その18 続・オカルト最前線

 

 生野区にあるバルドー教団の施設を視察してから2日後。西成の事務所で嵯峨山と欣也が潜入取材の準備を整えていた。

 教団を視察した日の二人会議で、嵯峨山が教団潜入を思い付き、欣也が早速それを行動に移すため、教団のサイトにあるメールフォームから入信を希望するメッセージを送った。 

 教団からの返信はその日のうちにあり、詳しい入信動機と本人確認が出来る書面の画像を添付して再度メールするよう指示された。 

 人気YouTuberとして世の中に顔が知れてしまっている嵯峨山が潜入取材を試みるのは危険という判断で、今回入信するのは欣也一人だけ。

 教団側の指示に従って再度メールを送信すると、面談の日にちを指定した返信が届き、今日がその当日だった。

「潜入出来るかどうかは面談次第やけど、もし入信オッケーになって今日から共同生活に入ったら期間は一週間やぞ。8月6日の午後6時。その時間までになんとか都合つけて抜け出して来い。もしその時間が過ぎたらオレが警察に事情説明して助けに行くわ」

「了解っす」

「まぁ慣れてるから大丈夫やと思うけど、教団に潜入してる間は一切連絡取られへんくなるから、GPS発信機だけは絶対に無くさんときや」

「ネットで粘着力のえぐいガムテ買うたんで、それで腹に貼り付けときます」

 バルドー教団へ入信する条件として、教団は入信希望者に所持品の一切を教団に預けて管理してもらう事を義務づけていた。

 そのため今回の潜入取材に関しては動画撮影や編集用の電子機器は持ち込めず、スマホや所持金もお布施として教団に差し出さなければならなかった。

 ひたすら修行に専念する教団での共同生活では私物という概念がなく、執着を生むという理由で、教団が用意した衣服と備品以外、信者は何も持つ必要がないというのが教団の教えだった。

 必要なのは教団に帰依する覚悟と共に修行する仲間。それだけ。 

「そういえばモカちゃんから連絡ありました? あれからもう3日経ちますよ」

 欣也が過度の飲酒で弛んだ腹を出し、そこに小型のGPS発信機をガムテープでぐるぐる巻きに貼り付け、嵯峨山に見せる。

「それがないねんなぁ。LINE全然既読つかんし、電話しても出んから、もしかしてネットでの炎上騒ぎを気にして避けてるんかもしれんなぁ」

「その可能性はありますね」

 事務所のソファにどっかりと身を預けてぼんやりと天井を仰ぎながら、嵯峨山が吸っていた煙草の煙を輪っか状にしてポッ、ポッ、と吐いた。

「モカの家に直接行くのはマズいよな? 体調悪なって倒れてたりしたら心配やからさ、一度様子見に行ってみよう思っててんけど」

「それは向こうの事務所の人に任せて置いた方がええと思いますよ。家行ってるとこ誰かに見られたら、それこそネットに拡散された噂どおりになってまいますからね」

 小型のGPS発信機をしっかりと肌に装着した欣也が、Tシャツの上からそのかさばり具合を入念にチェックする。

「よし、準備完了っす」

「1時間後やな。ほなそろそろ行こか。公園着いたらもうそこからお互い単独行動やから寂しくても泣くなよ」

「そんなわけないじゃないすかっ」

 どんなに危険なロケや取材でも二人のノリはいつも変わらない。アンダーグランドな世界に飛び込む不安や恐怖はそれほどなく、あってもそれはすぐに現場で驚きや興奮に変わり、散々楽しんで自分たちの人生にプラスになる経験をいつも無事に持ち帰っている。 

 今回二人が立てた潜入取材計画の概要は、欣也が単独で教団内に潜入し、嵯峨山がGPSの位置情報を元に欣也の行動を監視する。そして何か動きがあればそれを追跡するというものだ。

