第二章 追放の森のいばら姫

第6話 新天地

「お嬢様、起きてください。ガヒの村に着きましたよ」


 御者の声に、レゼフィーヌは目を覚まし、重たいまぶたを持ち上げた。


「んん、もう着いたの? 早いわね」


 レゼフィーヌはむくりと起き上がり、眠あ目をこすりながら馬車を降りる。


 ここはどうやら小さい村のようだ。


 辺りを見回すと一面の麦畑。


 まだ色づく前の若い麦の穂が海のように広がり、風が吹くと時折波のように揺れている。


 どこまでも高く青い空に、ゆっくりと流れる白い雲。


 遠くでは農夫が腰をかがめて作業をしている姿が小さく見え、牛や馬の鳴き声がのどかに響いてくる。


「わあっ、なんて美しいのかしら」


 レゼフィーヌが感激していると、御者が困惑したように首を傾げた。


「そうですか? どこにでもある、ごく普通の田舎ですが」


「これが普通なの? 山も麦畑もこの広い空も、みんな美しくて絵画の中の世界みたいだわ。素敵!」


 レゼフィーヌは馬車を下りると、一回転して見慣れぬ景色の空気を吸い込んだ。


「なんてことなの。空気が美味しいわ」


 狭いお城やごみごみした王都と空気が全然違う。


 川のせせらぎも小鳥の鳴き声も、何もかもが美しく輝いて見えた。


 レゼフィーヌが田舎の景色に見惚れていると、御者の男性が続ける。


「それでなんですが、馬車ではここまでしか進めないので、ここから先は申し訳ないですが歩いて行ってもらいます」


「えっ?」


 レゼフィーヌはまじまじと御者さんの顔を見た。


 どうやら話を聞くに、レゼフィーヌの母親の遠縁にあたるエマ婦人は、ここガヒの村のそのまた奥にある『いばら森』という森の奥深くに住んでいるらしい。


 しかも 馬車では道の整備されていない森の奥までは進めないので、ここから自力で地図を見ながら家を目指すしかないという。


 レゼフィーヌは馬車が王都に戻っていくのを見送ると、渡された地図をじっと見つめた。


 だけれども地図の読み方なんて習ったことないし、全然分からない。こんな時は――。


「とりあえずエマ婦人のことを知っている人がいないか聞いてみましょう」


 レゼフィーヌはすくっと立ち上がると、とりあえず一番近くにあった薬屋さんに入ってみることにした。


「こんにちはー」


 ガラガラと引き戸を開けると、中には所狭しと薬瓶が並べられていた。


 ハーブの入り混じったような独特の香りが鼻腔をくすぐる。


「いらっしゃい」


 奥から出てきたのは、人の好さそうな恰幅の良い中年女性だった。


「あの、エマ婦人っていう人の家に行きたいんですけど。知りませんか?」


「エマ? はてねえ」


 首をひねる薬屋のおばさん。


 レゼフィーヌはさらに続けた。


「森の奥に一人でお屋敷に住んでる女性らしいんですけど」


「うーん、私にはちょっと……あっ、ユジ、あんた知ってるかい?」


 おばさんがちょうど店の外から帰ってきた茶色っぽい髪の男の子に声をかける。


「なんだよ、母ちゃん」


 ユジと呼ばれた少年が店の中に入って来る。


 年はレゼフィーヌより二つか三つほど上だろうか。


 よく日焼けした肌に茶色いツンツンした短い髪。良く動く茶色い瞳から活発な印象を受ける。


「なんか、この子エマ婦人っていう人の家に行きたいんだって」


「エマ? さあ、知らね」


「なんでも森の奥のお屋敷に住んでる人らしいよ」


「森の奥ぅ?」


 初めは戸惑っていたユジだったが、急に何かを思い出したような顔になった。


「母ちゃん、それっていばらの森に住む薔薇魔女のことじゃねーか?」


 いばらの森の薔薇魔女?


 レゼフィーヌは地図を再び見た。


 確かに御者さんも『いばら森』と言っていたし、侯爵夫人も高名な魔女だと言っていた。ということは――。


「はい、たぶんそうだと思います」


 たぶん――いや、絶対にそうだ。


 レゼフィーヌは確信した。


「それなら、うちのユジに家を案内させるよ。この子なら、しょっちゅう魔女の家に行ってるからね」


 おばさんはユジの腕をぐいと引っ張った。


「は? なんで俺が」


 不満そうな顔のユジに、おばさんは怖い顔で詰め寄った。


「何でじゃないよ。こんな小さい子に森を独り歩きさせる気かい」


 おばさんに説得され、ユジは渋々頷いた。


「うーん、まあ、いいけどよ。でもあんた、この辺りで見ない顔だけど何で魔女なんかに用があるんだ?」


 ギクリ。レゼフィーヌの心臓が鳴る。


「え……ええっと……その、実は私の両親が亡くなって身寄りがないので、遠縁であるエマ婦人に引き取られることになって」


 レゼフィーヌはとっさに悲しそうな顔を作り、ヨヨヨと涙をぬぐうふりをして噓をついた。


 もし侯爵令嬢だなんてバレたら大変なことになる。絶対にばれるわけにはいかない。


「へえ、そうだったのか」

「そりゃ、大変だったね」


 ユジとおばさんはその大袈裟な演技を疑いもせず、同情したような瞳でレゼフィーヌを見つめた。


「でも安心しな。東の森の魔女は変わり者だけど悪い人じゃないから」


 おばさんの言葉に、レゼフィーヌはほっと胸を撫でおろす。


 良かった。どうなるかと思ったけど、これでエマ婦人の家にたどり着けそう。


 二人は荷物を背負い、いばら森へと出発した。


 村から少し歩くと、まるで獣道みたいな暗い細道に入る。


 二人で木の根っこが張り出したところを慎重に飛び越え、苔で湿ってぬかるんだ道や今にも崩れそうな橋のかかった沢を進む。


 コウモリの住むトンネルや蜘蛛の巣のかかった狭い道をくぐり、ようやくユジとレゼフィーヌはいばら森の薔薇魔女――エマ婦人の家にたどり着いた。


「ついたぞ、ここだ」


 ユジが足を止める。


「ここがエマ婦人の家?」


 レゼフィーヌは目の前の灰色の城をじっと見つめた。


 石でできた灰色の壁に、ねじ曲がって尖った屋根。


 壁にはツタが絡まっており、蜘蛛の巣も張っている。


 それに何より、城の周りをぐるりと鉄格子のようにいばらが這っているのが不気味だ。


「怖いか?」


 ユジが振り向いてレゼフィーヌに聞いてくる。


「ううん、全っ然。むしろすごく素敵だわ」


 レゼフィーヌは大きな声で答えた。


 なんて素敵なお城なの。


 なんだかいかにも魔女が住んでいそうじゃないの!


「そ、そうか」


 なんだか変わった子だな、とユジは苦笑すると、コホンと咳ばらいをして城に向かって呼びかけた。


「おーい、薔薇魔女、いるか? ユジだよ」


「こんにちは、魔女さん。いますか?」


 レゼフィーヌもここぞとばかりに大声を張り上げた。

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