第22話 約束

 二日後私は、食堂で準備をしてから王宮に向かうフレドリックさんを見送る。

 テリーヌは一晩置いて冷やすことで味がなじみより美味しくなる。

 昨日作っておいたテリーヌを持って、王宮の厨房でソースと一緒にお皿に盛り付けて完成だ。


「フレドリックさん、自信もってくださいね。これならきっと大丈夫ですから!」

「ありがとう。結果は一番にアネシスさんに報告するよ」

「楽しみにしてますね! 行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます」


 フレドリックさんを見送った後、私はお昼ご飯を作りはじめる。

 私もクラージュ様との約束があるが、目的の甘味処へはお昼ごはんを済ませてから行くことにした。

 どうせならお昼一緒に食べようということで、いつものようにベンチでゆっくり食べることになった。


 随分と寒くなってきたので温かいスープとクラージュ様の好きなニシンと山菜のサンドイッチを作ろうと思っている。

 寒くなったらポットにスープを入れて飲もうと話していたことが懐かしい。

 あの時は寒くなる頃にはもう婚約を解消しているだろうなんて思っていたけれど、こうしてまだクラージュ様と一緒いられることが嬉しい。


 スープはカップに注いでそのまま飲めるようにポタージュスープにした。

 バターで野菜を炒めしっかり煮込んだあと、うらごしをして滑らかにする。


「うん。我ながら美味しくできてる!」


 時間もちょうどいいころだ。

 出来上がったスープを入れるためのポットを取ろうと棚を開けたとき、一つの瓶が目に入る。

 

「これは……リナリア!」


 手に取って見てみると中には紫色の小さな花が入っていた。

 テリーヌに使うはずのものなのに、フレドリックさん忘れて行ったんだ!

 私は瓶をもって食堂を飛び出した。


 瓶を大事に抱え、王宮までの道のりを走る。

 小さく鮮やかな紫色のリナリアは、ソースの上からテリーヌ全体に散りばめられ、一気に華やかさを増す。

 今回の一品に欠かせない材料だ。


 あんなに努力して考えて、試作を繰り返し細部までこだわったテリーヌなんだ。

 何か一つでも欠けてはいけない。何よりもフレドリックさんがちゃんと納得のいくものが作れなくなるなんて絶対にだめだ。


 私は乱れる息をそのままに王宮の中に入る。

 敷地の中には入れたものの、建物に入る前に守衛の騎士に止められた。


「ここからは入れませんよ」

「あの、これを厨房に届けたいんです! 大事なものなんです、急いでるんです」

「そうは言っても決まりですから」

「お願いします!」


 私は何度も頭を下げるが入れてもらうことはできない。

 ここから入れるのは王族、王宮内で働く者か、招かれた客人のみだと強く告げられる。

 その時、私の名前を呼ぶ声がした。

 声のする方を見ると窓から顔を出すフレドリックさんがいた。


「アネシスさん! それっ!」

「フレドリックさん! 食堂に忘れてましたよ!」

「いくら探してもないと思ってたんだ。届けてくれてありがとう!」

「間に合って良かったです。では頑張ってくださいね」


 窓からリナリアの入った瓶を手渡す。

 無事に届けることができてほっとしたが、フレドリックさんは困ったように私を引き留める。


「ごめんアネシスさん、実は間に合いそうにない」

「ええ?! やっぱりリナリアがなかったからですか?」

「違う……リナリアがないことに焦ってソースの鍋を落としたんだ……」

 

 急いでソースを作り直してはいるが、このままでは間に合わないそうだ。


「最悪、リナリアがなくても完成させることはできたかもしれない。でもソースがないとこのテリーヌは完成しない。……俺、ほんと自分が嫌になる」


 フレドリックさんは今までにないほど悔しそうな表情をしている。

 不注意だったとはいえ、ここで諦めてしまうなんて絶対にだめだ!


