回顧4
「あああああ、ああああぁっぁぁ! いたい、いたいいだいイダイィィィィ!」
「黙れ、馬のクソ以下の阿婆擦れ女が。ルクシィの痛みはこんなものじゃない」
クルスアイズにとって、ルクシィと過ごした二週間は夢のようだった。
そもそもあれは現実だったのか。実は幻覚だったのではないだろうか。
そうであれば諦めもつくが、事実として。
「ゆるして、おねがい、やめて、ね、ゆるして、ゆるしてユルシテ――」
目の前で耳障りな叫び声を上げ続ける女、ムルテガ。
両手両足を壁に埋め込んだ女の体にはナメクジのような形をした、燃える石炭のように赤く色づくナニカが無数に張り付いている。死なない程度の火傷を負わせ続ける軟体生物が、女の体を駆けずり回る。
「あヅい、あついあついあづいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!」
魔法を我が物顔で行使し、気に入らない人間を平然と殺し、自然で暮らす動物たちを玩具のように弄ぶ。クルスアイズには耐えられなかった。魔法はそのような残虐な使われ方をするべきではない。
クルスアイズは自分の思考と行動が矛盾していると自覚しながら、それでも制裁をくだすことを止められなかった。
ルクシィと過ごした二週間は夢のようだった
夢は終わった。彼は現実の真っ只中に立っている。しかし以前の彼はもういない。彼には一つの目標があった。その目標さえ達成すれば、焦げ付きにならずに済む。
苦痛にもがくムルテガを地下牢へ置き去りにし、外へ出る。ここに戻るつもりはない。彼の行動はすべてある一点に収束しており、ゆっくりと汚物が焦げ死ぬ過程を眺める暇などないのだ。
ルクシィの魂がある場所に、自分も向かうことだけに注力していた。
◇
「はぁっ! はぁっ! みんな、たすけて、タスケテくれぇ!」
「はははっ、どうしたクルス! 熊でも出たかぁ?」
「お前も男なら一人で殺してみろよ~。ああでも、お前は魔法が使えないんだっけか」
ムルテガを蔑んでいた雰囲気を払拭し、クルスアイズは怪物にでも遭遇したかのように息を切らしながら、ある場所に転がり込んだ。
彼らは皆、ルクシィの血を飲んだ。
粗末な魔法を使って優越感に浸り、クルスアイズを見下す内心を隠しもしない彼らは、次の言葉でぴたりと止まった。
「ムルテガが……ムルテガが王族連中に捕まったんだ! 魔法を使ってるとこを見られて!」
「は、はぁ!? 嘘だろ!?」
「本当だ! あの子を今日町のどこかで見かけた奴がいるのか!?」
閑散とした空気の中、誰かが尋ねた。
ムルテガはどうなったのか。
「わからない。ただ……魔法が使える以上、異端審問にかけられるかもしれない」
「この国は黒魔術の使用を禁止してるからな。
「じゃ、じゃあ、俺たちも、ムルテガみてぇに……」
国内の一部では魔女信仰や悪魔崇拝の風潮が生まれていた。王族貴族はそういった怪しげな結社を見つけては次々と処罰していくも、根絶には至っていない。
彼らは知っている。捕まれば拷問にかけられ、どのような結末を辿るのかを。
「頼む、みんな、ムルテガを助けてくれ! 魔法が使える皆なら国王軍なんて圧倒できるだろう!?」
「いや、でも……」
見下す笑みが一転し、葬式のようなムードが室内を満たす。
使えない奴らだ。
クルスアイズは俯いて喋らなくなった男たちを内心で嘲りつつ、過剰なお世辞で彼らを装飾する。
「俺はこれが運命なんだと思ってる」
「なんだよ、いきなり」
「皆は特別な力を手に入れた。それは革命のための力だ。皆だって内心では不満に思ってるんじゃないか。今の王族の横暴なやり方に!」
「…………」
「ムルテガの身に危機が迫っているが、これはチャンスだ! ムルテガは濡れ衣を着せられた! 彼女を救うために王族連中の脂ぎった顔をひっぱたいてやろう! そして俺たちで新しい国を作るんだ! 血統じゃなく、本当に力を持った人間が正しく導くべきだ!」
