第19夜

『おーい二人とも、聞こえるか。まさか俺たちのこと勝手に殺しちゃいねえよな?』

「キオはよわっちぃからいつ死んでもおかしくないっすけどね」

『ひでぇなおい! こちとらマジで死にかけたんだぞ!』

「……無事でよかった、キオ。いまどういう状況だ」


 耳の穴かっぽじってよく聞いてくれ、と前置きしたキオが述べた。


『あの水女のせいで店は木端微塵になっちまった。ガッツのおかげでなんとか生き埋めにならずに済んだけどよ』


 ガルガラの能力で全壊した喫茶店から脱出し、ディルファイア達と合流したこと。

 屋敷には今のところ敵の襲撃がないこと。

 公園は使用人らの要請で警察が封鎖していること。

 ウルスカーナは時計塔に誘拐されたこと。

 さらに「絶対に敵に聞かせるなよ」と前置きしてから、一つの事実を告げた――


「……ははっ。おいクソジジイ、朗報だよ。てめぇんとこのクソアマは下手こいたらしいぜ!」

「ふむ……ランターニールが? にわかには信じがたいがね」

「お嬢様は時計塔に連れてかれた。そうだろ?」

「…………」

「はっ、図星か」


 確信した優勢が崩れる瞬間というのはわかりやすい。

 ほんの一瞬、ズインは言葉に詰まった。それだけで十分だった。


「それがわかったとして、貴様らに選択肢がないことは変わりない。俺たちを倒してそちらに行けるとでも思っているのか?」

「もっかい遊ぼうぜ、なぁ? 依媒キャタリス同士で戦える機会なんて滅多にねえしよ」


 ザルファルクとダヴィエンツが凄む。

 二人の実力が確かであることは認めざるを得ない。

 それでも、ヴェルディたちは一刻も早くこの場から離脱したかった。


『おいやべぇぞ! お嬢が発砲しやがった!』


 時計塔の方角から鐘の音が響く。


『なんだマスター。……いや、ガッツにあの女と闘わせるのは無茶だって! さっきの戦闘でへとへとだぞこいつ! いや、お前は強がるなよ。いや、俺のせいなのは知ってるけどよ……わかった。おい、レイニア! バイクはまだ生きてるか!』

「バリバリ元気っすよ」

『ならお前だけで時計塔に行ってくれ! ヴェルディ、そこの連中を足止めできねえか!』

「……わかった。おいレイニア、耳を貸せ」

「えー、そういうサービスはお嬢様にしてくださいよ」

「耳引きちぎるぞ」


 ヴェルディがレイニアを抱き寄せる。

 その瞬間だけは普段通りのふざけた日常のやり取りに近く。

 囁きを聞き終えたレイニアの表情がゴーグルの中で引き締まる。


「……えー、ひっどーいヴェルディさん! あたしのことお荷物って!」

「あぁ、だからその荷物を早く届けに行ってこい」


 周囲に聞かせるようなわざとらしいやり取り。

 会話を断ち切るように、レイニアはバイクを吹かせた。


「んじゃ、あとは頼みます」


 キャスケットを被り直し、信頼から芽生える気軽さで急ターンする。


「いかせるか!」


 光を喰らいつくす漆黒の風がそれを逃さない。


「それはこっちの台詞だ」


 壁――

 闇をも飲み込み糧とする壁だった。血液が上昇と凝固を繰り返し、連綿とした赤が空を覆いつくす勢いで壁を構築していく。

 それはズインたちを包囲するように。

 なおかつ、ヴェルディごと閉じ込める巨大なドームと為った。


「しばらく付き合ってもらうぞ」


  ◇


「いやはや、素晴らしいね。全部君の血なのかい? なにも見えないね」

「オーベック、ボスを放すなよ」

「わかってますよ!」


 目新しい物を目にしてはしゃぐ子供のようなズインの声が響く。他の者は警戒の念を滲ませ、特にオーベックは夜の森に放り出されたようなか細さを露呈している。


「まさかこれは自力で編み出したのかな? 君を手元に置いていた時に教えたのは初歩の初歩だ。ふむ……素晴らしい、素晴らしいよヴェルディ! もっと私に君の成長ぶりを見せておくれ」

「無駄話はやめてもらおうか。お前をつい殺してしまいそうだ」

「ほう? ならばなぜすぐにそうしない?」

「ボス、挑発するな。この状況は圧倒的不利だぞ」


 緊張で固まったザルファルクの注意が飛ぶも、反省の色は浮かばない。


「……ユリアを解放してくれるというのなら、お前たちを見逃してやってもいい」

「……ほぉ?」


 ヴェルディの提案がズインの声音を変える。


「いいのかい? それは明確な裏切りだろう?」

「私はユリアを探してきた。その為に利用していただけだ。お前たちも知っている通り、こちらには耳が良すぎる同僚がいるからな。こんな話ができるのもここだけだ」


 もっとも、ヴェルディにそのような魂胆は欠片もない。

 時間が欲しいのだ。レイニアがウルスカーナの下に辿り着くまでの時間が。


「ユリアを即刻解放しろ。私はあの子を連れてどこかに消える。ウィズダム家とは縁を切る」

「なるほど。駒の一つを手放せば向こうも大きな損失を被るわけか。面白い。だがヴェルディ、君の言葉を信用するのは難しいな。そうやってユリアリスを手中に収めた後、こちらに反旗を翻さない可能性はゼロじゃないだろう?」

