二百八十九話 知らぬ間に縺れた糸
急に大声を出した私。
「ブヒヒィンッ!?」
そのことで、謎の追手たちは狼狽し、乗っている痩せた馬も目に見えて怯えた。
「お、おいっ! しっかり走れらんかいな、こんアホ馬!」
「なんちゅうやかましい声やねん、あの女」
どうやら相手の気勢を、いくらかは削ぐことに成功した。
けれどこちらは二人乗りの馬プラス、デカいだけのヤギ。
向こうは四人全員が一人ずつ馬上にあり、私たちの速度的、人数的不利は依然として変わらない。
私も軽螢(けいけい)も、人間相手にまともに喧嘩する技術が高いわけではないのだ。
「脚や! 馬の脚を狙ったり!」
「わかっとるわ!!」
取り乱していない二人が、私たちの馬に並ぼうとする。
「喰らえや!」
相手は持っていた棒きれで、私たちの馬の腿をひっぱたこうとする。
「うぉっあぶねっ」
ばちぃん!
実にナイスなタイミングで、軽螢の銅剣がその一撃を見事に防いだ。
けれど高速で馬を操りつつ、攻撃防御も巧みにこなすほどには、うちの長老代理さまも器用なわけでなく。
「軽螢! 前! 前~~ッ!!」
「ありゃりゃりゃりゃ、ダメだ!」
急角度のカーブに差し掛かったところで、私たちを乗せて走る馬が曲がりきれずに、藪の中に突っ込んでしまった。
「ブヒッ! ヒヒーーーーン!!」
恐慌をきたしたお馬ちゃんは、いななきとともにどこへと知れぬ方向へと走り去ってしまう。
うううう、賢くて良い子だったのに、離れるのはダメージがデカいぜ。
「イテテテ、麗央那、大丈夫か?」
それよりも藪の中に投げ出されたわが身を心配せねば。
「う~んなんとか。でもこれは、逃げられないねえ……」
ぺっぺっと口に入った枝と草を吐き、へたり込む。
私はうんざりした気持ちで、近寄ってくる男たちの顔を見上げた。
「へへへ、大人しくしたってや」
「別にな、痛い目に遭わせたいわけやないねん。そないな趣味あらへんし」
雰囲気からして全員が若く、私たちと同年代くらいだろうと思われる。
ところでヤギくんはどうなった、と路上を確認すると。
「こいっつ! ほんま手こずらせよって!」
「鍋にして食うてまうど!」
「メェ! メェェ~~~~!!」
抵抗敢えなくとっ捕まり、縄で樹に縛られてしまっていた。
いくら腕白で頑丈と言えども、所詮は半家畜か……。
下手なことをして怪我をしてもつまらないので、私と軽螢は小さく両手を上げて降参の意を示す。
そして努めて穏やかな、世間話をするかのような口調で彼らに訊ねた。
「えーと、誰の命令で私たちを捕まえようとしたの? 除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師?」
こちらの質問に、青年たちはへらへらと笑って答えた。
「俺らみたいな木っ端に、大姜帥(だいきょうすい)が頼みごとなんてするわけないやろ」
「別の尾州の偉いオッサンから、麗なんちゃらいう女を捕まえて連れて来たら、ゼニをようさん貰えるって言われたんや」
「どうせ出稼ぎで東に行くつもりやったからな。気にしとくかーって思っててん」
「こんなに上手いこと出くわすなんて、ツイとるわあ」
ふむ、姜さんからの直接の指示ではないのか。
想像するに、私を鬱陶しいと思っている旧王族、除葛氏の重鎮の誰かの意図かな。
全然期待なんかしていないけれど、それでも私を拘束できれば儲けもの、くらいの気持ちでこの子たちに話を持ちかけたのだろう。
「こんなしょうもない連中に雑に捕まっちまうとか、情けなくて涙も出ねえんだけど」
「メェ~」
軽螢とヤギが同時に嘆きを漏らす。
確かに今まで潜り抜けて来た激戦を思い返し比べるに、今の状況はしょっぱい。
自分が無力であることを再確認するために、運命はたまにこういうイベントを用意するのであろうか。
そんな説教くさい強制力は、クソッ喰らえだと叫びたい私です。
どんな状況であっても、私は私のできることをやり切ってやるわ!