それは論理が破綻した、夢物語にしか聞こえない主張だった。しかし自分よりも大きな権力が気に食わないのは共通しており、なにより、彼らは銃や大砲をはるかに凌駕した能力が身につけたばかり。
「……そうだ、クルスアイズの言う通りだ」
誰かが賛同した。あとは山火事が燃え広がるように決起の雄叫びが連なり、部屋中に男たちの叫びが木霊する。
「俺たちで国を変えるんだ!」
「そうだ、俺たちに怖いものなんてねえさ! 百人だろうが二百人だろうがぶっ殺してやる!」
一刻も早くムルテガを救うため、男たちは急いで支度をして王都に向かった。
焦燥に駆られる彼らを見送るクルスアイズは、最後には口角が吊り上がるのを抑えきれなかった。
彼らが王都に辿り着ける未来はすでに絶たれているから。
◇
男たちが蜂起し、王都へ向かってから十八時間後――
「ちくしょおぉぉぉ! クルスアイズぅぅぅぅ! 騙しやがったなぁぁぁぁ!」
メンバーの一人が空に吠えている。手足を枷で繋がれ、絞首台に立ちながら。
「口を閉じろ、責務を忘れた薄汚い罪人め。クルスアイズは英雄だ。危険を冒して貴様らの企てを国王様に報せたのだからな!」
反逆の狼煙はものの数時間で消沈した。
クルスアイズはあらかじめ、王都に向かって密告しておいたのだ。自分の町の一角で王権打破を企てている輩がいると。自分が彼らを誘導するので狙撃部隊を道中に配置し、一網打尽にしてほしいと。
地方貴族としての立場のおかげでクルスアイズの計画は滞りなく進んだ。
メンバーの大半は銃弾によって死亡した。わずかな生き残りと蜂起に加担した者の一族郎党が王国兵士によって逮捕され、いま、目の前で処刑が執り行われようとしている。
「くっそぉ! てめぇらなんざいつでもぶちころしてやれんだぞ!」
激昂する男が手のひらを突き出す。しかし、何も起こらない。
刑吏に殴られ蹴られ、ついに虫の息となる。
「……はっ、馬鹿が。ここは魔素が薄い。野蛮人にはそれがわからんようだな」
広場に集う見物人たちに紛れながら、クルスアイズは冷たく吐き捨てた。
ギロチンが落ちる。頭から離れない霧が少しずつ晴れていく。
ギロチンが落ちる。歓声が上がる度、ルクシィのことを想う。
もはや思い残しはない。ルクシィが眠る森の中で、毒を飲んで天国に迎えにいこう。
「復讐は虚しくなんかない。最高だ。ああ、やり遂げた。俺はやり遂げたんだ……あ?」
そして最後の一人が絞首台へ上がる。まだ十にも満たない幼い男子が、泣きじゃくりながら鎖を引っ張られている。
「…………」
もしも、もしもだ。ルクシィとの間に子を為したなら。
クルスアイズは思わず駆け出していた。
「お待ちください!」
「どうかしたかね」
「裁判長殿。その子だけは……その子供だけは、どうか無罪放免にできませんか! まだ何も知らない子供です! きっと、魔女のことなんてこれっぽっちも知りやしない!」
「そうは言ってもな。罪人と血の繋がりを持つ者は皆極刑に処す。国王様がそうお決めになられたことだ。君の一存でどうこうできると思うなど、不敬だぞ」
「であれば、その子を私の養子にいただきたい!」
「ほう?」
奇妙な沈黙に、ざわめきが走る。
クルスアイズは懇願を続けた。
「先日、私は国王様からの褒賞を保留と致しました。私は責務を果たしただけ。そのために褒美を授かるなど面の皮が厚いと思い、決められなかったのです。しかし許されることならば、その子供の命、私に譲ってはいただけないでしょうか!」
「…………」
「我が家名に誓います! 私の手でその少年を育て上げ、いつか国にお役に立つ立派な青年にしてみせると!」
「……よろしい。ではこの子供に限っては一旦刑を保留とし、判断を仰ぐ。それでいいな?」
「はいっ、ありがとうございます!」
決して計画的行動ではない。しかしこの判断がクルスアイズの後継者を作った。
