白昼夢

第37話





それは、白昼夢のような日々だった。







「おかえりなさい」


「ああ、ただいま」


「ご飯にしますか、それともお風呂にしますか?」


「なら、まずはご飯を頂こうかな」


「はい。すぐに準備します」




穏やかに過ぎていく時間。







「今日は肉じゃがか〜。楽しみだ」




何かに感情を揺さぶられることも、自分を見失いそうになることもない。







「今日も美味かった。いつもありがとうな、星宮」




私は今、きっと幸せなんだ。



銀先生に頭を撫でながら、そう自分に言い聞かせた。






銀先生のマンションに来て、もう2週間が経った。



遥か上に経つ高層マンション。



先生に連れて来られた時、違和感を感じた。



というのも、人が暮らしているというにはあまりにも生活感がなかったから。



そして、悟ってしまった。



ここが、本当は先生が暮らしている家ではないことを。



私のために一緒に暮らしてくれているのだと。



先生には本当に申し訳なくて、何かお返しをしないと気が済まないと言うと、それなら家事全般を引き受けて欲しいと頼まれた。



恩を返すには足りなすぎる。



それでも、少しでも役に立てるならと引き受けることにしたのだ。



先生は私の作る料理をいつも美味しいと言ってくれて、掃除や洗濯などをするとありがとう言ってくれる。



誰かに感謝されるというのは初めてで、気恥ずかしくもあるけれどそれ以上に嬉しかった。



こんな日々が続けばいい。



ここでなら私は、傷つくことも、捨てられることを恐れることもないから。



きっと、これで良いんだ。



ここにいることが、私にとって良いことだ。



だからずっと、このままーーこの場所で。











「あら、帰ってきてたの?」


「ええ」


「まさか、戻ってくるとはね。何かに追われるように店を辞めて、この街から出て行ったのに」


「店に、忘れ物があったの」


「なら、またすぐに出て行くの?」


「なんでよ」


「‥‥え?」


「なんで私が、そんな逃げるような真似をしないといけないの」


「‥‥」


「私が一体何をしたっていうのよ。それなのに、どいつもこいつも私を悪者にしやがって!!」


「‥‥」


「許せない。許せないのよ、あいつが、あいつの存在が私を惨めにする」


「‥‥」


「存在自体が害悪だって言うのに、私の人生を台無しにしておいて、あいつだけ幸せになるなんておかしいでしょ?不条理でしょ?」


「‥‥」


「こんなの不公平じゃない!あんな醜穢な存在、絶望を味わいながら死ぬのが定めなのよ。そして、生まれたことを呪えばいい」


「‥‥」


「そうよ。そうに違いないわ。ははっ、あはははははははは!!!」


「‥‥狂ってるわ、あなたは」









「星宮って、料理できたんだな」


「できるってほどではないですよ、普通です」


「そうか?俺は美味しいと思うぞ」




3回目のお替わりとなるカレーを食べながら、「何杯食べても美味いな」と感心するように頷いた。






「弁当とか持ってきてるのを見たことがなかったから、てっきり料理はしない主義だと」


「作らなかったというよりも、作る余裕がなかったんです」




いつも早朝まで働いていたから、家に帰ると気を失ったように寝ていたものだ。






「でも、いいですね。自分のために作る料理は面倒でしかなかったのに、誰かに美味しいと言ってもらえると、作ることが楽しくなります」


「俺は幸せ者だな。星宮の手料理を独り占めできるなんて」


「幸せ者って、大袈裟ですよ」


「そんなことはない。俺にとっては特別なことだから」






美味しそうにカレーを食べる先生の姿を見ながら、私は違う誰かの姿を思い浮かべていた。



誰かとご飯を食べることも、手料理を食べてもらうことも初めてのはずなのに、どうもそんなふうには感じられない。











ーーああ、そうか。



そうだった。










『美味かった』




作り置きしていたカレーを黙々と全て平らげると、ぶっきら棒にそう言った彼がいたんだった。



そんなことはすっかり忘れていたのに、どうして今になって思い出したのだろう。



最近はこういうことが多い。



こんなどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。



今更思い出したところで、無意味でしかないのにーー。

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