第25話





ーーああ、まただ。



また、同じ夢だ。




目が覚める頃には忘れているその夢は、夢というには生々しく、現実というにはあまりに不確かだ。



夢の中でだけで継続する記憶から、その光景が次第に鮮明になっていくのを感じる。




知ってはいけない。


見てはいけない。


聞いてはいけない。







〝思い出してはいけない〟




そう、私の中の何かが強く訴えかけている。




そして、今日もまた大量の汗をかいて飛び起きてしまった。



最近はずっとこの調子だ。



内容が分からなくても、恐怖心だけは色濃く残り、繰り返される度に寝ることすら怖くなってしまった。



‥‥どうしてだろう。



以前もこうして悪夢に魘されることは珍しくなかったけど、もう随分と見ていなかった。



それなのに、どうして今になって再び見始めるようになったのか。



その理由が、どれだけ考えても思い浮かばなかった。








酷い頭痛がする。



頭が割れるように痛くて、呻き声をもらす。



治まるのをじっと待つが、いつまで経っても痛みが和らぐことがなく、悶えるように寝返りを打ったところでベッドにしては範囲が狭すぎるのに違和感を覚えた。



頭を押さえながら目を開けると、そこは銀先生の研究室のソファーの上だった。



どうしてここに?



痛みに耐えながら思考を巡らせると、講義の途中から記憶がプツンと途切れていることに気が付いた。



体には無名の上着が掛けられている。



‥‥そうか、また倒れてしまったのか。





【外にいます】



机の上に置いてあったメモ、その字は他ならぬ無名のものだ。



どうして入って来ないのかと疑問はあったが、残念ながら今は立ち上がって外に出るだけの気力もない。



時間を確認するために携帯を見る。



どうやら、それほど長く寝ていたわけではないみたいだ。



横になったまま、時雨に与えられた携帯を意味もなく弄る。



電話帳には時雨と無名の番号だけが記載されている。



何をどうしたのかは知らないが、この携帯は電話もメールもこの2人にしかできない仕様になっているのだ。



それ以外は問題なく使えるし、最新式のスマホだから便利なんだろうが、使い方がよく分からないし、これなら前の二つ折りの方が使いやすかった。



私物は全て処分か没収かされているから、私の元の携帯が今どうなっているかは知らない。



まあ、アルバイト先しか登録されていない携帯に特に思入れないてないけれ ど。







【一之瀬時雨】



そもそも、この電話帳を登録したのは私じゃない。



それどころが、時雨から電話が掛かってきたことも、かといって私からしたこともない。



使うとしても精々天気を確認するか無名からの迎えの電話がくるくらいで、正直持っている意味があるのかも微妙だ。



無意識に時雨の電話番号を眺めていた私は、そろそろ無名に声を掛けようと携帯を閉じたつもりだったのだがーー。



操作を誤って、あろうかそのまま電話を掛けてしまった。



さっと血の気が引いて、慌てて通話を切ろうとするも遅くて。












『どうした』




案の定、3コールと待たずに繋がると、1週間しか経っていないのに、やけに懐かしく感じる時雨の声が聞こえた。




『小夜?』




思わず無言になると、時雨が怪訝そうに私の名前を呼んだ。







「あ、えっと‥‥」


『ああ』


「あの‥‥」




〝間違えて掛けたの〟とか〝手が滑って〟とか、頭の中では思い浮かぶのに上手く言葉にすることができない。



何を言ったらいいのか分からず、かといって切ることもできずに携帯を握り締めたまま黙り込んでしまう。







「何をしてた」


『え?』


「今」



しかし、時雨はそんな私に怒る様子はない。







「寝てた」


『講義中にか』


「‥‥倒れたの」


『寝てないのか。ーーいや、眠れないというべきか』


「‥‥‥」


『飯は』


「‥‥‥」




図星を突かれてまた黙ると、電話越しに溜息を吐くのが聞こえた。








『どこにいる』


「研究室」


『誰の』


「銀先生」


『あ?』




突然不機嫌になった時雨。



さっきまで普通だったのに急にどうしたんだろう。






『誰がいる』


「え?」


『そこに誰がいる』


「私だけだけど」


『あ?』




いや、何に対する『あ?』なの?






『無名は』


「外にいる」


『ならいい』




いやいや、こっちは質問の意図が分からずに困惑しているのに勝手に納得しないでほしい。









『来週には帰る』


「‥‥本当?」


『ああ。だから、それまで大人しくしてろ』




子供じゃあるまいし‥‥。



でも、そうか。来週には帰ってくるのか。



前はずっと帰って来なくていいとすら思ってたのに、今は寧ろーー。








『何があっても無名の側を離れるなよ』


「どうして?」


『いいから、黙って聞け』


「‥‥分かった」




電話の向こうがやけに騒がしい。



時折電話越しに何かを伝えてくる人達に返答する時雨の様子から、本来なら私と会話しているだけの余裕はないようだ。



そう気付いていながらも、電話を切る気にはならない。寧ろ、いつ切られるかとドキドキしていたくらいだ。




『何かあったら無名を頼れ』


「‥‥うん」


『どんな些細なことでもちゃんと言えよ』


「‥‥うん」


『もう切るぞ』


「あのっ」


『何だ』




反射的に引き止めようと声を出すも、続ける言葉はなかった。







「‥‥ごめん、何でもない」


『小夜』


「‥‥うん」


『なるべく早く戻る』




そう言い残すと、今度こそ通話は切れてしまった。







携帯を握ったまま横になる。



ただの機械なのに、そうしていると安心して眠気がやってきた。



思い出すのは、私の名前を呼ぶ時雨の声だ。



時雨のことは嫌いだけど、その声だけは嫌いじゃない。









早く、帰ってこればいいのにーー。



心地の良い眠りへと誘われながら、温かい何かに包まれるようにして意識を手放した。







大事そうに携帯を握り締めたまま、穏やかな表情で眠る小夜さん。



その姿を見ると、自然と頬が緩むのが自分でも分かった。



ここがあの男の研究室だというのは気に入らないが、こうして眠れたのなら良しとしよう。



極力ここには入りたくはなかったが、あの男が帰ってくる前には連れて帰らなくてはならない。



‥‥でも、もう少しだけこのままで。



起こす必要もないが、移動する際に起きてしまうかもしれない。



ソファーの足元に腰掛けながら、青白い顔にかかった髪をはらう。










「おやすみなさい、小夜さん」



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