第10夜

「……あっぶねぇ~」


 壁の一切、天井の一切が吹き飛んだ野ざらし。

 家財は欠片も姿を残さず塵となって地上に散らばっている。


「助かりましたよ~ヴェルディさん。まじ死ぬかと思ったっす」

「その未来も見えていたんだろう?」

「そうっすけど、心配したっすよ。お腹痛いんすか?」


 ヴェルディが血の壁を顕現させなければ、レイニアも同じ未来を辿っていただろう。未来が見えても太刀打ちできない場合もある。密室の天井が落ちてくれば避けようがないように。

 あくまでも平然とした表情には死にかけたことへの恐怖も、同僚を心配するそぶりもない。


「……気をつけろ、レイニア。彼女は……ユリアリスは音を操る」

「それって……ヴェルディさんがずっと探してるっていう、あの?」

「あぁ。だが今は、……敵だ」

「っすね。……悪いっすけど、あたしも手加減できないっすよ。まぁあたしの銃はぜんぜん効いてないっすけど」


 のんびりと会話をしている現在も、二人を守る壁は激しく叩かれている。ドンッ、ドンッと、まるで丸太で城門を殴っているかのような衝撃が二人を撫でる。そのノックには一切の予備動作が不要であった。毎秒ごとに起こり、骨が震え、空気すらも揺れて髪が震える。


「どうしたのヴェル。隠れてないで早く出てきてちょうだい。せっかく再会できたのだもの、もっとお喋りしましょうよ」

「……愛されてるっすね」

「暖かい場所でコーヒーでも飲みながらお喋りしたいんだがな」


 ヴェルディはため息一つ、肩を密着させたうえでさらにレイニアの耳へ顔を寄せた。

 ノックの音がやかましい。


「ちょっと~そういうのはお嬢様にやってあげてくださいよ」

「馬鹿なことを言う暇があれば黙って聞け。やってもらいたいことがある」

「いいっすよ。あのアマ懲らしめられんならなんでもするんで」


 そしてヴェルディが口にしたを聞き入れたレイニアは――


「……それ、あたし以外にお願いしちゃ駄目っすよ? 普通に死ぬんで」


 あくまでも無表情のまま、遠回りな承諾を口にした。


  ◇


 ユリアリスは昔の記憶を懐かしんでいた。

 まだヴェルディとともに地下の牢獄に囚われていた頃。能力に目覚め、段々と慣れてくると、二人は実力を競わされていた。死なない程度に加減せよと命令されながら。もっとも、二人は互いに向けて能力を行使したくはなかったが――


 魔女の死肉とは別の、現代的で魔女的な流入物のせいで逆らうことはできなかった。


「懐かしいわね、ヴェル。昔もこうして、あなたが作ったものを私が壊していた。随分と硬くなったのね。ヒビ一つ入らないじゃない。とっても壊し甲斐があるのね、あなた」


 この独り言の一つ一つすらもが弾丸となって目の前の赤黒い障害を粉々にせんとする。

 よほど頑丈なのか、或いは絶えず補強しているのか、今も健在である。

 真っ白なキャンバスにペンキをぶちまけるようなはしゃぎようで殺意に満ちた攻撃を敢行しようとしたユリアリスを取り囲むように、キャンバスが何十倍にも増えた。どうぞご自由にお使いくださいと言わんばかりに。


