第13話 早朝の静けさ


週末の早朝、まだ昇りきらない朝日の下で俺は自転車を走らせていた。肌を刺す冷たい風が容赦なく吹きつける。


「この時間帯はまだ少し寒いわ……」


思わずそう呟きながら、ハンドルをしっかりと握り直す。目的地は、自転車で30分ほど先にある響の家だ。今日、俺は響に「聖典」を預かるよう頼まれていた。


 俺も報酬を受け取るために気合いを入れてペダルを踏んでいく。


響の家は、街の住宅街にある普通の一軒家で特に目立つような外観ではないが、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。俺は自転車を止め、ポケットからスマホを取り出して「家の前に着いたぞ」と響にメッセージを送る。 

まだ家の中は静かなようで、カーテンも閉まったまま。朝の冷たい空気の中、玄関先で待ちながら、手をこすり合わせて少しでも暖を取る。


──やっぱり早く来すぎたか?

ちょっと不安になりながらも、響の返信を待つことにした。


 すぐにスマホが鳴り、「今出る」と響から返信が届いた。数分もしないうちに玄関の扉が開き、響が姿を現す。


「待たせたな。中に入ってくれ」


「ん?ここで受け取る予定だっただろ?」


響は頭をかきながら、少し気まずそうに答える。


「いや、量が多くてさ……悪いけど手伝ってくれ」


「……たっく」


仕方なく肩をすくめて答えた。


 俺は響について家の中に入り、玄関で靴を脱いでそのまま2階へと上がった。響の後を追って部屋に入るが、室内は真っ暗で何も見えない。


「荷物はどれだ?」


俺が響に問いかけたその瞬間、突然背後で部屋の扉が閉まる音がした。


「!?」


驚いて振り向こうとするが、同時に部屋の明かりがパッと点灯し、そして目の前に現れたのは、少し見覚えのある顔の女性だった。


「お待ちしておりました、佐藤悟さん」


その言葉に、俺は思わず息を飲む。この女性は──まさか、あの時の茶道部の……。


「あ、あ……」


かすれた声で呟くと、彼女も俺の顔を見てふと気付いた様子で口元に微笑みを浮かべる。


「あら、あなたはあの時の……」


「これはまた何たる偶然なんでしょうかねえ。響の共犯者さんが君だとは……」


その言葉に、俺の体は小刻みに震え、何も言えなくなる。目の前にいるのは響の姉、しかもあの時の茶道部の人。


「自己紹介がまだでしたね。響の姉の、神野琴音かみのことねと申します」


冷静かつ丁寧な声でそう名乗ると、琴音さんはじっと俺を見つめる。その鋭い視線に思わず身がすくんでしまう。


すると、響が少し気まずそうに口を開いた。


「ねーちゃん、悟のこと知ってたのか……?」


琴音さんは響の方に目を向け、静かに答える。「ええ……まあ、ちょっと前にお会いして……それより、響、あなたに発言を許した覚えはありません。そこに正座なさい」


その一言に、響は「はい……」と消え入りそうな声で返事をし、さっさと正座を始めた。


琴音さんは再び俺に視線を向けると、低い声で一言。


「そして悟さんあなたもそこに正座なさい」


「え……」


まさかの展開に、俺は思わず硬直するが、琴音さんの鋭い目つきに逆らえるわけもなく、結局「はい……」と小声で答え、響の隣に並んで正座する羽目になった。


「まさかあんな計画を立ててるなんて、私、失望しました……」


琴音さんがため息交じりにそう告げると、俺はその言葉の重さに押されて思わず尋ねた。


「な、なんでそこまで知って……」


すると琴音さんは微笑みながら軽く肩をすくめた。


「響のことはなんでも知ってますよ。もちろん、ルインの内容も。メッセージを削除しても、バックアップさえあればすぐに確認できるんです」


背筋がぞくりとした。俺たちが考えていた「計画」なんて、琴音さんにとっては完全に手の内だったってことか……。それにしても響の姉、只者じゃない。