「わかった、要するにきみたちはお金が欲しいんだね」
相手を刺激しないように、ゆっくりとした動作で私は懐から金銭を詰めた袋を取り出す。
その口を開けて、見せびらかすように十数枚の銀銭を取り出し、ぢゃらぢゃらと音を立てて路面に落とす。
不逞青年たちの目をしっかりと見据え、ゆっくり、わかりやすく私は話し続ける。
「私を捕まえて尾州まで連れて行こうとしたって、途中で怪しまれたりするだけだよ? 確かに私は抵抗できるほど力も強くないけどさ。私が姿を消したら、翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)の知り合いの軍人さんが、変に思って追いかけてくることになるし。ならここでお金だけ受け取って、お別れしない?」
私も無事、彼らも小遣い稼ぎができて、両者モアベターの策である。
その言葉にも彼らはニヤニヤと笑い、余裕を保ったまま、こう答える。
「そん辺りの面倒なことは、玄人さんが請け負うてくれることになっとるねん」
「せや。俺らはその人らに姉ちゃんの身柄を渡すだけってこっちゃな。楽な仕事やわ」
「この金も貰う、成功した報酬も貰う、俺らのしたいことはそれだけや」
「運が向いてきて怖いくらいやなあ」
緊張感もなく喜んでいるのが、癇に障るなあ。
きっと乙さんのような間者の組織が、今このときもどこかに潜んでいるのだ。
私の身柄はそう言った人たちに渡されるのだろう。
そしてこれはある程度、予想していた通りだけれど。
彼らは「自分たちは素人であり、荒事は得意ではない」とわざわざ告白してくれたことになる。
いうなれば隙、弱点を晒したのだ。
姜さんの手が直接かかっている人材なら、そんな間抜けはしないはず。
ならば絶望的なこの局面でも、対処のしようはあるというものだ。
「わかったよ。私も痛い目に遭いたくないから、大人しく従います。となると私がきみたちに捕まっちゃったことを、一刻も早く姜軍師に伝えたいんだけど、どうすればいいかな?」
「え、そ、そらあ……どないしよ?」
こちらが提案したことに、彼らのうち一人が明確に戸惑った。
他の面子が、口々に取り留めない意見を出し合い、議論を始める。
「偉い人の使いさんに引き渡せば、自然に伝わるんと違うんか」
「せやけど大姜帥は今、南部で軍を引き連れて暴れ倒しとるんやろ。すぐには報せが届かんのと違うかな」
「ええやんけどうでも。俺らが気にすることと違うわ」
自信なさげにああだこうだと揉めている彼らに、私はさらに思考の邪魔をする要素を挟み込む。
「そもそもこの話自体、ちゃんと姜軍師は納得してる? あの人の知らないところで勝手なことをしたら後が怖いよ~。きみたちにこの仕事を頼んだ偉い人と、姜軍師がちゃんとお互いに連携し合って確認取れてるのかなあ……」
軽螢も私の意図を理解し、言葉を被せてきた。
「あの痩せ軍師さん、言うこと聞かないで勝手なことをするやつは仲間でも容赦なく殺すっていうからなァ。南部のナントカ将ってやつもそれで始末されちまったんだろ?」
「そうそう。私はこの目で見たもんね。弁解の余地もなく問答無用だったよ。首を斬り裂かれたあの顔、まだはっきり覚えてる」
ざわざわ、と男たちが目に見えて動揺している。
私という厄モノがお前たちの手に余る存在なのだと、十分に知らしめることができただろう。
けれどリーダー格であるらしい、背が小さいけれど声の大きい男が力強く叫ぶ。
「余計なこと考えんなや! こん姉ちゃんらを引き渡した後の面倒ごとなんてなあ、俺らに関係あるかい! ごちゃごちゃ要らんこと言うて、俺らを惑わしたいだけやで、こんなんは!」
おお、冴えてるな、お前の言う通りだよ。
私の言葉はお前たちを混乱させたいだけの、意味も内容もない戯れ言なのだから。
「そ、それもそうやな……」
「どのみち、身動きとれんようにしてまえば、こっちのもんや」
「よく回る口も、塞がせてもらうで」
リーダーの一喝で自信を取り戻した彼らが、縄だのサルグツワ用の布だのを手に、私たちににじり寄る。
おお麗央那よ、捕まってしまうとは情けない!
