鉱石の採掘で財を成している。
魔鉱石は魔道具を動かすのに使ったり、杖や剣の材料として使ったりする材料として用いられる貴重な鉱石で、その価値は極めて高い。
そのため魔鉱石が大量に取れるセレスト国は周辺の国に比べ豊かな暮らしができている。
しかしその埋蔵量には限りがあっていつかは枯渇してしまうと言われているのだった。
「そこで、大きな魔法学園を作って魔導士や魔女を育成し、魔法をこの国の産業にしようと思っているんだ」
シルムは両手を広げ、子供のように目を輝かせて説明をする。
「魔道士だけでなく魔女も?」
レゼフィーヌは尋ねた。
今まで魔道士を養成する学校はいくつか存在していたが、入れるのは男性のみで魔女を養成する学校は存在していなかった。
「ああ。今までみたいに男性だけでなく女性にも魔法教育を施せばこの国の魔法使いの数は劇的に増えて、魔法学も発展すると思わないかい?」
「なるほど。でもそれと私と何の関係があるの」
「僕に課せられた任務は各地の高名な魔導士や魔女を魔法学園の講師として引き抜いてくることなんだ」
シルムは説明する。
魔法学園の建設はかなり前から進められており、建物自体は間もなくできそうなのだが、問題なのは講師となる人材だ。
男女問わず入学することができる学園を作るということで、シルムは講師の何割かにも女性を登用しようと考えている。
この地に凄腕の魔女がいるという噂は王都にまで届いている。
そこで高名な『いばら姫』を新しく作る魔導学院の研究員として勧誘しようと、シルムはこの地までやってきたのだ。
どうやらシルムはレゼフィーヌを講師として王都に招こうと勧誘しているらしい、そうレゼフィーヌは解釈した。
シルムは興奮気味にレゼフィーヌに語りかける。
「でもまさかそのいばら姫が君だとは思ってもみなかったよ。君は病気でずっと臥せって外に出られないとアリシア侯爵に聞いていたから」
「まあ、お父様ったら、シルムにそんなことを?」
レゼフィーヌが憤慨していると、シルムはじっとレゼフィーヌの顔を見つめた。
最初は「いばら姫」を講師として迎えようとこの地にやって来たシルムだったが、その正体がずっと探していたレゼフィーヌだったとなると話は別だ。
シルムは親同士の話し合いで勝手に婚約者をリリアに変えられたことに納得していなかった。
アリシア侯爵からはレゼフィーヌの居場所を教えてもらえなかったが、レゼフィーヌは病気にかかり田舎で静養していると聞いていたので病気が治ったらいつか迎えにいくつもりだった。
それがいきなり目の前に現れたのだから、話は早い。
さっそくレゼフィーヌにプロポーズし、妃になってもらわなくては。
「シルム、どうしたの?」
レゼフィーヌが戸惑っていると、シルムは小さく唾を飲みこみ、レゼフィーヌの前に膝をついた。
「いばらの森の魔女――いや、レゼ。僕は君をずっと探していたんだ。君を妃に迎えたい。共に城で暮らそう」
シルムはレゼフィーヌに手を伸ばし語りかけた。
「えっ……妃?」
レゼフィーヌはというと、困惑の表情で目の前のシルムを見つめていた。
てっきり魔法学園の講師の話だと思っていたのに、いきなり妃だなんて話が飛躍しすぎてよく分からないし、シルムはリリアと婚約しているはずだ。
それに何より、レゼフィーヌは今の生活に満足していた。
四季折々の美しい風景に、優しいエマ婦人や親切な村の人々。
畑仕事や薬の開発、魔法の研究をする充実した毎日。
新作のハーブティーもハーブを使った化粧品も好評でお金にも食べる物にも困らない。
レゼフィーヌはきつく腕を組んだ。
強い光を放つ蒼の瞳がシルムを見下ろす。
シルムが息をのみながら彼女の顔を見つめていると、レゼフィーヌは冷たく言い放った。
「嫌ですわ」
「はっ?」
シルムは肩透かしを食らったかのようにガクッと体を傾けた。
目をぱちくりさせ、信じられないといった顔でレゼフィーヌの顔を見やる。
「一体どうしてだい、レゼ」
シルムはショックに声を震わせながらも、穏やかに聞き返した。
レゼフィーヌは小さく息を吐いた。
「どうしても何も、私はここの生活が気に入っておりますので」
レゼフィーヌは黒いフードを深々と被り、きっぱりと言い放った。
「だから私のような魔女のことは忘れて、早く王都にお帰りくださいな。ここはあなたのような方が来るような場所ではなくてよ」
レゼフィーヌの深蒼の瞳が、シルムを射抜くように見つめる。
レゼフィーヌは王妃の座には全く興味はなかった。
また堅苦しい城での日々に戻るだなんて考えられなかった。
「それでは、ごきげんよう」
レゼフィーヌは口の中で聞こえるか聞こえないかというほどの声でつぶやき、ローブを翻す。
後にはただ、薔薇の香りだけが遺された。
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