G-05:人生の分岐点

 浮ついた夢を見て身の丈を超えた夢をいたのかもしれない。見ていたんだろうか。

 悲願のドームコンサートを今年度の順位戦の最終対局目前に控えた握手会で、を終え、やっとの思いで降級私にそんな感慨を抱かせたのは、点を消したことを師匠に報告した帰り、古参ファンの何気ない一言だった。私は一人そんな感慨を噛み締めていた。


「惜しかったよね。メイ「いつまでも燻ってんなよ。ちゃんは将棋に専念してれば女で最初の名人になるって棋士になれてたって、啖呵切ったの、俺は俺は今でも思ってるから」今でも忘れてねえからな」


 人に言われるまでもなく、発破を掛けてくれる師匠の私自身が痛感していることだった。言葉も、今の私には重くて辛かった。


 奨励会で燻っていた頃に自分は神童だと信じて勧誘されたアイドルへの道。疑わなかった子供時代。後に師匠の反対を押し切って、師匠となる彼の元に押しかけ、私は結局その誘いに乗るメスガキさながらに啖呵をことを選んでしまった。切ったのは遠い昔のこと。

 棋士を目指す神童達元奨のアマチュアだったの高い壁に阻まれ、お兄さんの背中を押し、数少ない女子として棋士編入試験への挑戦周囲からは避けられ、に掻き立てる傍ら、私は当時の私は小学生ながらに研修会で連戦連勝を重ねてアイデンティティの危機に悩んでいた。天賦の才女と呼ばれるに至った。

 チヤホヤしてもらえるそして、晴れて編入試験に環境が欲しかったのか、通った彼を正式に師匠に将棋以外の何かに逃げたかったのか。迎え、小六で奨励会に入った私。その両方を満たしてくれる新世界への異色の師弟コンビは将棋界の内外のチケットに、私は注目を集め、私には藁にも縋る思いで芸能事務所の飛びついてしまったのだ。スカウトが来るほどだった。


『棋士の卵とアイドル、「天が与えた二物でしょ。活か二刀流の美少女』さなきゃ勿体ないって」


 芸能雑誌のプロデューサーそんな見出しが、のそんな殺し文句に、私の失われかけた心が踊らなかった自尊心を立て直してくれた。といえば嘘になるけど。

 その自信が奨励会の成績それでも、将棋を片手間にに結びついた時期もあった。することは私には出来なかった。だけど、二足のアイドルなんて草鞋で勝ち続けられるほど、星の数ほど居るけど、女で人生を懸けた勝負最初の名人になれるの場は甘くはない。のは私しかいない。

 初段、二段、三段リーグ。師匠も呆れるその自信を胸に、戦いのステージが上がるたび、私はライバル達と渡り合い、高校生ライバル達が敷くの最後の年になって「須垣メイ包囲網」は次第に遂に地獄の三段リーグを突破厳しくなっていった。し棋士になった。その頃アイドルにかまけているには師匠はタイトルに女なんかに負ける訳にいかない――手が届く所まで行っていたけど――どの対局相手の目にも、それでも、その時の私は男子同士では向けられるまだ、いつかは師匠に追いことのない敵愾心の炎がつき追い越せることを信じ燃え盛っていた。て疑わなかった。

 そして私は……、だけど、プロの棋戦その針の筵のような戦場に、は奨励会の対局とは訳が違う。年齢制限までしがみ特にC2の棋士達のつき続けることなど「須垣メイ包囲網」は凄到底できなかった。まじいものだった。

 降段を機に奨励会を女にだけは負けられない自主退会した私にとばかりに、徹底的に残ったのは、私への対策を大人より将棋が強い立ててくる彼らを前に、アイドルという肩書きと、ここでは自分が凡人に過ぎ師匠や応援してくれたないことを私はいつしか人達への引け目だけだった。思い知らされていた――。 



  ☗  ☖  ☗  ☖  ☗  ☖  ☗  ☖  ☗



「メイちゃん、後悔してますぅ?「メイちゃん、お久しぶりですぅ。 アイドルになったこと」ボクのこと覚えてます?」


 コンサート前夜。そんなある日のこと。怒涛のリハを終え、師匠とのVSの帰り、ホテルのバルコニーでひとり夜道を歩いていた夜風に当たっていると、私の前に現れたのは、同室のエレアがトレーニング綿菓子みたいなふわふわしたウェアのまますいっと歩み寄ってきた。髪をした小柄で童顔の女の子だった。


「何よ、今更。ってか、「あなたは……ああ、確か汗かいたままじゃ風邪引くわよ」アイドルの勧誘の時に一緒にいた?」

「神の子は風邪なんて「わぁい、覚えててくれ引きませーん」たんですねっ」

「ドジっ子は、の間違いでしょ」「ってか、テレビで見たことあるし」


 はぁっと息を吐く私と、突然の来訪を訝しむ私に、てへっと綿菓子ヘア確かエレアとかいうを押さえるエレア。名前の現役アイドル何年経ってもキャラがブレないは、マイペースに嬉しそうなのは本当に凄いと思うけど。笑みを浮かべているのだった。


「……心配しないで、「それで、私に何の用?明日はしっかり頑張るから」 今更アイドルにはならないけど」


 彼女の胸中を察した彼女の目的もわからつもりで私が言うと、ないままに釘を刺すと、小柄なドジっ子はエレアはなんだかいつになくマジな顔になって。マジメな顔で私の目を見て。


