月詠の庭
ふろーらいと
第一章 滅法混色
第1話 温泉宿の怪
寂れた建物と古めかしい住宅、都心部にあって人通りの少ない国道。
学校、商店、住民に至るまで、大半が十を超える世代を重ねており、
老舗と根差した名家の多さから、生きる古都とも呼ばれている。
灯りの落ちた事務室にて、放置されたラジオが夜鳴く。
部屋の主が切り忘れたので、聞く者もいないのに、番組を垂れ流し続けている。
「次のニュースです。昨夜未明、行方不明になっていた男性二名が、
東京観光の名所の一つとされながら、この街は不審事件が後を絶たない。
原因不明の事故、犯人の見つからない殺人、未解決の失踪事件が相次いでいる。
更には難病の発生傾向も他の地域と比較して多く、
住民が減っているにも関わらず、日に日に病人が増えている。
ある界隈では、この街は特別な場所とされている。
心霊体験に浪漫を求める物好きが、全国各地から訪れるのだ。
彼らは幸運にも、大半がこういった怪事件に関わる事なく、落胆して帰って行く。
しかし中には本物に遭遇し、街の闇に巻き込まれて消息を断つ者もいた。
その真相が何であるのか、知る者は語らない。
法が怪異を認める事は無く、民は警告に耳を貸さない。
注意喚起に精を出しても、徒労に終わるのが席の山である。
夜。そんな街の一角を、二人の少年が歩いていた。
不幸にも詠園に生まれた彼らは、更に不幸にも怪異を知っている。
それが否定しようの無い現実である事を、とうの昔に受け入れていた。
「・・・ここか、“西日屋”って言うのは」
橙色のランプを持ち、楽器ケースを抱えた和装の少年。
歳の頃は高校生、もう一方より少しだけ背が高い。
「本当にここで合ってるのか?」
「大丈夫、見て分かった。ここで間違いないよ、
もう一方は、日本人には珍しい鮮やかな緑の瞳の少年。
持ち物は天城と同じランプのみ。気の楽な服装に身を包んでいる。
天城「
飛龍「はいこれ」
場所は
錆びかけの鍵を使い、玄関の黒い扉を開ける。
飛龍「例の連続失踪事件、この宿の周辺で起きているんだっけ?確かに嫌な雰囲気はするけど、そんなに強い霊はいない気がするなぁ」
天城「俺はよく分からないけど、少なくとも人はいないな。気配も無いし、床に埃がこれでもかと積もってる」
飛龍「ま、とりあえず探索してみよう。灯りは・・・」
壁のスイッチを触ってみるが、電灯は反応しなかった。
天城「ダメみたいだな。ブレーカーが落とされているんだろう」
飛龍「あっちの方から調べよう。もう夜も遅い、手早くね」
二人はロビーから進み、廊下を歩いて一階を巡り始めた。
宿の廊下は循環構造をしており、
中央に事務室や厨房、裏手の北側に大浴場が置かれている。
階段は東西にそれぞれ設置されており、地下は無い。
飛龍「鍵がかかってるね。玄関口のも使えない」
天城「マスターキーが欲しい所だけど、ピッキングできるか?」
飛龍「やってみるよ」
針金を二つ鍵穴に差し込み、ピンを押し上げながら回す。
全ての鍵で使える技術では無いが、この宿は設備がやや古い。
鍵も簡素なピンシリンダー式だったので、数十秒で簡単に開けられた。
天城「マスターキー、ゲットだ」
飛龍「ブレーカーも上げられそうだ・・・あれ?」
天城「電気点かないな・・・通ってないのか?」
飛龍「うーん・・・電池持つかな・・・」
二人は事務室を軽く調べた後、廊下に戻ってランプを頼りに更に進む。
奥の廊下は空気が湿って黴臭く、虫や鼠が棲みついている。
相変わらず人がいた痕跡は無いが、
二人には奥へ進むほど、何かに見られている感覚が強く感じられた。
天城「・・・確かにいるな。うん。これはいる感じだ」
飛龍「今更気付いたの?僕はもう何体も見たよ」
天城「・・・何で黙ってた?」