「お前たちに選択肢があるとでも?」


 光源はなく、ヴェルディにも敵の姿は視認できていない。しかし逃げ道を塞いだ今ならば剣による飽和攻撃とドームを圧縮することで圧死させることができる。連中がズインを守りながら能力を存分に振るうことはできないだろう。


「はっはっは。そんな脅しは通用しないよ。君は交渉が苦手なようだね」と、自転車に初めて挑戦した子供を慰めるような調子で「殺したければ殺しなさい。だが、先ほどの言葉を忘れたわけではないだろう?」と物騒な言葉をつづけた。


「この密閉空間でお前を殺せば、お前の死があの子にすぐ届くはずがない。違うか?」

「ふむ、たしかに。でもユリアリスの精神が崩壊する運命は免れなくなるよ?」

「それが私を惑わせるための嘘という可能性もある」

「はっはっは。なら私を殺して試してみればいい。その結果で大切な友達を失ってもいいのならね」

「ならあの子を救う方法を教えろ」

「それは無理な相談だ」


 暗闇の向こうに、ねばつくような笑みがありありと浮かぶようだ。


「……………………」


 ディルファイアの言葉がリフレインする。

 ――「忘れるな。人の命の重みとは、どれだけの情報を握っているかだ」

 ユリアリスを取り戻す上でズインの存在は必要不可欠というわけだ。

 殺さなければならない怨敵である。

 羽虫に等しい温情を掛ける余地のない命は、ユリアリスにとってのギロチンに等しい。あの首を切り落とせば、ユリアリスの命までもが――


「ふふふ、お悩み中のところ申し訳ないが、もう一ついいことを教えてあげよう。……なぜ私がこちらの手の内をあっさり明かしたと思う?」

「……なんだと?」

「それはね、その情報が隠しておく必要性が薄いためであり――君と同じで、時間稼ぎのためだからだよ!」

「――――」


 役者じみた台詞がしわがれた声音で響く。それを合図に鋭い影が無明の世界を奔る。風が通る隙間すらないはずが、突風の唸りを耳にする。闇風が全身を貫いた。


「ちっ……! 老人の命が惜しくないみたいだな!」

「自ら目が見えない状況を作った時点でお前の負けだ」


 鼠一匹忍び込むこともできない空間に翼のはためきが起こり、風が荒ぶる。羽根が突き刺さった衝撃で体が仰け反り、吹くはずのない突風で吹き飛ばされる。

 さらにヴェルディの耳は聞いた。丸太で門を叩き壊すような、地響きに似た騒音が立て続けに轟くのを。


「ザルファルクー! 時間稼ぎ頼むぜー!」

「お前は口よりも腕を動かせ、ダヴィエンツ」


 視界を奪ったはずの依媒キャタリスたちが自由を得た。水を得た魚のように。春の日差しを浴びる花のように。堅牢な暗黒世界を破壊せんと巨人が腕を振り、有翼の悪魔はこの世界の主人に刃を向ける。

 ヴェルディは負けじと空中を血の剣で埋め尽くし、それをありとあらゆる方角に発射した。車椅子の老人には決して避けられない物量で。

 それは老人どころか翼に掠めることもなく、巨人は気にした素振りもせず破壊行為を敢行する。あの細身の眼鏡の悲鳴は一つもない。


「……どういうことだ?」


 呆然とするヴェルディに再度闇の欠片が降り注ぐ。それは超広範囲に射出されているようで、敵もヴェルディの居場所を正確に捉えていないと推測できる。

 しかしヴェルディを妨害するには充分すぎる脅威であり、時計の針を無駄に早め、暗闇に一筋の光が差し込んでしまった。

 敗北の光明を。


  ◇


「キオ、お嬢様まだ生きてるっすよね!」


 灯火式信号機に捕まるたびに発砲したくなる気持ちを抑えながらレイニアは大通りを走っていた。本日は週末。人の出入りが多く、道路はやや混んでいた。乗り捨てようかと考えたが、時計塔で待ち構える強敵のためにも、他の火器を積んでいるバイクは必須であった。


『生きてはいる! だけどよ……! ちとやべぇぞ! あのクソ野郎、お嬢のこと……っ!? あ? なんだ、こいつ……なに言って……』

「なに、なんなんすか! あの坊ちゃん殺せばいいんすか!?」


 要領を得ないキオの言にレイニアが怒鳴る。道行く人が思わず振り向くであった。


 ――「ユリアと戦う必要はない」

 ――「ウルスカーナを助けることを最優先に動け」

 ――「あの子のことは……私に任せてほしい」


 公園を脱出する直前、ヴェルディに囁かれた言葉を思い出す。

 レイニアの苛立ちの要因の一つがそれであった。

 らしくない。らしくないっすよ。

 ウルスカーナが攫われたというのに、どうしてそんな落ち着いていられるのか。一年前のあの騒動を忘れたのか。今回の敵はマフィアなんて生ぬるい相手ではない。


『あのユリアリスとかいう女、ヴェルディのことを待ってるって言ってんぞ』


 お嬢様の敵は、あたしの敵だ。

 それが例え、二年前に救われ損ねた被害者であっても。


「……はっ! ヴェルディさんがわざわざ行く必要もないっすよ! あたしがぶちのめしてあの人のとこに突き出してやる!」


 信号が瞬く。

 レイニアは全力でアクセルを踏み込んだ。

 瞬きを忘れた夕焼け色の瞳で未来を見通しながら。

 睥睨するレミールリクスは小さな訪問者を待ちわびているようだった。

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