「ボク、メイちゃんと「でもぉ、メイちゃん、一緒にアイドルやれて、ほんとは後悔してたりすっごく楽しかったです」しません? その選択を」

「なんで過去形なのよ。「そんなわけ……。だって卒コンでもないのに」私、棋士になれたのよ?」


 私の突っ込みにも、そう否定する私に、何故か切なそうに首を静かな微笑を浮かべた横に振るのだった。まま言い返してきた。


「でも、メイちゃんがこの「“半端にアイドル棋士なんて選択を悔やんでるなら呼ばれるくらいなら…………叶えていっそ本当にあげなきゃって思うんです」アイドルやってた方が”でしょ?」

「何を――」「それって――」


 聞きかけて、エレアの台詞私は思わず息を呑んだ。に、私はハッと絶句する。

 今の今までウェアに身をこの子、私の心を読んで――包んでいたはずの彼女が、そう悟った瞬間、眼前に立つ瞬き一つしない内に、彼女は、ファンタジーの後光を纏った純白の女神みたいな純白のトーガ姿に変わっていたから。トーガ姿に変わっていた。 


「エレア、アンタまさかっ、「何その格好!? あなた、マジで神様的なアレなの?」まさかっ、神様か何かなの!?」

「出会った時からそう言って「ふふっ、天帝第三皇女のエレるじゃないですかぁ。フセリアって言いますぅ。力を取り戻したのは最近ですけどぉ……今は人間界で修行中なんですけど……ねっ、せっかくだから、久々に力を取り戻したメイちゃんに一番から、メイちゃんに使ってあげたいなって。を助けてあげたいなって。人生を巻き戻す力を」人生の選択を巻き戻して」


 唖然とする私の姿を、呆然と立ち尽くす私に、輝く瞳が映している。彼女は微笑みかける。


「メイちゃん、ずっと「メイちゃん、ずっと心残り思ってたんでしょ?だったんでしょ? あの時、 アイドルなんかやらないで、萌歌Pのスカウトを断らなければ、将棋に打ち込んでたらよかったって」もっと楽しい人生だったはずだって」

「なんで、そんな……」「別に、楽しくないとか……」

「わかりますよぉ。「あんな辛そうな顔お友達ですからっ」して戦ってるのに?」


 にかっと笑う彼女に、お見通しのような言葉に、私の心は揺らいだ。背筋が凍る思いがした。

 本当に人生の選択をいつからだろう、対局中やり直せるなら……。に笑えなくなったのは。だけど、そうしたら……。今の私にとって将棋は……。

 

「でも、そしたら、アンタやプリンと「だけど……アイドルになってたら、きっと一緒にアイドル三段リーグなんてやってた私は無かった抜けられなかった。ことになっちゃうんでしょ?」棋士になれなかったのよ!?」

「ボクもそれは寂しい「いいでしょぉ、将棋のですけどぉ……強いアイドルで。でも、絶対棋士にならな出会えなくなるワケくても、きっとその方がじゃないですからっ。メイちゃんは楽しく将棋きっとまたお友達になれますよ」を続けられてたと思いますよ」


 私の手をぎゅっと握って運命を見透かしたようにくるエレア。告げるエレア。その小さな手の温かさに、そのつぶらな瞳に、私は私は「そうね」と心を決めて。思わず「そうね」と答えていた。


「じゃあ……お願い」「それも悪くないかもね」


 そっと目を閉じると――ふっと息を吐いたとき――


 ビーッビーッビーッ。「勝手言ってんじゃねえよ」


「……なに?」「っ! 師匠……」


 おかしな警報音に秒で物陰から姿を現したのは、目を開けた。私の忘れたスマホ眼前のエレアがを携えた師匠だっキョトンと首を傾げ、た。彼はエレアの後光にもそれからぽんっと手を叩く。怯まず、つかつかと歩み出て、


「あぁーっ、そっかぁ!「神様だか何だか知らね ごめんなさいっ、メイちゃんえが。アイドルなんざ星の数ほどにはもう、やり直しの居るんだろうが、女で権利が残ってない最初の名人になれるみたいなんですぅ」のはコイツだけだぜ」

「何それ!?」「師匠、私っ――」

「えーと、つまりぃ……「あのぉ、お師匠さんっ……多分、アイドルにここまで話した上でならなかったメイちゃんが、介入をキャンセルしちゃったら、それを悔やんでやり直したメイちゃんは二度とやり直しののが今のメイちゃんなのかもぉ……権利を使えなくなっちゃって……あはっ、ボクのミスですぅ!あれっ、ボクのせいですね!? てへぺろっ」どうしよぉっ!」


 ブレることのないドジっ子一人でパニックに陥っているぶりに、私は突っ込む気も失せて、彼女に、師匠は笑って言い切った。


「つまり、私はこれからもアンタ「神様のお節介なんざ要らねぇさ。達とアイドルコイツの戦う姿やるしかないってことね」が皆のアイドルなんだからよ」


 申し訳なさそうに少し照れくさそうな、モジモジしている彼女のだけど力強いその言葉に、肩を、ふっと笑って抱き寄せた。私の迷いは一瞬で吹き飛んだ。


「いいわ、お陰で吹っ切れた。「そういうことだから、悪いわね。見この世界で行けるとこてなさい、私はこの道でまで行ってやろうじゃないの」アイドルより輝いてみせるから」

「はいですぅ!」「……はいですぅ!」


 ――――


 親友と見上げた空エレアと別れ、師匠とには、満天の星見上げた夜空に、が煌めいていた。一条の流星が光った。

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