「すごいすごい! 次はどうするのヴェル、このまま私をすり潰すつもりかしら?」


 不気味な色のそれは石の墓標のようでもあり、円状にずらりと並ぶ光景は墓地のようでもあった。奇怪でありながら、芸術的でもある。

 その変異に目を輝かせているユリアリスの真っ赤な瞳が、翳る。

 墓標を駆けまわる一匹の紅い鼠がいたからだ。


「消えなさい」


 横切るメイド服めがけて全神経を集中させる。先ほどの大爆発を凝縮した単発の音によって、空気が割れる。

 加減を忘れた一手によって、壁が数枚粉々に散った。血飛沫は混じっていない。

 視線を巡らせれば、ひらりと舞うスカートがまだある。

 そして、鉛の挑発が数発、ユリアリスの眼前へ迫り、跳ね返る。


「厄介ね、未来が見えるっていうのは」


 ヴェルディに向けていた笑みとは種類の異なる、明らかに異なる、氷塊を削ってできあがったような作り笑顔で殺意が燃える。


「でもあなたの攻撃は効かないわ。銃で撃つしか能のない子供は引っ込んでなさい!」


  ◇


 レイニアは未来を見通すことができる。

 それは国の動向、不治の病にかかった人間の寿命や、競馬の行く末などといった大規模なものではなく――せいぜい数秒程度だ。

 されどその数秒があれば、誰かが階段から足を滑らせる未来を、誰かが道路に飛び出して車に轢かれる未来を、或いは自分が射撃される未来を回避することが可能となる。

 故に、常人ではレイニアにかすり傷一つつけることも叶わない。

 同時にそれは、彼女の能力が一切の殺傷性を有さないことを意味する。


「ヴェルディさんも無茶な注文するっすねぇ……!」


 レイニアの武器は銃器全般だ。

 特に二丁拳銃を愛用し、時にはバイクに仕込んだ重火器を使用することもある。

 つまり、彼女の攻撃手段は常人の域を脱しない。

 ユリアリスを覆う不可視の障壁を突破することは不可能だった。

 それでもレイニアは嵐の勢いで飛んでくる音の爆撃を避けながら引き金を引く。

 敵の注意を引くことが、今のメイドの仕事である。


「ちゃんと狙えよクソアマァ! 全然当たってねえぞ!」

「減らず口を……!」


 ヴェルディが生成する血の壁は破壊されるとすぐに再生する。

 レイニアは絶えず壁の間を縫うように移動し、敵が攻撃する瞬間に移動先を変更する。壁が破壊されようが、破片が撒き散ろうが、そこにメイドはいない。

 ユリアリスが圧倒的な防御力を発揮するように、レイニアも絶対的な回避力を誇る。


「煩わしいわねぇ!」


 心底不愉快そうに声を荒げたユリアリスが両手を叩いた。二度目の災厄が浸透し、平等な暴力をもたらした。しかし壁は一枚も壊れなかった。


「へぇ、範囲が広がると威力も分散するのか! てめぇの手の内見切ったぞ!」

「調子に乗らないで。あなただって私に傷一つつけられないでしょう!」


 挑発に挑発を返すユリアリスの後ろから弾丸が飛来する。

 それが飛んできた方角を集中的に爆破するも、死角からの狙撃が止むことはなかった。


「なら我慢比べだ! どっちが先にバテるか勝負しようぜ!」


 実際のところ、レイニアの弾薬は無尽蔵ではない。その点では圧倒的に不利である。彼女のスカートの裏側には大量の弾倉が備わっている。その量は歩く火薬庫と呼んでも差し支えない。それでも、銃のリソースは有限だ。

 それはユリアリスにもわかり切っていることである。

 その上でレイニアが果敢に吠えるのは――


「その必要はないだろうな」

「っ!?」


 彼女は一人ではないからだ。


「捉えたぞ、ユリア!」


 影からヴェルディが躍り出る。

 その手には血の長剣。さらにユリアリスの四方を覆うように無数の剣が空中より剣先を向けている。

 銃弾をも防ぐ不可視の壁ごと貫く勢いで、ヴェルディは渾身の一撃を放った――


  ◇


 悪人は殺す。

 ヴェルディはその行動原理に疑問を抱いたことはない。

 身勝手な理由で実験の餌食となり、人間をやめさせられ、忘れられない痛みを焼き付けられ、挙句の果てに友を失った。

 悪人は不幸をまき散らす。一人いるだけで何人にも、何十人にも。

 ゆえに、悪人は殺す。

 しかし二つの要因が、この瞬間、ヴェルディを鈍らせた。

 一つはディルファイアの助言――情報を持つ人間の命の重さ。

 もう一つは、目の前にいる悪人が探し求めていた友人であること。

 もしこの場でユリアリスを無力化し、拘束し、連行し、尋問すれば――

 その果てでどうなるか。

 それは考えるまでもない結末だった。

 ヴェルディの脳内にて咄嗟に湧きあがったのは、義務と私欲だった。

 人はそれを葛藤と呼び、葛藤とは対立である。

 その内的対立の末で、ヴェルディは。


  ◇


「…………」


 赤黒く輝く刃がなにかに防がれることはなく、人体を貫くこともなかった。

 両手を広げて出迎えるように無防備なユリアリスは、適当に投げた小石だって命中しそうなほどで。


「……甘いわね、ヴェル」と、ため息一つ。それは暴力となってヴェルディを殴り飛ばす。

「ヴェルディさん!」

「私を傷つけるのが怖かった? 駄目じゃないヴェル。今まで散々人間を殺してきたくせに、大事な場面で怖気づくなんて」

「てめぇ!」

「あぁちょっと。今日はもういいわ。こんなの興ざめよ。話にならないわ」


 肌を射抜くような、凍土の吹雪のように凍てついた声が降る。

 ヴェルディは気を失ってはいないものの、立ち上がれずにいた。

 乱立する血の壁が一気に瓦解してゆく。


「ヴェル、もう一度言うわよ。私たちはあなたに関係するすべてを壊すつもりよ。また大事なものを失いたいのかしら?」

「私は、そんなつもりは……」

「そんなつもりがないのなら、早く決心したほうがいいわよ。でないと……可愛い可愛いお嬢様とお茶をすることもできなくなるわ」

「――てめぇ!」


 劫火の如き形相でレイニアが銃口を向けるも、意味はなかった。

 ユリアリスは遥か上空に逃げた、いや、飛んでしまったから。

 ステップするように足が動くたびにどんどん小さくなっていく姿は無音のままで。

 気づけば、二人きりで月に照らされていた。


「……ヴェルディさん、いったいどうしたんすか。ホント……らしくないっすよ」

「……すまない、レイニア。私は……」

「……謝るんなら、あたしじゃなくてマスターにっすね」


 ほどなくして、二人は来た道をバイクで戻った。

 夜道の中、言葉はなく。

 時間の止まった世界を走り抜けているようだった。

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