【アップ】2024年6月23日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年6月23日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/live/tUdkrAdWzdI?app=desktop&feature=share


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12858342158.html

(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)



前奏

招詞 イザヤ書40章1〜4節

詩 編 歌 65編 4節

遠き海、地の果てよろずの民

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問93

「神さまの祝福」

こどもさんびか

いつくしみふかい[改 130(1,2 節)]

牧 会 祈祷

讃美歌 239番

聖書

フィリピの信徒への手紙4章10〜13節

説教

「神に強められて」

常石召一

祈祷

讃美歌 269番

みことばの交読文 ローマ 16章 25〜27節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 543番

祝 祷

報告



讃美歌~♬


「さまようひとびと」讃美歌 239番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MYjEOCVKgBM


1

さまよう人々 たちかえりて

あめなる御国の 父を見よや

罪とがくやめる こころこそは

父より与うる たまものなれ

2

さまよう人々 たちかえりて

父なるみかみの みまえに行き

まことの悔いをば 言いあらわせ

世人は知らねど 知りたまえり

3

さまよう人々 たちかえりて

主イエスの御許に とくひれふせ

わが主は憐れみ み手をのべて

こぼるる涙を 拭いたまわん

4

さまよう人々 たちかえりて

十字架の上なる イエスをみよや

血潮の滴る み手をひろげ

「生命をうけよ」と まねきたもう


讃美歌269番(歌詞付)54年版「罪の重荷を」


罪の重荷を イエス 君にぞ

われはことごと 任せまつる

あがないの血に わがけがれを

しみものこらず きよめたまわん

疲れしたまも つよき君の

み手にいだかれ み胸によらん

うきも悩みも ただまかせて

こころやすけく 世をば過ごさん

主なるキリスト イマヌエルよ

いかにその名の うるわしきや

風にそよげる 春の花の

かおりとばかり 世ににおえり

心やさしく 愛に富める

君のみさがを 得させたまえ

あまつ使いに 声をあわせ

たえなる御名を 歌いまつらん

アーメン



2024年6月23日 礼拝説教 聖書箇所

フィリピの信徒への手紙 4章10~13節


4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。

11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。



(Mynote)

二〇二四年六月二三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

本日は関西地区伝道協議会講壇交換日にて、大阪教会牧師の常石召一先生のメッセージです。

(子供メッセージ)

『子供と親のカテキズム 問九三』

「『我らの日曜の糧を今日も与えたまえ』では、何を祈り求めるのですか。」

「神様は、すべての良いものの泉です。神様は子供達に必要なすべてのものを与えて、楽しむ事が出来るように祝福して下さいます。ですから、私達は、この恵みの神様に日々寄り頼んで歩む事が出来る様に祈り求めます。」

「空の鳥を見るが良い。まく事も、刈る事もせず、倉に取り入れる事もしない。それだのに、あなた方の天の父は彼等を養って居て下さる。」(『マタイによる福音書』第六章二六節以降)

神様は子供から大人、全ての人に対して、その時々で必要なものを全て与えて下さる。信仰に生かされる上、その人が知る以上の事を全てご存知であり、時に適う形で与えて下さる。この事を子供から大人まで、全ての人が常に憶える必要がある。

(公同礼拝)

『ピリピ人への手紙』(第四章一〇〜一三節)

この箇所は、何時(いつ)でも常に神様に感謝する事の大事、そして信仰に歩まされる上で、何時(いつ)でも常に神様からそのとき必要なものが与えられて居る事、これ等の事を憶え直す事の大事が記されてある。

パウロはこのとき捕えられ、牢獄の中からピリピの教会へ手紙を送ったとされる。その手紙の中で、

「私が主(しゅ)にあって大いに喜んで居るのは、私を思う心が、あなた方に今また遂に芽生えて来た事である。実は、あなた方は、私の事を心に掛けてくれては居たが、良い機会が無かったのである。私は乏しいから、こう言うのではない。私は、どんな境遇に在っても、足る事を学んだ。私は貧(ひん)に処する道を知って居り、富に居る道も知って居る。私は、飽く事にも飢える事にも、富む事にも乏しい事にも、ありと凡ゆる境遇に処する秘訣を心得て居る。私を強くして下さる方に依って、何事でもする事が出来る」

と語った。

パウロは又この時、その後すぐに極刑に処される可能性もあった。その様な一見、絶望に見え感じられる境遇にて、この様に神様への感謝を第一にして、残される教会の人達(兄弟姉妹達)に励ましと、慰めと、今ここに来て改めて大事とせねば成らない事を教え伝えた。

