君から君へ

第1話


 父の作ってくれる料理が好きだった。


 きっと、そこまで美味しくはなかったのかもしれない。不器用であることを示すように、切り分けができていない不揃いの野菜であったり、大雑把としか感じない味付けであったり、和食なのに大味だったり。それなのに、どこか懐かしさを感じてしまうような、憎めない父の料理が、私は好きだった。


 きっと昔であったのならば、男は料理なんてせずに女へ任せろ、とか、そんな声もあったのかもしれない。男尊女卑というか、男びいきというか、女が家事をやるのだから、男は社会に出て働けみたいな、そんな声が。


 けれども、そんな声や流れを無視するように、父は毎日私に料理を作ってくれていた。幼いころからの話だった。


 母は私を産んだ後に亡くなった。父は食後のお酒の時間によく母の話をしてくれていた。料理が大好きな人で、家に帰って香ってくる台所の匂いがいい、と父はよく懐かしむように私に話してくれていた。特に肉じゃがについての話を良くしてくれていた。私は写真でしか母の顔を見たことがないから、そうなんだ、と適当に返していた。


 だからかもしれない。父は片親であった私に不自由をさせない、もしくは不満な気持ちを与えたりはさせないように、毎日料理を作ってくれていた。いつも雑というか、不器用としか言えないものばかりで、肉じゃがを作った時にもジャガイモの芯があったり、濃いめの味だったりしていたけれど、それでも私は父の料理が大好きだった。


 仕事で帰ってきた後、疲れた顔を隠しながら、朗らかな笑顔を浮かべて、父は台所に向かっていた。四畳半よりかは少しだけ広いだけの空間で、私はちゃぶ台の上で宿題をしていた。台所から聞こえてくる調理の音に安心感を覚えながら、毎日を過ごしていた。


 たまに、疲れた顔を隠していることを悟って、私から「お惣菜でも買ってくればいいのに」と声をかけたことがある。私が調理をしようと提案したこともあるけれど、そのいずれも父は了承してくれたことはない。いつも苦笑しながら返していた言葉は「僕が作りたいんだ」、というそんな一言。


 私はそれに、そうなんだ、と返した。本当に料理が好きだったのかはわからないし、無理をしているようにしか感じていなかったけれど、父がそういうのならば、私にそれ以上のことはできなかった。せめて皿洗いだったり、他の家事を行うだけ行って、父が晩酌をする時間を見出すことくらい。


 他の人にとっては、そんな時間は平穏とは言えないのかもしれない。片親でしかない私の暮らしを悪く言うのかもしれない。


 だが、私にとってはそんな生活こそがすべてであり、私にとっての平穏そのものだった。





 父が亡くなったあと、特に葬儀は行われなかった。父のために葬式をあげてやりたい気持ちはあったものの、金銭面的な余裕などありもせず、親戚周りの誰も葬式をあげてはくれなかった。人の死に対して弔いをたてたいというのに、それでもお金が必要な現実に対して、私はため息をつくだけついて、そうして父が上っていく煙に、ただ無感情に涙を流した。


 ただの直葬。火葬場の長い煙突からのぼる黒い煙をぼんやりと私は見上げていた。特に言葉も生まれなかったし、感情も、気持ちもなかった。父が亡くなったというのに、悲しいという気持ちもなかったし、何かしらの喜怒哀楽が心に生まれることはなかった。ただそんな煙を眺めて、本当に父はなくなったのだな、と実感するだけに終わってしまった。


 そんな冷静に見つめる自分に対して、どこか奇妙な乖離を覚えた。本来であれば、周囲にいる親戚のように涙を浮かべて、嗚咽を喘ぎながら、そうして声をからすのかもしれない。祖父や祖母、父の兄妹であった叔母のように、泣きわめいて然るべきなのだろう。私にそうしたい気持ちはあったけれど、それでも涙は浮かんでも声は出なかったし、悲しいという気持ちが浮かぶことはない。


 私は、空っぽになったんだな、とそんなことを思うしかできなかった。





 そうして父が亡くなった後でも、いつも通りの日常は営まれていく。


 父の死など世界には何も関与していない、そんなことを示すように、世界はいつも通りを演じている。


 忌引きで二日休んだ後に学校へ行けば、全く変わらない日常が目の前で営まれている。騒がしい連中はいつものように騒がしく振舞っていて、教室の隅に引きこもるような大人しい人は、机に突っ伏して寝たふりを繰り返している。


 本当に、いつもと変わらない。


 私に声をかけてくる人なんていない。私に友達なんていないのだから仕方がない。期待をしていたわけでもないから、私は適当に鞄の中に入れていた文庫本を取り出して、机の上で広げて、ただそれを読むだけを繰り返す。


 いつもと変わらない、ただの生活。


 きっと、これからもそんな日々が続くのだろう。


 私は、それだけ思った後、本に書かれている文字に目を滑らせた。


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