第50話 わたしの過去

 それは、すぐに夢だとわかった。何故ならそれは中学生の頃の経験だったから。

 あの時、わたしはクラスでいじめられていた。内容は、人によっては「そんなこと?」と言うかもしれないこと。陰口を言われて、時には大声で皆に聞こえるように言われて、仕事を押し付けられて、仲間外れにされた。わたしはたった独りで耐え忍んで、何度も死ぬことを考えていた。それくらい、中学生のわたしにはしんどいことだったんだ。


「……やめて。辛いよ。しんどいよ……。もう、いなくなりたいよ」


 不幸中の幸いか、家庭は円満だった。だからこそ、家に学校の事情は持ち込みたくなかった。大抵の人は何か起こった後、どうして相談しなかったのかと言うだろう。それが出来れば苦労はしないし、何故しなかったのかなんて、本人にしかわかりようがない。……もしかしたら、本人にも明確な理由はわからないかもしれないけれど。

 こそこそ言われる陰口も、大声で聞こえて来る悪意も、そこにいないように扱われることも、全部耐えて放課後の学校のトイレで一人泣いていた。


 ――……せい流転。全ては巡り変わり行くから……。


 それは、とある放課後。町のCDショップの傍を通った時に聞こえて来た、アイドルソングの一節だった。

 聞いたことのなかった曲。それなのに、何故かその時のわたしの心をえぐった。


 その曲名は『生々流転』。後にDestirutaのデビュー曲だと知ることになるけれど、その時はまだ知らなかった。


「ああ、わたしはこんなに前から、お二人に勇気付けられてきたんだ。だから……生きて来られたのかな」


 推しは、生きる意味で生きる糧、そして、未来の目標を見出す指針。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、わたしにとっては生きるためになくてはならない大切な存在に変わっていった。

 だからこそ、推しが生きている人であることも忘れてはいけない。一定の距離を保ち、その幸せを心から願うべきだとわかっている。……当然のごとく、その傍に自分がいるなんて夢物語を押し付けてはいけない。


 そう思っていたのに。


 ……何で、現われちゃったんだろう?


 目の前で繰り広げられる、過去の記憶の再生映像。それを見ていたわたしは、泣きたくなってしゃがみ込んだ。


 ☆☆☆


「……か、はる……」

「……けて。生きたくな……」

「陽華!」

「――……あ」


 肩を揺すられ、大声で名前を呼ばれたことでわたしは目を覚ました。けれど心臓がドクンドクンと嫌な音をたてていて、妙な汗が背中を濡らしている。


「わた、し……」

「目が覚めたか、陽華。うなされていたようだが、気分はどうだ?」

「てん、ま、さん?」

「そう、天真だ」


 わたしの額に手のひらをあて、心配そうに覗き込んで来るのは天真さん。その真剣な表情を見て、わたしは眠る前のことを思い出した。わたし、本の出版を自分の目で確かめた後、気を失ってしまったんだ。


「ごめんなさい、天真さん。ご迷惑おかけしましたよね……?」

「迷惑だなんて思っていない。連日遅くまで作業していたんだから、疲れたんだろ。……そんなことより、随分と苦しそうだったが……水でも飲んでくれ」

「はい、ありがとうございます……」


 天真さんが差し出してくれたコップの水を飲み干し、ようやく一心地つく。やっぱり全部夢だったのだと胸を撫で下ろしたから、もう大丈夫だと天真さんに伝えないといけない。


「もう大丈夫です。ちょっと、昔の嫌なことが夢に出て来ただけなので。夢だとはわかっていたので、平気ですよ」

「……顔色が悪い。休むのは、また同じ嫌な夢を見ても良くないだろう。差し支えなければだが、どんな夢を見たのか話してくれはしないか? 以前にも何度か苦しそうにしていたことがあったから、ずっと気になってはいたんだ」


 勿論、嫌ならばもう聞かない。そう言って、天真さんはわたしに選ぶ権利をくれた。


(話してしまいたい。でも、不快な思いをして欲しくない)


 自分がいじめられていた過去なんて、きっと進んで話す人は少ないだろう。

 しばらく考えて、わたしは天真さんに話すことに決めた。かなり迷ったけれど、今後また同じような夢を見てうなされ、理由もわからず心配させるのは嫌だから。


「楽しい話ではないですよ?」


 そう前置きしたけれど、天真さんが引かない。だから、わたしはすんなり話すことが出来たんだと思う。無視されたり、仲間外れにされたりした過去を。


「……ということがあったんです。同じことをさっき夢で見て。だからうなされていたんだと思います」

「……」

「ね? 楽しい話ではないでしょう。すみません、こんな話を……っ」

「ありがとう、話してくれて」


 言葉が途切れたのは、わたしのことを天真さんが抱き締めたから。何度かそうされたことはあるけれど、だからといって慣れるなんてとんでもない。今回も心臓が爆音をたて、顔は真っ赤になる。


「て、天真さんっ」

「辛いこと、話してくれてありがとう。……けど、どんなことを言ったら良いかわからない、ごめんな」

「いえ。……話を真剣に聞いて頂けただけで、落ち着きました。話そうと思ったことなんて、過去にほとんどなかったから」


 唯一話したのは、冬香ちゃんだけ。彼女はわたしの苦しかったことを黙って聞いた後で、DestirutaのアルバムCDを貸してくれたんだ。「きっと、陽華を支えてくれるよ」と言って笑って。


「まさか、そこからDestirutaにハマってしまうなんて思いませんでした。……冬香ちゃんがいなかったら、わたしは天真さんと陸明さんのことを知ることすらなかったかもしれません」

「そうだな。……ところで、陸明から次の休みのことは聞いたか?」

「Destirutaのライブのこと、ですか?」


 悪夢のことは、天真さんに話したことで落ち着いた。だから、Destirutaのライブのことを聞いたわたしはパッと表情が変わったんだと思う。嬉しくなって顔を上げたら、思った以上に近くに天真さんの顔があった。


(抱き締められてること、忘れてた!)


 再び顔が熱くなって、俯く。すると天真さんも、「……悪い」と気まずそうにわたしを解放してくれた。だから深呼吸して、改めて天真さんの顔を見る。


「陸明さんから聞きました。天真さんが、提案して下さったって」

「まあ、な。たくさん頑張ってくれたから、そのお礼を兼ねて陽華のためにやりたいって思ったんだ。それに……」

「それに?」

「いや、何でもない。その時のお楽しみだ。飯の頃に呼びに来るから、休んでいると良い」

「はい。とっても楽しみにしていますね」


 天真さんは、何を言いかけたんだろう。気にはなったけれど、わたしはライブが楽しみだっていう気持ちが勝った。きっともう悪夢は見ないだろう。そう思って、色々セトリ(セットリストのこと)とかを考えていたからだろうか。


「……この気持ちの答えを出すから、陽華」


 部屋を出て行く時に天真さんがそう呟いたことに、わたしは全く気付かなかった。

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