私の頑張りスゴロクも、ここで一回休みなのかと、脳内ナレーションを行う余裕がある理由とは。
「麗どの、どうやらお困りのご様子で」
「そうなんですよ~巌力(がんりき)さん~。見ての通りの有様で。いやいや参った参った」
突然現れた太い声の主。
それに明るく応える私。
「は? ってあわわわあああッ!?」
まず一人の男が、文字通り空を飛んで藪の中へ消えた。
不意に背後から現れた巨漢に、その体を投げ飛ばされたのだ。
「ななな、なんやこいつぅってっちょっちょ待ってぇぇえ!?」
もう一人も状況を理解する前に襟首をむんずと掴まれて、力任せに彼方へと放り投げられた。
人間が簡単に空を飛ぶその光景に、三人目の男は現実感を失ったのか。
「なんやろ、夢でも見とるんかな、あははは」
などと笑いながら、仲間たちと同じように道の脇に茂る藪の中に、スロウアウェイされて行った。
「ててて、てめえ! 調子ン乗るんやないで、コラァッ!!」
最後に残った、リーダー格の小柄な男。
彼は腰から短刀を抜き、微かに震えながらも生気の籠った爛々とした目つきで、巌力さんに向き合う。
やはりふざけた無頼の一員にさせておくには、惜しい程度の逸材ではあるのだろうと私は思った。
思っただけで、それ以上のことはなにもない。
「やめておくが良かろう。光ったものを出されては、こちらも手加減できぬ」
「偉っそうに言ってんなや! おどりゃああっ!!」
ヤクザがドスで突進するように、腰だめに短刀を構えて男が突っ込む。
巌力さんは微塵も避けるそぶりを見せずに。
「どっせい」
両腕で顔の前をガードするような構えのまま、相手に対して真っ直ぐにぶち当たった。
「あっがば!?」
短刀は巌力さんの左肘を、ほんの少し切り裂いただけ。
男は正面衝突の交通事故のようなぶちかましの威力に吹っ飛ばれて、キリモミ回転して地面にドシンと落下した。
「結構な気合いの持ち主であったが、心がけが良くない」
ぴくぴくと痙攣する哀れな青年を見下ろし、巌力さんは残念そうに言った。
「助かりました。道に誰かが通りがかるまで無駄話をして時間を稼ぐつもりだったんですけど、まさか巌力さんが来てくれるなんて」
お礼を言う私に、髭のない顎を手で撫でながら巌力さんは説明する。
「麗どのたちが来るという知らせを受け、街の外まで出て迎えるかと考えていたのでござる。そのときに見知らぬ犬が、麗どのの小袋を咥えて現れましてな」
「え、それって左の前足が欠損してる、茶色の犬ですか?」
まさかあの犬が私たちの危険を察知して、先回りで巌力さんに知らせてくれたとでも言うのだろうか?
「いかにも。奴才(ぬさい)に対して道の先に行けとでも言うように吠えたてるので、よもやなにか良くないことでもあるのかと、急ぎ馬に乗り駆け付けた次第にござる。犬は……見失いましたな。姿も見えませぬ」
いや、それにしたって、根本的な疑問として。
「なんであの犬が、巌さんを知ってるんだよ」
「メエ」
ヤギの縄を解きながら、軽螢が口にした。
助かったのは確かだけれど、わからないことが増えてしまった。
「前にどこかで、関わったことでもあるのかなあ、あの犬に……」
さすがの私も行きずりの野良犬すべてを記憶しておくなんて、できねえ。
蹴散らした男どもを巌力さんが一か所にまとめて縛り付けている間。
私は必死で脳内からあの犬と私たちの接点を検索し。
結局はそれが無駄に終わって、やるせない気持ちを味わうのだった。
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