隣に住んでいる女優がよくグチを言いにくる [改訂版]

宮田弘直

お隣の女優と胸の話

「ねぇ、聞いてる? 隼人君!」


 よく通る声がリビングの方から聞こえてくる。


「はいはい、聞いてますよ」


 台所で皿を洗いながら、僕、佐々木隼人はそう答えた。


「えー、じゃあ私がなんて言ったか言って?」


 ここで間違えると後が面倒だ、僕はそう思うと作業の手を止め先程の会話を思い出そうとした。


「はい、時間切れー」


「ちょと、制限時間なんてあったんですか?」


「ないけど、ちゃんと私の話を聞いてたらすぐ答えられるでしょ?」


 知り合ってまだ長くはないが、いつもより当たりが強い気がする。

 どうやら相当嫌な事があったようだ。


「トゥイッターで嫌な事を書かれたっていう話でしたよね?」


 僕がそう答えると、「正解!」と、明るい声が返ってくる。

 どうやら少しは機嫌が良くなったらしい。


「それより、隼人君はまだお皿洗ってるの? 早く聞いて欲しいんだけどー」


「今行きます」


 そう答えると食後のコーヒーと軽く摘めるようにチョコレートを持ってリビングに向かった。


「もう待ちくたびれちゃったよ」


「待たせてしまってすみません、コーヒーとチョコレートをどうぞ」


 僕はそう言いながら、彼女の向かい側にあった椅子に腰を下ろした。


 しかし、今だに信じることができない。

 普通の高校二年生である僕と話している人が……


「あっ、そのチョコレート私がCMに出ているやつだ! 買ってくれてありがとう!」


 今を話題の女優、水野風花だなんて。


 水野さんは僕の部屋の隣に住んでいて、どうやら僕の一つ年上らしい。


 ひょんなことから知り合い、テレビで見ない日なんてない程の女優である彼女が僕の部屋に来るなんてあり得ない事過ぎてとても戸惑った。


 しかし、彼女はそんな僕の気持ちは関係なしでふらっと僕の部屋に来ては愚痴を言って帰っていく。


「それで、なんて書かれてたんですか?」


「番宣で出たクイズ番組で同い年の女優の子と共演したの。そしたらその番組の感想で、その女優の子より大分胸が小さいってかかれてたの! 信じられない!」


 僕が尋ねると、水野さんはそう言って口を尖らせた。


 まさか胸の話とは、この場合どう答える事が正解なのだろうか。


 異性との交際経験ない僕には無理難題だ。


 しかし、僕の視線はつい彼女の胸元に行ってしまう。


 服の上からである事に加えて、僕の主観にはなってしまうが、水野さんの胸が小さい様には思えなかった。


 すると、僕の視線に気付いた彼女はイタズラな表情を浮かべながら椅子から立ち上がると、僕の方に回り込んできた。


「ねぇ、隼人君も私の胸が小さいと思う?」


 彼女の吸い込まれそうな大きな目で見られるとドキドキして直視する事が出来ない。


 僕は慌てて彼女から視線を逸らすと、「あ、いや」と、誤魔化す事しか出来ない。


 そんな僕を見て水野さんは更に近づいてくる。


「ぼ、僕の腕に当たってます!」


 すると、彼女はそのまま近付いてくると僕の腕に胸を押し付けて来たのだ。


 現在は五月。

 夜とはいえ、暖かいので彼女は薄手のTシャツ一枚だ。

 確かな質量を腕に感じ、大慌ての僕を見て、水野さんは、胸を更に強く押し付けてきた。


「それはそうだよ、当ててるもん。それでどう? 私の胸は小さい? それとも服を脱いで直接見てみる?」


 勿論、僕は女性の胸は見た事が無いのでなんとも言えないが、Tシャツ越しから胸の大きさはスタイルの良さを感じさせる。


 さらにシャンプーの匂いだろうか。

 水野さんから良い匂いがしてきて、さらに僕の動揺を加速させた。


「い、いえ、その必要はないです! 小さくないと思います!」


 流石に水野さんに揶揄からかわれている事は分かってはいたが、動揺した僕にはそう言葉を返す事が精一杯だった。


「フフッ、そう?良かった?」


 答えたのに水野さんは僕から一向に離れる気配がない。


 僕は動揺をなんとか抑え込みながら口を開いた。


