第20話 チューラパンタカ

【ハーモニー社・社長室】


社長室のドアをノックする音に、真彩、直ぐに反応する。


真彩「はーい、どうぞー」   

   

設備管理課の北川典子が恐る恐る、

典子「失礼します……」

と、頭を下げながら社長室に入って来る。 


PCディスプレイからひょこっと顔を出す真彩。


典子「あのー、覚えておられるかどうか分かりませんが……設備管理課の北川です」


真彩「あぁ、北川さん!……髪の毛、切りました?」   

と言って、真彩、椅子から立ち上がり、典子の所に行く。


典子「あぁ、はい。手術前に思い切って、ショートにしました」


真彩「そうなんだ。スッキリして、凄く似合ってますよ!」


典子「あのー、その節はどうも有難うございました。あの時、社長に病院に行く様に言って頂いたお蔭で命拾いしました。もう、本当に何て御礼を言えばいいのか……」


真彩「いえいえ。命拾いだなんて、そんな大げさな……ドクターの方から順調に回復されたって聞きましたよ。で、もうお仕事復帰ですか?」


典子「はい。もう元気なので……」


真彩「そっかー、良かった。また毎日の様に北川さんにお会い出来るのは、とっても嬉しいです」


真彩の言葉に、身体をのけ反る典子。


典子「そんな勿体無いお言葉……私、学歴も無くてバカで、何の取り柄もないので、そんなこと言われたら恐縮しちゃいます」


ずっと、下を向き、真彩と目を合わす事が出来ない典子。

すると、真彩、首を傾げ、典子を見ながら言う。


真彩「あのー、昔、お釈迦様が生きておられた時代に、チューラパンタカって人がいたんです」


真彩、突然、語り出す。


典子「えっ?」


典子、真彩の突然の言葉に、思わず顔を上げ、真彩を見る。


真彩「その人、ものを覚えるのが苦手で、周りの人達に馬鹿にされてたんです。自分の愚かさに涙されてたそうです」


典子「?……」


真彩「でもお釈迦様は、自分が愚かだって自覚してる人は、智慧がある人だって。自分は賢いって思っている人こそ、愚か者なんだって仰ったそうです」


典子「?……」


真彩「悲しんでるチューラパンタカさんに、お釈迦様が一本の箒を与えて、『塵(ちり)を払わん垢(あか)を除かん』って、毎日、掃除しながら唱えなさいって言われたそうです」


典子「……」


真彩「毎日、掃きながら唱えてたら、汚れというのは『自分の心の汚れ』だって解って、悟を得て、神通力も得たんですよ?! 凄くないですか?」


真彩の真意がよく解らず、首を傾げる典子。


典子「あ、あぁ……はい……」


真彩、笑みを浮かべて、

真彩「私の母がね、家庭・職場、どこに居ても、菩薩の精神で、人が喜ぶ事をして、そして、人の嫌がる事を率先してしなさいって言うんです」

と、母親・亜希の顔を思い浮かべて言う真彩。


典子「?……」


真彩「それによって、徳を積み、積んだ徳が必ず自分に返って来て、人生が良い風に変わって、運命を変える事が出来るって……」


典子「……はい……」


真彩「トイレ掃除って、皆んな遣りたがらないでしょ?」


典子「……あぁ、はい……」

と言って頷く典子。


真彩「北川さんは、仕事とは言え、皆んなが気持ちよく使える様に、綺麗にして下さっている。それに、いつも笑顔だし……笑顔っていうのも、和顔施って言って、人に喜びを与えて、徳を積んでるんですよ?! それって菩薩の精神なんですよ?!」


典子「……?」


真彩「もう、私が何を言いたいか、解りますよね?」


真彩、典子の心に入り込んでいる。


典子「あぁ……はい、分かります……」


典子、顔を上げ、真彩の顔を見る。

そして、先程とは打って変わって、明るい表情になる。


すると、典子、

典子「あぁ、さっきの言葉、もう一回言って貰えませんか?」

と、真彩に言う。


真彩「んん? 何だろう???」


典子「箒持って唱える、ちりを何とか……」


真彩「あぁ……」

と言うと、真彩、自分のデスクに行き、ペンを取り、紙に言葉を書き出す。


そして、その紙を典子に渡す。


真彩「『塵(ちり)を払わん垢(あか)を除かん』です」


典子、真彩から渡された紙を見る。


典子「わぁ、綺麗な字。ちゃんとふりがなも書いて下さって、すいません。これから、毎日言いながら掃除します」


真彩「はい。心の中で唱えて下さいね!」

と言って、典子に微笑む。


真彩「北川さんの笑顔は、ホント、良いですねー。笑顔は幸せを運びますからね。自分自身の心が明るくなって、その灯りで周りを幸せな気持ちにさせる事が出来ますからね!」


典子「そうなんだ……笑顔が人を幸せにするんですね?!」


真彩「はい、そうですよ! これからも宜しくお願いしますね、北川さん」

と言って、典子に笑顔で会釈する真彩。


すると、典子、恐縮して、

典子「こちらこそ、宜しくお願いします」 

と言って、真彩に深く頭を下げる。




【営業部 通路】


営業部の通路を、笑顔で嬉しそうに歩く北川典子。

典子の姿を見て、営業部の石川光が思わず声を掛ける。


光「あぁー、北川さんお元気ですか? 最近、全然お見かけしなかったから、どうしちゃったのかな?……って思ってました」


典子「あぁ、私、入院してたんで……」

と言いながら、笑顔の典子。


光「えっ?……入院? どこか悪かったんですか?」


典子「そうなんですよー。社長に、直ぐ病院に行く様に言われて嫌々行ったんですけど、まさかの癌で、もうちょっと遅かったら、命に拘ってたそうです。社長のお蔭で命拾いしました」


典子、屈託の無い笑顔で、光に話している。


光、典子が癌で入院していたなんて想像つかなかったので、話を聞いて驚いている。 


光は、てっきり、社長である真彩からのパワハラで休んでいるものと誤解していたので、頭が混乱し、複雑な表情をしている。 


光「そうだったんですか……大変だったんですね。でも良かった、ご無事で」


光、典子に微笑む。


典子「はい。もう、本当に社長のお蔭です。何もかも……」


デスクで仕事をしている前田、二人の会話に耳を傾け、聞いている。


前田(心の声)「誤解が解けて良かったー。社長がパワハラなんてする訳ないもん。あぁ、でも、冗談で俺の事、からかうからなぁー。でも、あのパワハラは、愛情あって嬉しいパワハラだもんな……ふっ……社長になら、もっといじって欲しいもんな……んん? 俺ってドM?」


前田、真彩との楽しい遣り取りを思い出し、独りニタニタする。

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