救った命の名は、ズイン――〈ラ・コトン〉を創設する者。
◇
「……本当に、ありがとうございます。クルスアイズ様。ぼ……私は――」
「いいんだ、ズイン」
処刑が終わり、無事にズインを養子に迎えたクルスアイズは、さっそく自分の屋敷へと息子を迎え入れた。
国の一大事を報せた功績。そして今回の騒動で婚約者を失ったことへの同情もあり、クルスアイズの願いは果たされた。
「俺が憎いか?」
「っ……い、いえ、そんな……」
クルスアイズの密告によってズインの一族郎党は根絶やしにされた。
否定を口にした少年の顔には怨嗟の念が滲んでいる。
「ズイン。君には……俺を恨む権利がある。だからすぐに心を開いてくれとは言わない」
今にも泣きだしそうな少年と同じ目線になるよう膝をついたクルスアイズ。
「だが俺は君が大人になるまでの時間を保証する。君に恨まれようと、殺意を向けられようとね。だから……いつか、君が俺を父上と呼んでくれたら嬉しいよ」
肩を強張らせる少年の体を抱き寄せるその姿勢は、真摯に子供に向き合う父親そのものだった。
「っ……。はいっ」
この時はまだ、独りぼっちになった者同士が家族となっていくだけの話になるはずだった。
クルスアイズの決断にはいっさいの企みがなかったのだ。
この時は。
◇
ムルテガは国へ反旗を翻す計画に反対したために殺された。
それを知ったクルスアイズは覚悟を以て王族へ密告した。
謀反を企てた者どもとそれに連なる者はみな反逆罪で処刑された。
おおむねの筋書きはこうである。
その結果として、気に入らない人間に濡れ衣を着せて罪に問わせる『魔女狩り』が横行し、国が傾くこととなるが、クルスアイズには些事であった。
「さて、どうしたものか。あの子が大きくなるまではこの毒はお預けか……」
一度しか飲めない液体の詰まった小瓶を引き出しの中に仕舞うクルスアイズ。
生き続けるつもりは毛頭なかった彼は、もう少しだけ人生計画を練らなければならない。
遺産を相続できるようになるまでは育ててやろう。
溜息をつきながら未来を思い描く。一つの目的を達成したことで漏れ出る、疲れとは別種の、細胞から活力が抜けていくようなけだるさ。手足が重い。
『……ルス……』
そして予想図は、花開く。
『クルス、聞こえる?』
「……はは、とうとうおかしくなっちまった。ルクシィの声がする」
『ちょっと、幻聴じゃないわよ』
「……医者でも呼んだ方がいいか?」
「それ以上ふざけるなら、あんたが私のおっぱいに夢中だったこと言いふらすわよ」
「……………………ルクシィ、なのか?」
『だからそうだって言ってるでしょ。やっと声が届けられるようになってよかっ――』
「ルクシィ、ルクシィ! 君なのか! ほんとうに!? ああ、ああ、ああっっ!!! 今どこにいるんだ、すぐ、すぐに、迎えに行かないとッ!!!」
『ちょっと落ち着きなさいよ! あと声が大きい!』
慌てて口を押えるクルスアイズ。誰かがドアの向こうにいる気配はない。
「……生きて、るのか?」
『えぇ。といっても体は黒焦げになっちゃったけどね』
「じゃあ、どうして……」
『ふふふ。あのね、魔女は特別なのよ。体は駄目になっても心臓は生きてるの。で、私の眷属であるあんただけには、こうして声を届けることができるのよ』
でね、お願いがあるのとルクシィは続ける。
『私の心臓を回収してほしいの。私の血を吸ったあの人間たちの、誰でもいい、そいつに心臓を埋め込んで。そうすれば私は生まれ変われるから』
「……生まれ変わり?」
『うん。本当ならこんな方法は嫌だけど……考えを改めるわ。私ってば人間に対して甘すぎたみたい』
「……なんてこった」
クルスアイズは頭を抱え、復讐を為したことを……成し遂げてしまったことを明かした。
魔女の血を宿す人間は、この世に一人だけ。
「なら、俺が心臓を」