誰でも大人に成るにつれ、子供の時に見た夢を諦めて行く。パイロットに成りたかった夢、弁護士に成りたかった夢、警察官に成りたかった夢など、境遇と条件に合わず「成れない」とされた現実に向き合い、その現実を連続して生かされる上で、大抵の人は第一・第二の夢を諦めて生きるのかも知れない。

しかし例えば壮年に成り、老年に成り、その後の余生を一種の「諦めの人生(余生)」として生かされる時、その時期をどう幸せに辿って生き抜くか、これが大人としての力量が試される事に値する。その様な見方もあるのではなかろうか。

そして最も大事は、その時にこそどこに目と心を向け、何を価値有るものに見、即ちどの様な信仰を以て生かされるか?これが重要になる。

人の世界では、誰でも当り前にして人が大事に見るもの・するものに心を向けて、それを大事にしようとする。それは目に見える物理の大事に在り、人の領域を越えるものに無い。またストア派の人達は「諦める上で幸せを見付ける事(諦める事で幸せを身に付ける事)」を達観の域に見て、その状態こそが「人が生来求めるべき幸せだ」とした。詰りその諦めの姿勢に満足する事、心身共に満たされる事が人の幸福とした。

けれどキリストの真実に於いて、信仰に依る幸せ・救いの在り方はそうではない。寧ろ諦めではなく、最後まで永遠程に神様からの救いを祈り求め、神様の下(もと)に辿り着く事こそ、人が生来求めねば成らない幸せとする。ストア派は「自分で満足する事・人が自力で満たされる法(処世術)を得る事」をこの点で提唱して居り、飽くまで人が自力で幸せや満足を作り出す事に視点と心を向ける。キリストの真実に於いては唯一、誠の神様にのみ視点と心を向け、神様から聖霊を通して与えられる救いと幸せに最大の喜びを得る。クリスチャンには常に神様との関係がある。神様との関係とは、神様が主人(あるじ)であり自分が僕(しもべ)と成り、この縦の関係が絶対に成る。この関係は「私は在ると言うものである」と人に教えられた神様の言葉に起因する形で初めから在るもので、人がどう言おうが、考えようが、感じようが、その関係が絶たれる・消える事は無い。この真実を知って居るかどうかで、ストア派とクリスチャンとの考え方に分かれるのである。

イエス様が人の間に遣わされた理由は何か?それは罪人である全ての人が、神様から見て欠けて居る者だったから。その解決の為にイエス様を遣わされ、全ての人が信仰に於いて完全と成れる為、悔い改めと救いとが改めて与えられ、どうしようもない罪人である全ての人であるに拘らず、神様はその全ての罪人である人を愛して下さった。「一人子をその人間の罪を贖うため犠牲にされる」程に愛されたと在るが、これは神様が御自分をその「人の罪」の為に犠牲にされた事と同じ、イエス様は人としてこの世に降りて来て下さった神様そのものである、その様に信じられる処もあるのではなかろうか。

神様は全ての人に「隣人を愛せよ」と教えた。これは人がその隣人の為に「神様、信仰に依りあの人をお救い下さい」と本気で祈り願う事に同じく、その相手の事を自分と同じに捉え、考え、感じる事にあろう。

全ての人は罪人である。その罪一つにしても、人が自力で贖い(清め)、完璧に悔い改める事は出来ず、その悔い改めの人生を送る事は出来ない。人は必ず一度悔い改めても次に又罪を犯す者に在り、自ら好んで罪に向かうからである。この罪の誘惑とそれによる困難から救われる法は、信仰に生かされる上で、神様の御力と聖霊の働きに依る救いしか無い。だから信仰に生かされる上で全ての人は、過去の自分の罪を自分で負うのではなく、唯一誠の救い主であるイエス様に委ね、神様がイエス様を通して教えた御言葉・その信仰に歩まされ続ける努力をせねば成らない。詰り信仰に歩もうとする努力・気力の継続の方に、人が本来するべき仕事・義務がある。

人が罪の内に自力で幸福を得る事は無い。その罪の内に自力で救いを得る事は無い。常にその時々で、全ての人は神様から必要なものが与えられ、その必要なものとは信仰に立ち返る為の土台・感覚・環境・条件であり、その契機を以て、信仰に救われる様に神様に常に祈り求める事が大事となる。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=q0lc_w0zV-I&t=11s


「塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U_zD0vN_XAE


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


名曲「異邦人」の歌姫から音楽宣教師へ / 久米小百合

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gt9IYYIUdJs&t=1994s


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)





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