「あのー、答えたので離れてもらえると……」


 すると、僕の言葉に水野さんは不満そうな顔をすると口を開いた。


「小さくないって言ってくれたのは嬉しいけれど、感想がそれだけなのは悲しいな」


 そんな事を言われても、それではなんて答えれば良いのだろうか。


 そんな僕の戸惑いを感じ取ったのか、僕の顔を見ていた水野さんが再び口を開いた。


「私の胸は柔らかい?」


「えっと、その……」


「答えてくれないなら脱ごうかなー」


「や、柔らかいです!」


 そう言いながら、ゆっくりとTシャツの裾に手を掛けた水野さんを見て、焦った僕は慌てて声を上げた。


 その僕の答えに水野さんは満足そうに一つ頷いた。


 こんなにも、揶揄ってくるとは、相当トゥイッターの呟きが不満だったのだろうか。


 そんな事を考えていると、不意に水野さんが僕の耳元まで近づいて来た。


 彼女の長い髪が耳に当たりくすぐったく感じる。


「じゃあ、隼人君は私の胸を触れて嬉しい?」


 そうささやく水野さんの吐息が僕の耳をさらにくすぐる。


「えっ? いや、その……」


 まさか素直に嬉しいとは恥ずかしくてとてもじゃないが口にする事が出来ない。


 とは言え、他に返す言葉を思い付く事が出来ない僕は、口をもごつかせながらそう言うのが精一杯だった。


「隼人君、どうなの?」


 すると、僕から返答を貰えなかった水野さんは再度、僕の耳元で囁いた。


 こう何度も囁かれては僕の理性が持ちそうにない。


 そう思った僕は観念して、口を開いた。


「いや、その、嬉しかったです」


「ありがとう、嬉しい」


 そう言って水野さんは嬉しそうな表情を浮かべると、僕からゆっくり離れた。


 水野さんが離れた事で、ようやく僕は少し平常心を取り戻す事が出来た。


 そして、今後も突然、こんな事をされては身が持ちそうにない。

 そう思った僕は釘を刺しておこうと思い、口を開いた。


「心臓に悪いので突然こんな事するのはやめて下さい」


 そう言うと、水野さんは僕の言葉にわざとらしく首を傾げた。


「それなら、突然で無ければ良いの?」


 水野さんのその切り返しに僕は言葉を詰まらせた。


 心臓に悪いのは確かだ。

 こういう事を何度も突然やられたら、心臓がいくつあっても足りそうにない。


 しかし、思春期の男子には、今の感触を忘れる事など、到底無理だ。


 水野さんの提案に突然で無ければ、大丈夫なのではないだろうか。


 そうして、結局、その気持ちに抗う事が出来なかった僕は顔を赤く染めながら口を開いた。


「と、突然でなければ」


 何を言ってるのだとは思うが、欲望に嘘はつけない。


 すると、僕の解答に満足をしたのか、水野さんはニヤニヤしながら、僕の頬を指で突いてくる。


「隼人君は可愛いね。そんなに私の胸が良かった?」


「……いや、まあ」


 そうしてしばらく僕の頬を突いて満足したのか、突然、「うーん」と言って、背伸びをした。


「隼人君のお陰で元気出たよ、ありがとう!」


 僕は揶揄われていただけではないかと思ったが、まぁ、元気が出たなら良しとしよう。


 僕は無理矢理そう結論付けた。


 そう考えていると、水野さんは時計を見ながら、「あっ、もうこんな時間。そろそろ帰るね」と、僕に声を掛けた。


 そうして、帰る支度を終えた彼女を玄関まで送る。


「今度からは隼人君を抱き締めながら愚痴を聞いてもらおうっと」


「……お手柔らかにお願いします」


 冗談っぽく笑いながら言う水野さんに、僕は苦笑いをしながら言葉を返した。


 水野さんは、その答えに微笑むと、「またね」と、小さく手を振りながら玄関から出ていった。


「はぁー、疲れた」


 緊張が解けた僕は床に座り込んだ。


 こんなにからかわれていては身が持ちそうにない。


 でも、それと同時に彼女とのやり取りを楽しみに感じている自分もいた。


 どうして、こうなったか。


 それは一ヶ月程前の出来事だった。


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