『馬鹿なこと言わないで。あんたがいない世界に返り咲いても意味ないわよ。それともなに、私のことを虐めるのが好きなの?』
「ちがう、そうじゃない……だが、どうすれば……」
『……ねえ、クルス。私が人間のことを嫌いになったって言ったら、私のこと嫌いになる?』
「まさか。俺こそ君に負けないくらい人間が憎いさ」
『じゃあ、教えるわ。疑似的な眷属を増やす方法がね、一つだけあるの』
「どうやって?」
クルスアイズの復讐は終わった。贖罪は済んだ。
ここから始まるは、復活の計画。
途方もない、罪を重ね続ける人生だ。
『私の死肉を生きた人間に埋め込むの。簡単には成功しないでしょうけどね』
◇
月日は流れ、内乱が起こり、王権が失墜する――
「私たちの計画が始まって、もう何年だ? ズインが六十一になるから……五十四年も経ったのか」
〈レヴォルト〉のアジトにある自室にて、クルスアイズは目覚めた。
眠りからではなく、長い回想から。
「ルクシィ、すまない。私はもう間もなく死ぬ。この目で君の姿を再び拝み、この腕で君を抱きしめることができない私をどうか恨んでおくれ」
魔女の疑似眷属、
魔女の死肉を埋め込んだ人間は例外なく死んだ。そこで、その死んだ人間の肉を別の人間に埋め込み、魔女の死肉が有する魔性を薄める。それを繰り返してようやく実験が実を結んだところで、〈レヴォルト〉を嗅ぎつける存在に気づいた。
『大丈夫よ。あなたの息子さんが私を生き返らせてくれたら、必ず冥府からあなたの魂を迎えに行ってあげる』
「本当にそんなことができるのか? 魔女というのは底が知れないな」
『ふふん、あんたにはまだまだ教えていないことがたくさんあるんだから。魔女たちのお茶会とか、怪物たちと仲良くする方法とか。……だから、ちゃんとお迎えされる準備しときなさいよね』
「ああ、楽しみにしてるよ。大丈夫だ、ズインはいい子に育った。あの子は必ず君の復活を成し遂げる。そういう風に教育してきた。私の血も大量に渡したから、
顔も腕も皺だらけの老人が独り言を呟いている。傍から見ればそうとしか思えないやり取り。しかしクルスアイズは今日この日までずっと、魔女と共にいた。肌身離さず持っていた魔女の心臓は息子であり弟子であるズインに託した。弟子がアジトを出発して数日。
クルスアイズの生涯は今日、幕を閉じる。
『あー、見てることしかできないのって退屈』
「むしろ羨ましいよ。年寄りは自分の体を動かすのも一苦労なんだから」
『なによ、眷属のくせに生意気ね』
「それくらいがちょうどいいだろう?」
ドアの向こうから銃声が響く。クルスアイズは杖を掴んで緩慢に立ち上がった。
「ルクシィ、この世界を浄化しよう。そしてやり直そう、私たち二人で」
『もちろんよ。私たち二人で新しい世界を作りましょう』
瑞々しい青い髪。永遠に輝く柔肌。濡れた唇。
年老いても色褪せない人生の絶頂期。忘れやしない彼女の顔を思い出しながら目を瞑る。
ドアが蹴破られた。
「……クルスアイズ殿。どうして……」
「やぁ、ディルファイア。内乱の時以来かな? あの時よりも銃を握るのが様になっているじゃないか」
「……秘密結社〈レヴォルト〉の首謀者であるあなたには、聞きたいことが山ほどある。ご同行願おう」
自分に銃を向けながら義務的に口を動かす初老の男を見つめる。
もしかすると、こいつはズインの脅威になるかもしれない。
命の散らせ方は決まっていた。
「好きにすればいい。私も好きにやらせてもらうからな!」
これが最後。蝋燭の炎を借りて、劫火を再現する。
炎は、人間にとって恩恵であり、脅威である。
クルスアイズにとっては後者としてのイメージが強い。
二人の家を燃やし尽くしたあの忌々しい炎。
その炎の中に身を投じるように両手を広げながら部屋中を緋色に染める。
眉間に迫る小さな影が、彼の最期を彩った。
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