飛龍「人に害を与えるほど強い霊じゃ無さそうだったし。実際に何も起きてないでしょ?でも力の弱い霊が動けてるのは、近くに強い霊がいるせいだ。影響を受けてるんだよ」
天城「人を取り殺しているなら、強い霊だな。誘き寄せてるのか、外に出て取り憑いてるのかは知らないけど」
飛龍「被害者は大半が大人の男なんだっけ?」
天城「ああ。偏執家の霊じゃ無ければ、何らかの恨みが根源かな・・・と」
話しながら移動していると、絶え間のない水音が聞こえて来た。
目の前の男湯の扉の奥からである。
天城「温泉宿だったな・・・俺は女湯の方を見て来る。ここは任せるよ」
飛龍「えぇ・・・」
天城「どうした?」
飛龍「いや・・・いくら君が女の子みたいな顔してるからって、自分から女湯に行くなんて大胆過ぎないかなって」
天城「無人だっての!そう言うならお前が見て来い、ほら・・・はい鍵」
男湯の鍵を開け、マスターキーを飛龍に手渡す。
天城は男湯に入って行った。
飛龍「僕も男なんだけどな」
隣の女湯に向かおうとして、飛龍は背後から呼び止められた。
天城「・・・悪い、中にもう一つ扉がある。鍵貸して」
女湯に侵入した飛龍は、初めに脱衣所のバスケットを漁った。
怪しい物は入っていなかったが、一つだけカードのような物が見つける。
飛龍「免許証かな、凄く古い。名前もボヤけている・・・
内扉の鍵を開け、水浸しの浴室へ踏み入る。
この宿の温泉は天然物、水道を止めても湧き出し続ける。
栓を閉めた結果、パイプが壁か地面の中で破裂したのだろう、
タイル張りはあちこちヒビ割れ、噴水のように湯を噴射していた。
飛龍「冷たい・・・それに気配が強い。ウロチョロしていた弱い霊も消えている」
滑らないよう、一歩一歩踏みしめながら奥へ向かう。
仕切りの壁の向こう側は、どこからか光が差し込んでいて、明るかった。
その光の中に、一際大きな人間でない何かの姿があった。
飛龍「・・・犯人は君かな?」
見られている事に気付いた怪異は、
静かに・・・とても静かに、緩慢な動きで飛龍に近寄った。
頭痛、耳鳴り、倦怠感が襲い掛かり、不吉な予感が脳裏を過ぎる。
しかし飛龍は、恐れず慌てず、ポケットから物を取り出した。
彼はそれを投げ付ける。
手を離れ、怪異に向かって宙を舞うソレは、日本にありふれた五円玉。
ピカピカに磨かれており、月光を反射して煌めいている。
怪異は鋼貨に触れた途端、震えて急に傍へ避けた。
その動きは痛みに怯んだと言うより、不快な物に触れたかのよう。
飛龍「こっちに近寄ったら、同じのをもっと投げるよ。少しは効くかな?焚いて浄化した賽銭だ」
怪異は構わず、やはり亀のような速さで飛龍へ進む。
指で鋼貨を弾き出し、黒く煙る怨霊に放り込む。
数度繰り返した所でその怪異は、落ちた五円玉に囲まれ動きを止めた。
飛龍「宿の周辺で人を殺していたのは君かい?・・・何の恨みがあるのか知らないけど、死んでまで生きてた頃の出来事に捉われなくて良いだろうに」
飛龍「ん・・・?」
落ちた五円玉が、光沢を失って行く。
怪異の力か、温泉の成分で急速に錆びて行く。
それに伴い浄化の力も弱まりつつあった。
飛龍「元々気休めみたいな物だけど、それにしても脆すぎるでしょ・・・!」
硬貨の光が消えた途端、怪異が再び動き出す。
今までとは違い、猫のような敏捷さで飛龍に突き進む。
彼は再びポケットに手を伸ばし、しかし何かに気付いて笑みを溢した。
その背中を飛び越え現れる、抜き身の刀を構えた天城。
彼は勢いを殺す事無く、怪異へと一直線に飛びかかった。
天城「・・・そこか!」
攻防は一瞬で決着した。
彼が持つ刀に斬られた途端、怪異は煙を吐いて昇華した。
飛龍「覗きは犯罪だよ」