 欣也が教団内に潜入している間、嵯峨山は教団施設の近所にある公園に寝袋を持ち込んで、ホームレス同然の野営をしながら一週間ひたすら張り込みを続ける。

 炎上中のYouTuberが一番乗りで特ダネを掴んで注目を浴びるための潜入取材だけにいつも以上に気合いが入っていた。

 緊急特番などが組まれて連日報道され続けている新世界の異常現象は未だ進展を見せておらず、巨大なビリケンの不気味な顔がずっと正面を向いたまま、大阪はもちろん日本中の好奇な目に晒されていた。

 警察とマスコミが新世界周辺を24時間体制で警戒する中、この異常事態当日から大阪市内で女性が性的被害を受ける事案が多発し、それに伴う治安の悪化が懸念されている。 

 皆が大阪新世界の異変に注目している間、半キャップのヘルメットを被った二人乗りのプジョージャンゴ125が軽やかに路上に繰り出す。

 入道雲が沸き立つ夏空の大阪は今日も猛暑で、新世界エリアの上空だけが依然として紫色の怪しい空模様を見せていた。

「どうやったらあの中に入れる思います?」

 欣也が新世界の方角を睨みながら、快調にバイクを駆る嵯峨山の背中に語りかけた。

「さあな、それはわからへん。でもオレらとモカなら行けるんちゃうかな? なんとなくそんな気はずっとしてんねん」

 行き当たりばったりの行動と予感。そこには何の根拠もないはずなのに、嵯峨山が言えばきっとそのとおりになるのだろうと、欣也もなぜか思う。

 これまで二人がやると決めた事でやり遂げなかった事は一度もなく、叶えたい夢を叶えなかった事もない。

 この実績が何よりの根拠で、今は分からなくてもその方法や手段は後から必ずついてくる。

 いつも当たり前のように一緒にいるから気が付かなかったが、嵯峨山と出会った事は自分にとって奇跡だと、欣也は今日改めて思った。

 阿倍野区から生野区へ向かう迂回路を疾走して、面談時間の15分前に新今里公園に着いた。

「ほな、早速潜入行って来ますわ」

「おう。うまく面談しいや。おもろい潜入レポート期待してるで」

「了解っす」 

 公園の路肩にバイクを停め、嵯峨山が意気揚々と教団施設へ向かう欣也を見送った。

 ここからはそれぞれ別行動で一週間一人で過ごす。

 嵯峨山はとりあえず野営の場所を陣取るため、公園内にある東屋に向かい、そこにあったベンチに寝袋を敷いて荷物を置いた。

 そこそこ広い公園内には遊具で遊ぶ数人の児童たちがいるばかりで、気兼ねなく野営する環境としてはうってつけだった。

 嵯峨山がスマホにインストールしたGPSアプリを開いて欣也の位置情報を確認すると、欣也の現在地を示す地図上のタグが教団の施設がある住所内で止まっていた。

 面談の時間になり、予定どおり入信する事が出来れば後は動きがあるまでひたすら待機。スマホを片手に煙草を燻らせながら、嵯峨山はひたすらアプリの画面を見続けた。

 この地味で退屈な任務を一週間継続する。小一時間ベンチに座って監視を続けただけで、嵯峨山はすぐに自分の背負った任務が想像以上に忍耐力が必要な作業である事に気付き、ヒマを持て余す苦痛に耐えかねて、時折ニュースサイトを開いたり、ゲームアプリを開いて時間を潰し始めた。

―—30分に一度確認すればええか

 俗世間から隔離されているような状態で共同生活をしているような団体であれば、自由な外出などはほとんどないだろうし、スマホも持ち込めないような環境であれば信者たちは外部の情報もほとんど知らずに過ごしているはず。欣也が教団施設に入ってから2時間が経過してもGPSに何ら変わった動きはなかったので、嵯峨山は欣也が面談をクリアして無事に入信したものと判断して、監視を定点的に行う方針に切り替えた。

 動きがあるまで一週間という膨大な時間をただひたすら待つ。思い立ったら即行動して来た嵯峨山にとってこれほど辛い任務はない。俗世間を知らない教団であれば自分が潜入してもバレなかったかもしれない、と今回の計画を後悔し、嵯峨山は退屈しのぎに急遽この公園から現在の活動状況を一人でライヴ配信してみる事にした。