「私、手伝います! 一緒に何度も試作品を作ってきて工程も味もわかってますから」

「え?! いいの? ありがとう! 本当にありがとう!」


 フレドリックさんの口添えで中に入り、厨房へと向かった。

 

 ソースはバラのピューレをベースにしたハーブソースだ。

 バラを煮詰め、その後滑らかになるまでうらごしする。それをワインとハーブを加え更に煮詰めてできる。

 フレドリックさんは今ピューレを作っている途中だった。


「私、バジルを刻んでおきますね。その後は白ワイン煮詰めておきます!」

「ありがとう、本当に助かる――」


 二人で手分けをして、なんとか時間ぎりぎりに完成した。

 お皿の中央にテリーヌを置き、鮮やかな赤色のソースをかける。そして色とりどりの花を散りばめた。


「できた……ありがとうアネシスさん」

「いえ、無事完成してよかったです」

「俺、ソース作りながらもうダメだって諦めかけてたんだ。でも窓の外からアネシスさんの声が聞こえて。ほんと、アネシスさんはいつも俺の救世主になってくれる」

「救世主だなんて大げさですよ。フレドリックさんの努力の結果ですから」

「そうだ、クラージュ様との約束があるって言ってなかった?」

「そうです! 私、何も言わずにっ……行かないと!」


 私は王宮を出て、来た時同様必死に走る。

 もう、お昼も随分過ぎてしまった。クラージュ様に何も言わずに王宮に来てしまったからきっと心配しているだろう。まだ、待っているだろうか。

 もしかして、怒っているだろうか。

 帰って、ちゃんと謝らなければ。


 食堂に着き、そのままベンチのところへ行く。


「クラージュ様っ」


 クラージュ様はベンチに座り、ボーっと花壇を眺めていた。

 そして私に気がつくと驚いた顔をして急いで立ち上がり、駆け寄ってきたと思うと力強く抱きしめられた。


「アネシス! どこにいたんだ。厨房の鍋もそのままで姿は見えないし、どこを探しても見つからなくて、すごく心配した」

「すみません、私――」

「でも何事もないようで良かった。一体どこに行っていたんだ」


 ぎゅっと抱きしめられる腕にひどく心配させてしまったのだと、申し訳なくなる。


「すみません、実はフレドリックさんに忘れものを届けに行っていたんです。その後、少し事情がありまして、そのままフレドリックさんのお手伝いを……」

「……フレド、リック」


 クラージュ様は呟くと抱きしめていた腕を緩め、ゆっくり私から離れた。


「そうか……大変、だったようだな。今日はもう遅くなったし帰ろうか」

「あの、スープとサンドイッチ作ってあるんです。よかったら今から一緒に食べませんか?」

「いや、アネシスも疲れてるだろうし、悪いから。……じゃあ」

「え?! クラージュ様?」


 クラージュ様は私を見ることもせずそのまま行ってしまった。


 どうしてだろう。いつもならきっと一緒に食べてくれたはずだ。そして、他愛のない話をして甘味はまた今度行こうねって言っていたはず――。

 いや違う。そんなの私の怠慢だ。クラージュ様ならきっと許してくれるだろうと思っていた。

 何をしても許される、何をしても傷つかないなんてそんなわけないのに。


 私は食堂に戻り、力なく椅子に腰かけた。テーブルに突っ伏し、自分の情けなさに涙が滲む。

 今日、本当に楽しみにしていた。きっとクラージュ様もそうだったはずだ。それなのに何も言わず約束を破ってしまった。呆れられて当然だ。


 どれくらいそうしていただろう。日も沈みかかり、窓の外は薄暗くなっていた。

 その時、食堂の扉が開く音がした。


「クラージュ様?! あ……」


 入ってきたのはフレドリックさんだった。

 私を見てなぜか顔をしかめる。


「アネシスさんどうしたの? 明かりも付けずに。なんか顔も暗いし」

「なんでもありませんよ……。それよりテリーヌ、どうでしたか?」

「親父が、食事会の前菜はこれでいく、だってさ!」

「本当ですか?! よかったです、さすがです」

「アネシスさんのおかげだよ。ありがとう」

「いえ、私はただ、少しお手伝いしただけですから……」

「あのさ、もしかしてクラージュ様と何かあった? 俺の手伝いしてたから、約束……だめになった? そうなんでしょ。ごめん俺のせいで」

「フレドリックさんのせいではありませんよ。私は自分の意思でお手伝いしたのですから」


 私は、自分の行動に後悔はしていない。

 あのままフレドリックさんのことを見て見ぬふりをしていれば、それこそ後悔していたはずだから。

 でも、それとクラージュ様を傷つけてしまったことは関係ない。

 もう一度、ちゃんと謝ろう。

 謝って、今度は私からクラージュ様をデートに誘おう。


 けれど、それからクラージュ様はどこか素っ気ない態度になり、話をするために何度もお昼に誘ったけれど、忙しいからと断られるばかりの日々が続いた。


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