天城「誰を覗くんだバカ!あーあ・・・びしょ濡れだ。今のが元凶?」
飛龍「多分ね。空気が晴れた感じがする。早く戻ろう」
怪異、妖怪、怨霊。正体不明の脅威を人は恐れる。
しかし二人は、それらの正体を識らないにも関わらず、
恐れると言う事を知らない。
天城は納刀し、鞘ごと刀を楽器ケースに仕舞い込む。
濡れた和服の裾を絞り、廊下を進んでロビーに向かう。
飛龍「男湯には何もいなかったのかい?」
天城「いや、凄い数の霊がいたと思う。俺は飛龍と違ってそう言うの見えないから、全て祓えたかどうか分からないけど」
飛龍「大丈夫でしょ、元凶はその刀で斬ったんだし」
ロビーは変わらず灯りが点かない。
しかし月が動いたのだろう、窓から光が差し込んでいる。
飛龍「・・・あれ、開かない」
天城「え?内側からだぞ・・・本当だ」
玄関口の黒い扉が、開かなくなっている。
鍵は内側から開けられる筈だが、
中身が壊れているかのように、ロックが外れても開かない。
そもそも二人は、入って来る時鍵を閉めなかった。
誰かが鍵を閉めたのでも無い限り、明らかな怪奇現象である。
飛龍「・・・これはつまり、まだ何かいるって事かな」
天城「調査を続けるしかないか、上の階に向かおう」
この街で唯一天然の温泉を持っていた、知る人ぞ知る老舗の宿屋。
十年以上前にとある事件で曰くが付いた後、
売り上げが急落し閉店へと追い込まれている。
天城「この宿、何か事件が起きて客が減ったって聞いたけど。詳しく知ってる?」
飛龍「いや。怪異が事件を起こしたのか、事件が原因で怪異が出るようになったのか、どっちなのかによっても変わって来るけど・・・査夜さんは取り敢えず見て来いとしか言わなかったから」
天城「あの人説明しづらい事あると、先に体験させようとするよな・・・」
飛龍「部屋の中も調べよう」
二人は揃って二階の一室に入る。
扉は念の為、開放したまま閉じないよう、
天城が持っていたケースを挟み込んでおく。
部屋の中には、怪しい物は何も無い。
畳と座椅子、背の低い机が放置されている。
埃やカビや蜘蛛の巣が無ければ、そのまま一息付けただろう。
飛龍「なーんにも無いね・・・」
天城「他の部屋も調べるか?多分三十以上あるけど」
飛龍「まぁ何かいるなら、部屋に入らなくても分かるだろうし。行こう」
部屋を出てすぐ、二人は異変に直面した。
扉を閉じた途端鍵が勝手に閉まり、他の部屋からガチャリと音が響く。
天城「・・・何だ今のは?」
飛龍「鍵が・・・勝手に閉じた?他の音は?」
天城「・・・こっちの部屋、鍵が開いてる。今の音はこれか、他はどうだ?」
飛龍「ここはダメ・・・ここも開いてない・・・あ、こっちは開いてる。何で?」
天城「開いてる部屋に入ってみるか。飛龍、こっちへ」
206号室の扉を開け、先ほど同様に中を調べる。
何事も無く部屋を出て扉を閉めると、再び同じ事が起きた。
飛龍「・・・一斉に鍵が閉じて、別の部屋の鍵が開いたみたいだね。流石にちょっと不気味だなぁ」
天城「怪異の気配は?」
飛龍「感じないよ、君もだろ?建物全体に力が及んでるんだ。だから分からない」
天城「となると、炙り出さないと退治できないか・・・」
飛龍「大丈夫だよ、方法はある」
飛龍「どんな怪異にも、紐解かれるべき謎がある。死を知らぬ生き物がいないように、完全無欠の怪物もいない。必ず鍵がある」
天城「・・・何か秘策でもあるのかと思えば、ガッカリさせるな」
飛龍「ガッカリしちゃった?」
天城「出る方法が分からなければ、最悪揃って餓え死ぬぞ」
飛龍「大丈夫でしょ、いざとなったら扉壊して出れば良いよ」
天城「・・・それができるなら良いんだけどな」
二人は数箇所の部屋を巡り、鍵が勝手に閉まる様子を観察した。
