Trash Box

第1話

 小さな謝罪の言葉は嬌声が混じっていた。唇だけの「ごめんなさい」は彼氏である僕に向けられているようで、少しニュアンスが違う。どう聞いても、罪悪感から逃れたい時の声色だ。

 20秒早戻しする。軽く反った腰に並ぶ小さな黒子ほくろも、後ろから突かれる度に揺れる控えめな胸も、摩擦から生まれる水音も、全て知っている。触れて感じたことがある。

 同じだ。薄いモザイク越しに映る彼女のがった表情を確認し、何度目かの確信を得る。

 そこに映るのが僕でない事だけが、違った。大きくしなやかな手で彼女の滑らかな黒髪を撫でる男は、時折漏らす囁きに1ミリの感情も込もっていない、ように見える。ただ低く甘い常套句を一定のリズムで垂れ流しているだけなのに、弥生やよいは恍惚とした表情でそれを受け入れている。


 その男と僕の何が違うのだろう。


 薄暗い部屋を照らすブルーライトは緩慢とした思考を焼き、僕の頭を机に押さえつける。デスクトップ画面の小さなゴミ箱ファイルの中にだけ存在するMP4が、今でも僕を縛り付けている。「完全に削除する」と書かれた箇所にカーソルを動かし、最後の一線を超えられないままだ。30分ほどの動画をまた再生し、無為な時間を過ごしてしまった。

 視線を現実のゴミ箱に移せば、丸めたティッシュの山が負債のように積み重なっている。その動画を何度使ったのかもう覚えていないが、今日でカウントがひとつ増えたのは確かだ。


 編集された動画に表示されたテロップには、撮影日が記載されている。2年前の6月23日、僕と弥生がまだ恋人だった頃だ。別れ際に送られたメッセージには、こう書かれていた。


『須藤くんじゃなく、私が全部悪いの』

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