ビリケン黙示録 畜生道変

祐喜代(スケキヨ)

プロローグ 浪華の夢

 

 地獄なし極楽もなし我もなし ただ有る物は 人と万物

 神仏化け物もなし世の中に 奇妙不思議の事はなおなし

         ―山方蟠桃「夢ノ代」—

 

 

―—これでいいのだろうか?

 地上252メートルにある咲洲コスモタワーの展望台から、ようやく完成した夢洲の万博会場を眺め、吉村は一抹の不安を感じていた。

 2350億円にまで膨張した会場建設費と海外パビリオンの相次ぐ撤退を巡り、一時は開催中止を叫ばれた万博ではあったが、関係者の努力と理解ある国民のおかげでなんとか無事開催まで漕ぎ着けることができた。

 この万博開催を足掛かりにIR事業を夢州に推し進め、このベイエリアから大阪、関西を東京を凌ぐ国際都市にして日本を変える。

 東京一極から東西二極へ。

 順風満帆ではないにしろ、故・堺屋太一先生から大阪維新の会が託されたその思想と夢は着実に前進している。

 制度としての大阪都構想実現に至っていないが、共に大阪維新である府知事と市長の連携が取れたバーチャルな大阪都構想は橋本知事時代からうまく機能し続け、日本初の市営地下鉄民営化に始まり、府立大学と市立大学の統合、港湾局の設置など、府市でバラバラだった港湾行政の一元化を実現して来た。

―—なのになぜ? この不安は一体なんなんだ?

 吉村は夢洲に落としていた視線を展望台の東側エリアに向け、そこから見える大阪の中心部と高層ビルの狭間から微かに顔を覗かせる大阪城の天守閣を見据えた。

 古代と中世において大阪は首都だった。

 大阪城がある上町台地は古代には唯一の陸地で、西の大阪湾と東の河内湖が占める水域に突き出した半島の形を成して南北に伸びていた。

 七世紀に入ると、その上町台地の北端に難波宮が建設され、約百五十年の間、都として機能した。

 天皇の住まい、政治、儀式の場を明確化した構造は難波宮が最初であり、難波宮から日本という国号、元号の使用が始まったとされている。

 飛鳥からこの地に遷都した孝徳天皇は改新の詔を発し、その第二条で唐に倣った難波宮を日本初の首都に定めた。

 その後度重なる遷都により中世まで首都としての座を余所に明け渡すことになったが、古来より都の外港として機能し、琵琶湖水系に繋がる淀川の水上交通も発達した要衝地だった難波の地は、真宗本願寺教団の八代目法主である蓮如の目に止まり、「大坂」という地名を初めて歴史に登場させた。

 蓮如は「大坂」という名のとおりに坂道が多かったこの地に坊舎を建て、畿内各地での積極的な布教活動と四国・西国への教線拡張を図るため、御坊を中心とした広大な寺内町を発展させた。

 蓮如無き後、西国攻略の拠点を大坂に求めた織田信長と本願寺の争奪戦を経て、明智光秀の謀反により天下を取る好機を得た豊臣秀吉がこの地に大阪城を築いた。

 豊臣時代の大阪城は現在の大阪城と比べてはるかに大きく、面積は4~5倍を擁した。

 その範囲は、東はJR環状線近くの元猫間川、北は旧淀川、西は阪神高速道路を通る東横堀川、南は空堀の商店街あたりにまで伸び、そこを城の防御の最前線である惣構とした。

 秀吉の都市計画は壮大なもので、当時の貿易港であった堺を大阪の外港として取り込み、経済的基盤の強化を図ろうとした。

 大阪城の南から四天王寺までの間に、平野の商人たちを移住させ、城の北方の天満地域には京から天皇を招くための御所の敷地を確保し、天皇の招致には失敗したものの、城の惣構がある南方と天満の北方に寺院を集めて寺町を作った。

 慶長3年に起こった大地震で堺の港に壊滅的な打撃を受けたことをきっかけに、秀吉はその都市計画を大きく変更し、港の機能を大阪の船場に持たせるため、城下町を惣構の西方にまで拡張し、船場を開いた。

 砂州の上にある低地だった船場に大規模な盛土をして真っ直ぐな道路を区分けし、東横堀川、西横堀川、土佐横堀川といった運河も開削した。

 現在の大都市大阪の原型はこの豊臣時代に出来上がり、大阪夏の陣による転換期を経て豊臣から徳川の世に移っても、大坂が城下町であることに変わりはなく、「天下の台所」という異称が通用するくらい全国の物資を大量に集散する流通の中核市場となった。

 武家が主体であった江戸の町とは違い、大坂は町人が主体となって大規模な経済と独自の文化を発展させ、近世城下町の最高到達点にまで上り詰めて江戸と東西二極でこの国の繁栄を支えた。 

 そして明治維新を迎え、以後一世紀に渡って東京への一極集中が続いているが、内閣制度発足前に実質的な内閣総理大臣を務めた大久保利通は、他国との外交、富国強兵、軍備増強などにおいて、地形的に適当な大阪を日本の首都にする遷都案を出していた。

 その遷都案は採用を見ずに幻となってしまったが、日本の近代化はまず大阪から始まり、国の中心機関となる造兵司(後の大阪砲兵工廠)、造幣局、舎密せいみ局(理工系教育機関)がいち早く大阪に置かれ、それに続く民間の紡績工場が日本初として大阪に誕生した。

 日清戦争の頃には戦争特需もあり“東洋のマンチェスター”と呼ばれるほどの活況ぶりを見せ、その後大阪は第七代目の大阪市長にあたる関一せきはじめの功績により、人口が過密した都心部と郊外を結ぶ高速鉄道構想を具現化して「大大阪時代だいおおさかじだい」と呼ばれる急成長期に入る。 

 それ以後大阪の繁栄は翳りを見せ始めるが、大阪には風雅と粋を好み、洒脱さと遊び心を持った大阪人特有の文化がまだ残っていて、商業の町で培われてきた斬新でユニークな発想と権威におもねらない自由な精神も健在だ。 

 過去二回に渡る住民投票で制度としての大阪都構想が実現していれば、大阪は狭い地域的なエゴイズムを脱し、2025年の今年1月には新たな四つの特別区に再編されて始動していた。

 大阪府から大阪都へ。大阪は名実ともに変わらなければいけない。大阪府民や関西圏の人たちがその夢を皆で共有した時、大阪はかつての繁栄を取り戻す。

 そしてその先にあるのは遷都を視野に入れた関西帝都計画だ。

 国家に都は一つ。天皇を京都に戻し、政治、経済、文化の中枢を全て関西圏が担う。

―—出来れば自分の代でそれを成し遂げたい。

 吉村は再び夢州の万博会場に視線を戻した。そこから見下ろす万博会場は、世界最大級となった木造建築のリングが作る壮観な景色に支えられ、大催事場の一際目立った金色に輝く大屋根と、各国の様々なパビリオンをその中にうまく包括していた。

 経済効果3兆円を見込まれるこの万博会場が海に浮かぶ大阪の胎盤となって、今後更なる富を大阪と日本に産む。 

―—でもやはり何か物足りない。いや、むしろ本能的に何か重大な欠陥がそこにあるような気がする。 

―—それは一体なんだ?

「府知事、まもなく会見のお時間です」

 答えの出ない漠然とした不安を抱えたまま吉村は展望台を後にした。  

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