二階の部屋を全て調べ尽くした所で、天城が法則に気付く。
天城「・・・三の周期だ」
飛龍「うん?」
天城「恐らくこの宿屋の鍵は、最初全て閉じていた。俺達が外から玄関の鍵を開け、そして扉を閉じた事で、この現象が始まったんだろう。それで、色々試して分かった事がある」
天城「下二桁に注目してくれ。201の扉を閉じる。今まで通り、この扉は鍵が掛かった。202は閉じているな。なら203が開いていると思う」
飛龍「・・・本当だ、204は・・・」
天城「閉じている。そして、206、209、212、215が、この階層では開いている筈だ」
順番にドアノブを回して確かめる。
彼が予測した通りの扉が開いており、残りは全て閉じていた。
飛龍「なるほど、三の周期ね・・・つまりこれは、赤・青・黄色みたいな感じで、扉が順番にグループ分けされているんだ。赤を閉じれば青か黄色、青を閉じれば赤か黄色、黄色を閉じれば赤か青の扉が、一斉に解放される」
天城「そしてその他の扉は開かなくなる。パズルみたいな怪異だな」
飛龍「・・・じゃあ、入り口の扉はどうすれば開くかな」
天城「多分・・・アレはどこにも属していない、零番の扉だ。全てのグループの扉を同時に閉じれば、もしかしたら開くかもしれないけど・・・」
飛龍「・・・二人だと無理だね。そもそも鍵で開けられないし」
天城「そうだな・・・外から何とかして貰うにも、今から連絡して来るかなあの人」
解決策は考え付いたが、この場で実行する事ができない。
どうした物か悩んでいると、今度は飛龍が思い付く。
彼は開いた扉に鍵を差し込み、右回りに回す。
飛龍「・・・いや、方法はある」
天城「またさっきの希望的観測?」
飛龍「今度のは違うよ」
飛龍は天城を連れ、再び事務室を訪れる。
鍵を保管する棚を漁り、二つ目のマスターキーを探す。
飛龍「鍵は開けなくても、閉じる事ができるみたいだ。なら扉を同時に閉じるのは無理でも、鍵を閉じた状態で揃える事は可能な筈だ。予備のマスターキーは・・・あった、はいこれ」
天城「何する気?」
飛龍「閉じるんだよ、全部の鍵を人力で。全ての階の、全ての扉の鍵を全て閉じる。そうすれば僕達が入って来る前と、同じ状態に戻る筈だろう?」
天城「面倒臭いな・・・」
飛龍「でもこれしかない。僕は三階と四階を閉じる、天城は一階と二階をよろしく」
天城「分かった。気をつけろよ、何かあっても、また間に合うとは限らないからな」
鍵を閉め、廊下を進む。
途中の部屋が閉じている事を確かめ、次の部屋の鍵を閉める。
繰り返し繰り返し、全ての扉の鍵を閉じた。
飛龍「何か音が・・・!」
一回から響いた微かな音に、飛龍は階段を駆け降りる。
ロビーに戻ると、そこでは既に天城が刀を構えていた。
飛龍「・・・凄い数だ」
天城「ああ。どこにも行けずに彷徨っている・・・男湯の時と同じだ、多分被害者の霊だろうな」
どこに潜んでいたのか、二人の前には無数の霊が浮いていた。
影法師が立ち上がったかのような、輪郭の曖昧な暗い何かが覗き込んで来ている。
天城「これがこの宿の本当の姿、って事かな」
飛龍「全部祓える?」
天城「問題無い」
天城は、刀を両手で強く握り、死霊の群れに突進した。
彼には霊は見えていない。飛龍と異なり、感じ取るのが彼の霊感の限度である。
しかし彼の刀であれば、一撃当てるだけで霊を祓える。
彼が飛龍と共に同行しているのは、その刀を扱う剣術が理由である。
死霊の群れは敵意に乏しく、天城の剣撃を動く事なく受け入れた。
五十を超える回数刀を振るった後、ロビーの霊気と闇は晴れ、
二人は開いた扉を潜り、夜の街へと帰還した。
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