第9話 再会

 翌朝、まだ夜も明けきらぬ早い時間にレゼフィーヌは目を覚ました。


「エマおばさま、おはよう」


 レゼフィーヌは起きてきたばかりのエマ婦人に声をかけた。


「ああ、おはよう。随分早いんだね。もう少しゆっくり寝ていても良いんだよ」


 エマ婦人は不思議そうな顔でレゼフィーヌの顔を見つめた。


 今日の朝食当番は自分なので、レゼフィーヌは早く起きる必要はないはずだ。


「ええ。でもなんだかあまり眠れなくて」


「どうしたの。何か心配事でもあるのかい」


 エマ婦人が竈に火をつけ、お湯を沸かしながら尋ねてくる。


「いえ、そういうわけではないのだけれど」


 レゼフィーヌの頭には、昨日ユジに言われた『貴族の二人組』のことが妙に引っかかっていた。


 魔女の勘とでも言うのだろうか。妙な胸騒ぎがして止まらなかった。

 

「とりあえず、これでも飲んで落ち着きな」


 エマ婦人がレゼフィーヌのカップにハーブティーを注ぐ。


 部屋の中がたちまち芳醇な薔薇の香りに包まれた。


「ありがとう。エマおばさま


 これは薔薇茶だろうか。


 レゼフィーヌは白いティーカップに注がれたお茶を見た。


 赤く透き通ったお茶からは、湯気とともに気品ある薔薇の香りが漂ってくる。


 いばら城の薔薇茶は、赤い薔薇を蕾のまま丁寧に摘み取って乾燥させた特注品だ。


 薔薇の香りに癒されリラックスさせる効果のほかに、美肌や若返りの効果もあるので、王都の貴婦人たちにも口コミで人気が広がっている。


 薔薇茶だけではない。レゼフィーヌが特別に調合した保湿油や化粧水、石鹸も「若さを保つ魔女の妙薬」として貴婦人たちに大人気だ。


 だからきっと、レゼフィーヌのことを探しているという貴族もハーブティーか化粧品がらみの客に違いない。


 レゼフィーヌはそう考え、自分を納得させることにした。


「どうしたんだい、さっきから浮かない顔をして。お茶が冷めてしまうよ」


 エマ婦人の言葉に、レゼフィーヌはハッを気を取り戻した。


「え、ええ。ごめんなさい、ぼんやりしていたわ」


 レゼフィーヌは、そっとハーブティーのカップを手に取り、窓の外に広がる景色を眺めながら口をつけた。


 カップから立ち上る湯気と、薔薇の香りが鼻腔を満たす。


 窓の外にはレゼフィーヌが手入れを欠かさない薔薇園があった。


 薔薇の見ごろは初夏だけれど、今の時期にも四季咲きや秋咲きの薔薇がぽつぽつと花をつけている。


 庭に咲く美しい薔薇に見惚れているうちに、レゼフィーヌの脳裏にはふと昔の出来事が蘇ってきた。


 ――そういえば昔、私に向かって『薔薇の妖精みたい』と言った男の子がいたわね。


 頭の中に、銀髪で緑の目の少年の笑顔が浮かんでくる。


 レゼフィーヌが森に追放されてから七年。


 王宮からの便りもしばらく前に途絶え、お城の様子は分からないけれど、レゼフィーヌが追放された後はリリアがシルムの婚約者になったはずだ。


 今年でリリアは十六歳で、シルムは十八歳。


 そろそろ結婚には申し分のない年ごろのはずだ。二人はもう式を挙げたのだろうか。



 朝食を食べ終わると、レゼフィーヌは財布と買い物袋を持ち、外に出た。


「行ってきます」


 小さい頃は大変だった山道も今ではすっかり慣れ、自分の家の庭も同然。


 レゼフィーヌは山道を軽い足取りで歩き、ガヒの村に到着した。


「どれにしようかしら」


 レゼフィーヌがパン屋さんで商品を選んでいると、後ろから声をかけられる。


「よう、レゼ。買い物か?」


 振り返ると、ユジが手を上げてこちらにやって来るところだった。


「ええ、パンを買いに。ユジは?」


「八百屋のばあさんに薬を届けに行ったとこ。これはそのお礼」


 ユジが茶色い籠を見せる。その中には、お礼に貰った林檎や野菜がたっぷりと入っていた。


「へえ、良いわね」


 レゼフィーヌが籠に入った林檎を眺めていると、不意にユジが口を開いた。


「そういえば、例の貴族、まだこの村にいるってよ」


 レゼフィーヌの心臓が大きな音を立てる。


「そうなの」


 レゼフィーヌは平静を装って返事をしたのだが動揺が顔に出ていたのだろう。


 ユジが心配そうにレゼフィーヌの顔を覗きこんでくる。


「大丈夫か? 何か手伝うことがあれば俺に言えよ」


「ええ、ありがとう」


 レゼフィーヌが微笑む。


 ユジは少し頬を赤らめると、下を向きぽりぽりと頬をかきながらこう切り出した。


「ところでさ、今度秋祭りがあるだろ? その時のダンスの相手なんだけど――」


 ユジとしては勇気を出して思い切って誘ってみたのだけれど、あいにくレゼフィーヌはそれどころではない。


「ごめんなさい。今日は早く帰らなくちゃ。午後から秋植えの花の種を蒔く予定なの」


 レゼフィーヌはユジに別れを告げると、足早に店を出た。


 いつものように人気のない暗い獣の道を歩き、家路を急ぐ。


 異変に気付いたのは、いばらの森に入ってすぐだった。


 この感じは――間違いない。


 誰かにつけられている。


 背中にほんの少しだけど視線を感じたレゼフィーヌは、相手に悟られないように素早く口の中で呪文スペルを唱え、気配の主を確認した。


 体格の良い男が一人、こちらをうかがっているのが分かった。


 相手は軍人だろうか。それとも騎士かしら。


 上手いこと気配を殺してはいるけれど、探知魔法に抵抗する結界は張っていない。


 魔法に対する知識はなさそうだから魔導士ではないわね。


 レゼフィーヌは考えこむ。


 とすると、ユジがパン屋で言っていた貴族たちだろうか。


 ユジの話では相手は二人組だったはずだけど――。


 まあ、いいわ。相手が一人だろうと二人だろうと関係ない。


 レゼフィーヌはくるりと振り返ると、冷静な口調で言った。


「誰? 後をつけているのは分かっていてよ」


 レゼフィーヌが鋭い視線で睨みつけると、がさりと草陰が揺れた。


 ゆっくりとした足取りで出てきたのは、銀髪に緑の瞳の背の高い美丈夫だった。


「やあ」


 彼の顔を見た瞬間、レゼフィーヌの胸がドクリと大きな音を立てる。


 この男性の顔にはどこかで見覚えがあった。


 レゼフィーヌがじっと見つめていると、銀髪の男性が口を開いた。


「もしかして君……レゼかい?」


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