「まいどっ、オカルト前線のサガですっ。今オレの地元の公園から緊急で動画回してて、欣也が某団体の施設に潜入取材してんねんけど、オレ特にやる事なくてヒマやねんな」

 嵯峨山がGOproのカメラを片手に旋回しながら、東屋のベンチから新今里公園の様子を映す。

「チャンネルの視聴者さんから気になる調査依頼があってな、この近くに某宗教の施設になってる建物があんねんけど、そこ結構ヤバい団体らしくて、今、新世界で起こってる異常事態とひょっとしたら関係して来るかもしれんねんな」

 スマホに表示したライヴ配信の視聴者数がどんどん増え、開始間際ですぐに百桁の域を超えた。

「本来はオレと欣也二人で潜入するのがこのチャンネルの醍醐味やねんけど、もうこのチャンネル有名なり過ぎてさすがに顔バレするから最近それも難しくなってて、今回は欣也一人でという判断になった。欣也が教団に入信してそこで一週間共同生活する企画やねんけど、私物は一切持ち込み禁止の教団やから、とりあえず欣也にGPSつけて、オレがこの公園で監視しながら、何か動きがあったら追跡する事になった」

 前回の動画で炎上した影響が続いているのか“やめとけっ”“おもんない”など、ライヴ配信のチャット欄が早くも批判的な内容で埋め尽くされる。

「なんか前回のライヴ配信でオレらようわからん炎上しとったけど、なんだかんだでまた観てくれるんはホンマに嬉しいわ。今日は暇潰しの配信みたいなもんやから、スパチャくれたらファンサービスでどんな質問でも答えるし、言いたい事なんでも好きに言ってくれてええよ」

 時間はいくらでもある。そして自分の時間は金になる。批判や誹謗中傷はお金にも時間にも余裕がない心の貧しい人たちが引き起こす伝染病のようなもの。自分のように時間にもお金にも余裕があり、かつインフルエンサーとしての社会的影響力を持つ人間がその伝染病のカンフル剤にならなければならない、と嵯峨山は炎上する度に思っていた。

 人気が低迷しても、炎上する度にまた知名度が上がり、結局なんだかんだで大衆に影響を与えてしまう。

 決して驕りなどではなく、嵯峨山はこのライヴ配信を通じて、批判や誹謗中傷的な書き込みで憂さを晴らそうとする視聴者たちを相手に本音で向き合ってみる事にした。

 挑発的な発言と捉えられたのか、チャット欄の書き込み数が一気に増え、目で追う暇もなく流れていく。

 その中でも“MOKA”や“モカ”という文字だけはやたらと目立ち、スパチャでも嵯峨山とモカの関係性について詳しく説明するよう要求する内容が多かった。

「モカとの件に関してはホンマ何もない。ただのビジネスパートナーやってっ。付き合ったりとかはしてないよ・・・・・・でも正直オレは好きや。こんなん言うたら向こうに迷惑掛かるかもしれんけど、好きやからゲストに呼んで一緒に仕事させてもらってる。欣也と二人でこのチャンネルやってる時より、モカも入れた三人でやってる時の方がめっちゃオモロイやろ? 可愛いし、アイドルやってる子やからさ、嫉妬する視聴者さんがおんのもしょうがないと思ってるけど、これからも応援してくれへんかな? もっとみんなを楽しませるような動画、いっぱい上げていくからさ」 誠実に腹を割って話したつもりではあったが、嵯峨山の予想に反して、視聴者からのコメントはより過激で辛辣な内容を含む反応で溢れていった。

 何か以前とおかしい。うまくは言えないがファンもアンチも自分の意思に反した無意識で発言している気がして、嵯峨山は自分のライヴ配信を視聴している人たちが全員AIか何かに置き換わってしまったかのような違和感を覚えた。

 嵯峨山がそんな違和感を抱きながら、言葉を選んで慎重にライヴ配信を続けていた時、バルドー教団の施設内では、新参者の信者に対して不穏なイニシエーションが行われようとしていた。


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