「しかしまあ、よくエロ本のためにここまでのことをするものですねえ……」


その言葉に、俺と響は反射的に顔を見合わせる。


「まあ、男の子なのでそういうものに興味を示すこと自体は悪いとは言いません。むしろ、男の子なんですから、こんなコソコソせず堂々としなさい」


琴音さんがやけに真面目な表情でそう言うと、響がすかさず反論した。


「なら持っててもいいだろ!」


「いいえ、処分します」


「なんでだよ!」


「姉萌え本とBL本がないからです」


「わけわかんねーよ!!」


琴音さんの返答に、響が心底呆れたように叫んだ。


「……やはり響、あなたにはしっかりと反省してもらう必要がありますね……もちろん、悟さん、あなたも」


琴音さんが、再びあの意味ありげな微笑を浮かべながら俺たちを見下ろしてくる。すると、ふとボソッと呟いた。


「悟さんはあの時湊に邪魔されたので、その続きをしないと」


その言葉に、俺は一気に顔が青ざめた。


「待って! 俺だけ理由違くない!?」


「お黙りなさい!」


一瞬で制され、俺はそれ以上何も言えなくなった。





「おはようございます響!」


突然、ドンっと勢いよく扉が開き、アリスが部屋に入ってきた。だが、目の前に広がる光景に絶句している。


「って、うえー、なんですかこれ……?」


その問いに、琴音さんはまるで何事もないかのようにニッコリと微笑んで挨拶を返す。


「あら、アリスおはようございます」


アリスは困惑しながらも、やや緊張した様子で尋ねた。「えーと、琴音さん、これは何事ですか……?」


琴音さんは涼しい顔で答える。「ちょっとお灸を据えただけです」


「うう……もうお婿に行けない……」


隣で響が呻くように言い、その姿に同情すら覚える。俺もボロボロと涙をこぼしながら呟く。


「もうやだ……おうち帰るぅ……」


アリスはあ然とした表情で俺たちを見つめる。


「悟までいるし……」 


「あら、もうこんな時間。朝ごはんの支度をしなくては」と琴音は言いながら、壁に掛かった時計をちらりと見る。すると、彼女は立ち上がり、部屋から出て行こうとした。


その時、琴音は振り返り、俺に向かって微笑みながら声をかけた。「あ、悟さん、あなたも一緒に朝ごはんはいかがでしょうか……?」


驚きつつも、「い、いえ大丈夫で……」と答えるが、彼女の笑顔に押されてしまう。


「いかがでしょう?」と琴音は再度尋ねてきた。


しばらく考えた末、俺は「……頂きます……」と口にする。


「では、すぐに作りますので、みんなリビングでお待ちください」と琴音は言いながら、軽やかな足取りでキッチンへ向かっていった。俺はその後姿を見送りつつ、響とアリス共にリビングへ向かうことにした。


 俺たちは朝ごはんを食べ終えると、琴音さんが誰かを迎え入れた。


「みんなおはよう!って、悟くんもいる」


その声に振り向くと、椿芽がドアを開けて入ってきた。彼女の元気な姿に、部屋の雰囲気が明るくなる。


「アリス、あなたまだ生活必需品が足りないと言っておりましたよね?」琴音がアリスに尋ねる。


「うん」とアリスは頷いた。


「実は彼女にお願いしていて、二人でお買い物してきたらどうでしょうか?」琴音が提案する。


「椿芽とですか?」アリスが少し驚いたように言う。


「彼女なら頼りになると思いますよ」と琴音は続けた。


「椿芽、いいの?」アリスは心配そうに聞く。


「勿論!そのために来たんだよ」と椿芽は自信満々に返す。


「ホント!?ありがとう」とアリスの顔に笑顔が広がった。


「それに、そこにちょうどいい荷物持ちが二人いますし」と琴音は俺たちに目を向けて言った。


「「え、」」と俺達は驚きの声を揃えた。


 

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