長いようで長くない少し長い短編
黒水
第1話 記録喪失
記録喪失
※※※※※
ムラビ
・記憶喪失
・村人
・壮年の男性
ツルギ
・冒険者
・少年
マナ
・冒険者
・少女
※※※※※
ツルギとマナは冒険の旅の途中で農村に立ち寄る。
ツルギとマナはムラビと出会う。
「はじめまして。いえ、そうではないのでしょうか?」
「変なことを言う人ね」
「はじめましてが正しいな」
「そうですか。ならば旅人ですね。農村にようこそ」
ムラビはツルギとマナを歓迎する。
ムラビはツルギとマナを宿に案内しながら自己紹介する。
「わたしはムラビといいます。寝ると記憶を無くす病気に掛かっています。病気の対策として日記を書いています。寝る前に事細かく日記を書き、寝起きにそれを読み返すことで記憶が無くても何とかやっていけています。わたしは元々、次第に記憶を無くす病気でしたので、現状を受け入れられています」
突然、強風が吹き荒れる。
「あっ」
ムラビの持っていた日記が吹き飛ばされ、上空に舞い上がる。日記はどんどん風を受けて移動し、ついには崖下に落ちてしまう。
ムラビは日記を追いかけて崖から身を投げようとする。
ツルギは慌ててムラビを捕まえる。
「日記よりも体を大切にしたらどうなんだ」
「ここにいるわたしは単なる肉の塊で価値はない。あの日記こそがわたしなんだ!」
ツルギはムラビの迫力に圧倒される。
「あぁ!」
ムラビは悲鳴を上げる。
ムラビの日記は崖下の川で水浸しになる。
ムラビの日記は回収不可能になる。
「うわぁあああ!」
ムラビは号泣する。
「一体全体、何の騒ぎだ」
ムラビの尋常じゃない様子に、他の村人が集まってくる。
「この人の日記が風で崖下に落ちたんだ」
ツルギの説明に、村人たちは崖下を覗き込む。
「ありゃあ、こりゃ、日記は諦めたほうがいいな」
ムラビはツルギの腕の中でうなだれる。
「ムラビさんをこっちによこしてくれ。ベッドに休ませよう」
「し、しごとが……」
「いい、いい! そんな死にそうな顔で何ができる! 休め!」
ムラビは村人たちの内の一人に連れて行かれる。
ムラビがいなくなった後、村人たちはムラビのために何かできることはないかと話し始める。
「ムラビを元気づけたい。なにか良い案はないか?」
村人たちは頭をひねる。
「代わりの日記を用意するというのはどうでしょう」
「採用。誰か、文字を書ける者は?」
この言葉に、村人たちは誰も手を挙げない。
マナはツルギの顔を見る。ツルギが頷くのを見て、マナは手を挙げる。
「あたしは文字を書けるわ。だけど、文字は書く人の癖が出るの。いくら代わりを書いても意味はないわよ」
困った顔のマナに対し、村人たちは「それでも書いてほしい」とお願いする。
「旅人のお二方。貴方がたの助けが必要です。どうかムラビを助ける偽物の日記づくりに協力ください」
仕方なくマナは偽物の日記を書くことになる。
村人たちは必死になってムラビとの記憶を思い出し、マナに語って聞かせる。
マナは丸1日掛けて日記を書き上げる。
ツルギとマナは憔悴して眠るムラビの枕元に偽物の日記を置く。
皆でムラビの翌朝の様子を見ることになる。
夜がきて朝になる。
翌朝、ムラビは普段通りの様子で村の生活を送り始める。
村人たちは安心し、ムラビを見守ることをやめて各々の生活に戻る。
「はじめまして、いえ、昨日振り、でしょうか。どうか家にお越しください」
ムラビはツルギとマナを呼び止めて家に招待する。
ムラビとツルギとマナは同じテーブルを囲むように椅子に座る。
ムラビは偽物の日記をテーブルの上に置いて口を開く。
「ありがとうございます。この日記は皆からの大切な贈り物です」
ムラビは、筆跡から手元の日記が本当の日記ではないことに気づいていた。
ムラビは続けて口を開く。
