明日の向こうのその先の
好きな人をただしく好きでいたいだけなのに、どうしてそれができないのだろう。抱えた膝に顔を埋め、溢れ出た涙はわたしの頬を濡らしても、心は依然として乾いたままだ。
皺一つないアイロンのかかったシャツ。ヒゲの剃り残しはなく、爪は短く揃えられ、髪はきちんとセットされている。みな等しく苗字に敬称をつけて呼び、その声のトーンもスピードも耳馴染みがよく、普段は柔軟剤のいい匂いがして、夏になれば汗ではなく汗ふきシート特有の匂いが混じる「清潔感のある社会人男性像」の一つ一つを集めてできたような人が彼だった。それが何を意味するかなんて幼いわたしはわかっていなかった。
そういえば指輪はつけないんですか? 開かれた飲み会で同僚の一人が問いかけ、彼は「金属アレルギーでね」と困ったように笑った。配属されて半年、遠くから見ていた日々を足して三年。ようやくわたしは彼を構成する半分が女性の手によってもたらされたことを知る。視界がぐらりと揺らいだ瞬間「酔ったみたいなんで送っていきます」と誰かがわたしの腕を引いた。アルコールと汗の匂いが混じるその正体はよれたシャツに身を包んだきみだ。
数刻経ち、力なく座り込むときみは黙って隣に腰を下ろした。とめどなく溢れる涙。どれだけ醜い姿をしているんだろう。「好きな人をただしく好きでいたかっただけなのに」よりにもよって、こんな一番ただしくないことを。しゃくり上げ、ついには声も出なくなった頃「心の中で何を思っても、それを言葉にしたり行動にしたりしなかったなら、それはきっと、ただしい」ときみの声が聞こえる。それからきみは口を開かず、わたしの涙が枯れるまでずっと隣にいた。それは、今度こそ言葉にしてもただしく在るものだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます