2.そして僕は魔法使いになる

 僕の作文を聞き終わって、教室はすっかり静まり返っていた。

 ぽかんと口を開けたやつとか、目を合わせないようにするやつとか、いろいろいた。ほとんどのクラスメートは、石みたいになって黒板のほうを向いている。


 河内かわうちさんだけは、完全に僕のことを崇拝しているような顔になっていた。

 鈴木先生は先に内容を知っていたからなのか、平然としている。それどころか、だいぶ面白がっているように見えた。


 実際に儀式を試した話がよほど衝撃的だったらしい。生き物が現れたくだりで、すっかりクラスの雰囲気が重たくなったようだ。


 僕は教室の暗い空気を明るくしようと、

「おしまいっ!」

 と元気に一言添え席に座った。

 声を聞いて少し気がほぐれたのか、誰かが声をあげた。


「なんだよそれ、でたらめ書きやがって」

 山崎だった。

「そんならお前、やってみせろよ」

 山崎の取り巻き、村田も調子を合わせる。

 釣られるようにして教室中から口々に疑う声が飛び出し、僕に浴びせられた。


「先生! いくら作文でも、嘘を並べ立てるのは良くないと思います」

 学級代表の畠山がさかしい口をきいた。

「でも明山あきやまくんて嘘ついたことないよね」

 佐藤君が僕のことをかばってくれた。

「明山んちの爺ちゃんが読書家だったのは本当だぞ」

 他にも何人か、僕を支持してくれる友だちがいた。教室はすっかり、僕をよそにして言い争いになってしまった。


 やはり作文に書いたぐらいじゃ、信じない者が出るのは仕方がない。

 恐怖のせいで、嘘だと証明したいということなのかもしれなかった。


 河内さんは相変わらずぽやっとした顔をして僕を見つめていた。ちょっと手を振ってあげたら、うれしそうにしていた。彼女の態度は、例外中の例外だろうなあ。


 でも僕は、昨夜だって他の術を試して成功させたんだ。

 ただの興味本位じゃあない。これは僕の人生に関わる一大事なんだ。


 それに本格的な魔術の披露は、今日この時間を本番にする予定だった。


 教室にいっぱいの同級生、つまり「命」があるからね。

 とても、都合が、良い。


 僕は大きく右手を挙げて、「先生!」と声を張り上げた。

 とたんに教室が水を打ったように鎮まって、みんなの視線が一斉に、矢のようにして僕に注がれた。

 河内さんは、期待のし過ぎなのか泣きそうな顔をしていた。


「せっかくなので、みんなの前でやって見せたいと思います」

 教室中が、どよめいた。

 作り話だけじゃない、こいつ本気なんだと、やっと分かったみたいだ。

 山崎までもが、僕から目を離せないでいる。怖いもの見たさも手伝って、やっぱり興味があるらしい。


 鈴木先生は、面白いことになってきたぞという顔をして、「よし、いいぞ」と大きく手招きをしてくれた。


 ついに、始まった。

 さっそく、鞄の中身を確認する。


 日本語の写本、儀式に使う小道具、触媒、スマホ……そのほかいろいろ。

 隣の席の豊田君が鞄の中を見たのか、ぎょっとした顔を浮かべて僕を見ていた。


「オモチャとかじゃ……ないんだよね?」

 おずおずと聞いてくる豊田君に「本物だよ」と、短く返事をする。

 写本を片手に、教壇へと進み出た。


「ではウソかホントか、今日はみんなの前で『反魂術』という霊体招喚術を、実際にやってみせます」

 教壇に立ち、自信たっぷりの口ぶりで宣言した。先生にでもなった気分だ。


 教壇に必要なものを並べだす。

 今回、木炭は使わない。教室備え付けのチョークを使う。魔法円を描くのに、特別な道具は必要ないと分かったからだ。呪文の詠唱がスマホの音声で済むのだから、理屈は同じみたいだ。


 触媒に使う生き物の死骸は、スーパーでモツ肉や魚の粗を買って間に合わせた。どういうわけか、クセのある素材のほうが向いているらしい。タッパーに入れて持ってきたけど、蓋を開けると生臭い匂いがひどい。


 呪文はスマホに録音済みだけど今回はふたり分での唱和が必要なので、家にあったICレコーダーを拝借してもうひとつ分録音してきた。教壇の両端に置いた。


 そして……命。これは、目の前に十分ある。問題ない。


 あとは、切り傷を塞ぐための絆創膏とか……そんな感じ。

 いけない、大事なことを忘れていた。


 ケースに入れてあった結界術のお札を何枚か取り出して、教室の前と後ろの扉、窓側の柱などに貼り付けていった。バカなやつが手を出して剥がそうとするものだから、「おい」とひと声かけてきつく睨みつけた。気圧されて、簡単に引き下がってくれた。


 下準備に抜けがないことを確認して、僕は黒板を前にする。

 算数の授業で使う大きな三角定規やコンパスを使って、日本語版写本『死霊秘法』に記された魔法円を見たとおり正確に描き始めた。


 人ひとりが這い出てこられるだけの大きな魔法円を描くのは初めてだ。ぶっつけ本番なので少し不安もあるが、自信はあった。


 全体は直径が1メートルくらい、三重の同心円を描いて、中心から放射状に六等分にする。線で区切られたところに、異界の文字を刻む。文字の意味は、僕にも正直分からない。分からない方が良いと本能が告げていた。知らなくても働いてくれるブラックボックスだからこそ、禁断の知識なのかとも思う。


 手元の魔術書と黒板を何度も見比べて間違いがないかを確認していると、欠伸をする声が聞こえてきた。まだ派手なところのない、理解できない行為を見せられて退屈するのは仕方がない。しかし、できれば今のうちに眠った方が、君には幸せかもしれない。


 スマホと録音機のスイッチを入れて、呪文の詠唱を流し始めた。毎回この瞬間だけは、胃が痛くなる。人の声だと分かるのに、人の声とは信じ難い、甲高く野太く、聞く者の臓器をやするような響き。応えるようにして、魔法円が赤い輝きを放ちはじめた。


 欠伸をしていた男子は、眠気を吹き飛ばされ顔を歪めて耳を塞いでいた。それが無駄な行為と知ったのは、初めて実験をしたときだった。脳みその奥に直接、この声は語りかけてくるのだ。


 触媒の生肉を魔法円に向かって投げ込んだ。肉はずり落ちもせず、ピタリと黒板に張り付いて、泥土に沈むように魔法円の中に吸われていった。

 その様を見届けると、僕は指先を切り血を流し、魔法円に向けて鮮血を飛ばした。黒板全体が血の渇きに狂いだし、ガタガタとその身を震えさせた。


 空気が重くなった。閉め切った教室に風がおこり、カーテンが揺れ、ガラス窓が割れんばかりに震え出す。

 急激に室温が下がるのを感じた。寒さに肩を震わせる子が出始める。冷えたガラスは結露したかと思うと、あっという間に凍りついて霜が降りる。日差しが陰り薄暗くなっていた教室から色が失われ、酸味を帯びた腐肉の匂いが広がった。


 闇が、染み出しているのだ。


 パニックを起こした女子が外に飛び出そうとして、転んだ。体にまとわりついた得体のしれない粘りに身震いし、短く狂い声をあげる。悲鳴を呼び水にして、幾人もの同級生が叫び声をあげようと口を開けた。だが、声は出ない。闇に吸われてしまうのだ。


 闇の原形質は、真っ黒などろどろになって床を覆っていた。床だけではない。教室全体が粘質状の暗闇に覆われていた。


 漆黒の中、黒板に光る魔法円の妖光だけが、唯一の頼りとなった。


 ふいに、ごぼりと鈍い音を伴って、幾人かの足元から闇の塊がせりあがった。悲鳴をあげる間も与えず子供の体を包み込み、鼻から口から耳からと、全身の穴を探して侵入し体の中を弄りだした。


 何かを貪り呑み込むような音を鳴らして、やがて闇は鎮まると、後には机に倒れ伏す子供たちの姿だけが残った。闇に呑まれた山崎と村田、西村と萩生の姿はピクリとも動かない。いつも僕に面倒をかけるしか能のない四人組。畠山もだった。あいつは裏で、山崎とつるむ面倒なヤツなのだ。


 次は自分ではないかと、多くの同級生が怯えた。だが、次は必要無いのだ。生贄は、五人で十分だったから。


 妖気を放つ魔法円の輝きがいや増して、渦を巻いて歪みだした。


 いよいよだ。時が、来た。


 教壇の壁の奥から死者の慟哭が木霊した。呼び出しに応え震えている。誰が呼ばれているのか、俺か私か僕か儂なのかと……僕は名前を呟き囁きかける、瞬間――。


 しんとして、すべての音が消えた。

 教室が闇のしじまに包まれた。


 身をひそめて怯える者、期待に胸躍らせる者、好奇の光を眼に宿す者、皆それぞれにして、僕に視線を注いでいる。


 森閑とした空気を裂いて、きりきりと黒板を擦る爪音が響いた。渦巻く魔法円の中心から、べちゃりと肉を潰す音をたてながら皺くちゃの腕が這い出てくる。肘を支えにして重たげに頭がせり出してきた。

 奇怪な容貌、骨と皮だけで作られ、汚液にまみれて腐った匂いを放つ老人の上半身が、黒板の中から身を乗り出していた。


 落ちくぼんだ眼孔に瞳はなく、瞳はないのに明らかに僕の眼を見つめているのが分かった。やさしく、懐かしい、温かな眼差し。


 奇怪だが親し気な姿の老人に向かって手をかざし、はつらつとした声で教室のみんなに僕は告げた。


「紹介します! 僕の、おじいちゃんですっ」


 同級生たちは、現れたものに目を奪われ呆然とし、僕が何を呼び出したのかを知って愕然としていた。

 そうだ、僕は、先日ぽっくり死んじゃった、僕のおじいちゃんを招喚したのだ。


 河内さんだけが、僕に向って称賛を示していた。小さくぱたぱたと拍手までしている。

 鈴木先生は腕組みをしながら、大変満足そうな顔をして何度も頷いてた。


 おじいちゃんの魂は、この世を離れてから日が浅かった。だからまだ、あの世よりこの世に近いところにあったのだ。未熟な僕の魔術でも、そこそこ簡単に魂を呼び戻せた理由だった。


「久しぶりだね、おじいちゃん。元気だった? て言うのも、なんかヘンかな」

 おじいちゃんは笑っていた。表情からは読み取れない。皺くちゃで蛆の湧いた顔では、どうやってもおぞましい狂気の表れにしか見えないだろう。それでも笑っているとわかるのは、僕の心に直接おじいちゃんの声が聞こえているからだった。


「残念だけど、今日はあまり長く呼び出すことは出来ないんだ。まだまだ力が足りなくて……ごめんね」

 申し訳なくて謝ったけれど、おじいちゃんは満足そうにしていた。

 名残惜しいが、今の僕にはこれが精一杯だった。おじいちゃんは、優しく微笑みながら、黒板の向こうへ姿を消した。


 教室を覆った闇も消えていた。

 知らぬ間に窓から温かな光が差し、皆の肌に子供の生気が戻っていた。


 だが、教室の半分の子たちが、悲鳴を上げていた。残り半分の子たちは、僕に尊敬のまなざしを向けていた。

 河内さんはキラキラと目を潤ませて、僕を見つめていた。

 五人の少年は机に突っ伏したままピクリとも動かない。生贄になった連中だった。とはいえ、別に死んでしまったわけではない。


 命が、必要なだけだからだ。


 命とは、つまり霊的な生命エネルギーのことだ。精気と言ってもいい。根こそぎ奪ってしまえば当然命に係わる。でも、今日の儀式みたいにちょっとした顔見せ程度の霊体招喚であれば、何人かの人間から精気を分けて貰えればそれで済む。「オラに元気を分けてくれ」てのと同じことなんだ。簡単に死にやしない。しっかりご飯を食べて何日か寝ていれば、すっかり良くなると保証できる。


 まあしばらくは、恐怖のせいで心療内科のお世話になることは必須だけど。


 これで全て終わった。うまく行った。ぶっつけ本番だったけど、上出来の結果だ。教室には、チョークの落書きのあとしか残っていない。闇の痕跡は最初から無かったようで、触媒の生肉もきれいさっぱり消えていた。


 気怠い、午後の温もりだけがあった。


 鈴木先生はにこにこしながら、「よくできました」と褒めてくれた。


 さすがは、僕の叔父さんだと思う。

 おじいちゃんの息子、おじいちゃんの理解者、お父さんのお兄さん。

 鈴木さんの家に婿養子に出た叔父さんだけど、血筋は明山家の嫡子そのものだ。

 お父さんと違って、本当に大事なことを、よく分かっているよなあ。


「さあさあ、今日の授業はお終いだ。みんな、席を正して」

 乱れた教室を見やって、鈴木先生が皆に声を掛けた。

 僕も教壇に置かれた道具を鞄の中にしまい込んだ。

 終了の鐘が鳴った。


 僕はひとつ気合を込めて、さっと両手で空を薙いだ。教室の四方に貼った結界の護符が、ぱっと明るく燃え上がり焼け跡も残さず消え失せた。


 本当はこれから教室の掃除をしてから帰るのだけれど、みんなそれどころじゃなかった。お札が消えたと知るや、教室を飛び出してしまった子がいた。恐怖で身体がすくみ、まだ動けない子も多かった。精気を拝借した五人の体はまるで復活の気配がない。この五人については、鈴木先生にお任せする約束になっていた。


 山崎を筆頭にした、いじめっ子の五人組。僕も日ごろから面倒ごとに巻き込まれた。ああいう連中がこのまま育って世に出ると、社会で碌でもないことをしでかすと相場が決まっている。ここらでいっぺん、キツくネジを巻き直しておくことが大事だし世のためだと、鈴木先生と決めていたのだ。


 鈴木先生も問題児には手を焼いていたらしくて、僕が話を持ち掛けたときには「これでだいぶ授業がしやすくなるなあ、学校も助かるよ」と、喜んでくれた。


 大騒ぎになった国語の授業だけど、後の始末はすべて鈴木先生がうまいことしてくれる約束もとりつけていた。


 家に帰って子供たちは、きっと家族の人に今日の出来事を話すのだろう。まあ、信じる大人がいるとはとても思えないけれど。兄弟姉妹にぐらいは、面白い怪談話として噂が広がるかもしれないが、それだけのことだ。僕にとっては、どうでもいいことだった。真実は、僕の胸の内にだけあればいい。


 魔術の儀式は本物だけど、作文にはウソもいくつか書いてあった。


 トラックで運ばれたおじいちゃんの書物は、手筈通りに叔父さんが手配した倉庫にちゃんと保管されている。まだまだ知らない知識でいっぱいだ。全部読み終えるのに、きっと一生かかることだろう。


 おじいちゃんが残した書物に記された数々の禁断の知識は、世界中から引く手あまたらしい。叔父さんは、これでお金にも一生困らないと言っていた。

 僕の将来も安泰だ。人生設計もばっちりだなって思った。


 でも、そのうち、きっと……鈴木の叔父さんが、邪魔になるはずだ。


 引く手あまたと言う禁断の知識だって、一番肝心なところは僕の部屋にある段ボール箱の中だった。


 叔父さんと僕とでは、考え方の根本が違う。

 叔父さんは危険だ。知識をただ自分の欲望のためだけに使おうとしている。


 僕は違う。

 力は、力だ。善悪はない。だからこそ、使い方が大事なんだ。

 闇だ光だと昔から正邪の区別をつけるけど、そんなものは勝手な価値観で色を塗っているに過ぎない。


 僕はそのことも、しっかりとおじいちゃんに教わっていた。

 叔父さんも教わっていたはずなのに、すっかり欲望に堕ちてしまった。

 だからだ、叔父さんは選ばれなかった。


 真の継承者には、僕が選ばれたんだ。

 おじいちゃんから知識の継承者として正式に選ばれたのは、この僕だった。


 作文に書かなかったもうひとつの真実。

 おじいちゃんが、この世ならざるモノと命を引き換えに取引して、僕にくれた、僕だけのこの力。

 この真実を、叔父さんはまだ知らない。

 家族の誰も知らなかった。おじいちゃんが本当に、ぽっくり大往生したと思っている。これは、僕とおじいちゃんだけの秘密なのだ。


 叔父さんは僕のことを、魔術が使える便利な小僧ぐらいにしか思っていない。

 だから最低でもあと八年、僕が成人するまでは、叔父さんと仲良くしておかなくちゃいけない。


 将来必ず訪れる対決の時に備えて、密かに準備を進めなくてはならない。

 それには、おじいちゃんが異界から直接教えてくれる、新しい知識の数々がきっと役に立つことだろう。


 僕は『死霊秘法』のページをめくりながら、さてこれからどうしたものかと、たくさんのことを考え始めた。

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運命の一冊、おじいちゃんの形見 まさつき @masatsuki

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