「この偽物の日記を誰が書いたのか気になって読み進めました。覚えているかぎりでは、村人の皆は文字が書けません。前日の日付のページにある『旅人が村にやってきた。』という記述から、この旅人とは、文字の書ける旅人だったのではと予想しました。でも、仮に旅人が文字を書ける方だったとして、実際に偽物の日記を書いたとしましょう。それだと1つ問題があります。旅人はわたしを知らないはずなのに、どうしてわたしの思い出を日記に書くことができたのかという問題です。手がかりはあります。偽物の日記の内容に、わたし個人の思い出はなく、わたしと村人の皆との思い出しか書かれていなかったことです。わたしと村人との思い出は、当然ながらわたしと村人しか知らないはずです。旅人は知るはずがありません。つまり、昨日のわたしや村人の皆が旅人に情報を与えたと考えるのが自然です。旅人に情報を与えたのが昨日のわたしなら、わたし個人の思い出も日記の内容に含まれているはずです。でも、実際のところ、この偽物の日記にわたし個人の思い出は書いていません。ならば、昨日のわたしは偽物の日記を作ることに関わっていないということになります。そうなると、旅人に情報を与えられるのは村人の皆だけということになります。つまり、村人の皆と旅人である貴方たちの協力関係で偽物の日記は作られた。この推理は間違っていますか?」
「推理小説が好きなの?」
マナの言葉にムラビは笑う。
「あはは。推理小説は大好きです。村に引っ越すまで、街で読み漁りました。それでちょっと探偵を真似したくなりました。変な言い方になっていましたか?」
「いいえ。あと、ムラビさんの推理は正しいわ。あたしがその日記の創り手よ」
「やはり、そうですか。日記を書いてくれて、ありがとうございました」
「ありがとうございました? 偽物の日記を書かれたことに感謝しているの?」
「えぇ。感謝しています。この日記を見ると、自然とそう思えました」
ムラビは偽物の日記の表紙をなでる。
「日記を隠す理由は予想がつきます。皆にとって不都合な記述をわたしから隠したくなったのか。あるいは日記が消えてしまったのか。お二方の反応を見るに後者ですかね」
「前者なのかもしれないのに?」
ツルギは言わなくてもいいことを言うマナの頭を小突く。
「例えば、わたしが誰かと一緒に財宝を見つけたとしましょう。その誰かは財宝を独り占めしたくなって、日記を編集することを思いついた。または、わたしが誰かの罪を目撃した。その誰かは告発を恐れて、日記を編集することを思いついた」
「……」
「わたしはその誰かに対して、こう言います。お好きにどうぞ。いくらでも編集してください。わたしは日記の内容を信じます」
「どうして、そんな風に考えられるの?」
「村人の皆が好きで、村の生活が気に入っていて、今日も良い一日だからです」
きょとんとするツルギとマナに、ムラビは説明を始める。
「ここの村はとても居心地が良い。村人の皆は、よそ者でしかも記憶喪失によって足手まといになりがちなわたしを疎まないで接してくれる。それだけでわたしは村人の皆を好きでいられる。生活面でいえば、食事は美味しいし家は狭いと思わないし、仕事は忙しいですが、出来ないほどでも我慢が必要なほどでもない。まだ覚えている頃の生活とそう変わりません。この生活が崩されているなら考えようですが、特にそのようなことはなかった。いつも通りの良い一日でした。だからです」
「昨日が悪い一日だったかもしれなくても? それを確かめていないのに?」
「確かめて、何になるというのです?」
「え……?」
「今が良い気分なのに、わざわざ嫌な記憶を思い出して何か得がありますか?」
「え……え?」
マナは混乱する。
ツルギはふんと息を吐く。
「無いな」
「そうでしょう? マナさん。あなたは勘違いしている様子ですが、わたしは思い出せないことに困っていないのです。あなたは今、お節介さんになっていますよ」
ここで、マナは返す言葉をなくしてしまった。
「それはそれとして、ここまで日記を書いてくれたことに改めて感謝を。この日記には、わたしの覚えていないことの他に、わたしの知るはずのないことも書いてあります。このミスは村長かな。村長はうっかり屋なところがあるから。……わたしのことをたくさん、たくさん考えてくれたのでしょうね。この日記は本当に宝物です。どんな財宝よりも、ね」
終わり。
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