白黒バイナリー06
日は沈み、明るい闇が辺りを彩る時間帯。とある珈琲ショップ内で仕事のメールを見ていた男がいた。人と待ち合わせをしていたのだ。一台車が止まったのに気がついたが、まさか自分事だとは思わなかったので、仕事のメールを返すことに集中していた。
しばらくして、その男の対面に男が座った。ようやく来たかと思ったが、その男を視界にとらえた時にはすでに遅かった。その男はごく自然な待ち合わせという形で声を掛けてきた。
「いやあ、すみません、羅さん。お待たせいたしまして。外が騒がしくてですね。遅れましたよ。それにしても今夜は実に物騒だ。外じゃあなんでもけが人が出ていると言うじゃないですか。こんなご時世だからというわけではないですが、いつの時代も夜道には気をつけないといけませんな」
「っあ、ええと……」
分かりやすい作り笑いをしてみたのはなぜだろう。人間まずいと、誤魔化さないといけないと思うとなぜか偽物でも笑うのは万国共通なのだろうか。羅が笑えば、相手も合わせて笑ってくる。その笑みの奥から冷たい酷を覗かせながら。
「羅さん。ドラゴンって知っていますか。そう、あのドラゴンですよ。ドラゴンって言えば、ヨーロッパとかあっちの伝説上の生き物を思い浮かべますよねぇ。いや、かつては本当に生きていたとか信じられてたみたいだが、今となっちゃぁ、そりゃあさすがに無理があるだろうってのは俺でもわかる。いやねえ、俺はどうにもその手のおとぎ話というか、空想話というか、そういうのが苦手なんですよ。地に足がつかない話というかね。この街で言えば、妖刀使いとか、超能力者とかがいると話には聞くが、この目で見ても信じられないんだな。ドラゴンは空を飛ぶんだろ? 血を這うイメージはない。いや、それは俺だけか? なあ、おい?」
男は低い声でドラゴンが地を這うかどうかについて後ろの席の背中合わせに座っていた男に問いかけた。
「はぁい。大衆のイメージでしたら翼を広げて空を飛び火を吹くのが一般的でぇす。本来のドラゴンという言葉はギリシアの言葉なので、元々蛇を意味するドラコから来ているそうでぇす。古代では蛇と竜を区別はしていなかったとかいうらしいので、ドラゴンが地を這っていても間違いではないでぇす」
「詳しいな、おい」
「はぁい。ありがとうございまぁす」
「……だ、そうだよ。ルオさん。なるほどなぁ。ああ、そういや、ドラゴンってのはあんたの国でも竜だよな。ほら、鯉が滝を登ったら龍になるやつ。縁起がいいやつだろ。違うか? いや、違ったらごめんな。なにせ俺、そういうのには疎いもんでよ」
気がつけば店内には複数の男たちが座っていた。いつの間にかである。
囲まれた。
「なあ、ルオさん。だんまりじゃあ、話が進まないよな。ええ? ドラゴンの話はつまらなかったかなぁ。お話したいって、あんたのほうが言うから来たのによぉ。そういや、本題は銀行の話だっけか?」
「いや、まあ、それはデスね……」
「ーーなあ、ルオさん」
男は声を少し抑えて言う。低くて胴に響く声だった。
「じゃあ、別のドラゴンの話をしよう。うちらの業界でドラゴンって言えば、グループだ。空想の生き物じゃない。そう、今思い浮かべたとおり。ルオさん。噂を聞いたんですよ。あなたは大小無数に存在しているグループひとつのリーダーだと。グループの一味で、そのグループのリーダーを名乗って活動していると。だから俺たちずっと探していたんですよ、ルオさん。シンラ・ドラゴン。しかしドラゴンと直接呼ぶのは、そりゃ誰から見てもそれは素人だ。俗称であっても、グループ名じゃない。お巡りさんでも、俺たちでも違う言葉でたとえる。おとぎ話は苦手だが、たとえ話は得意だろ、俺たち。グループの端切れか、末裔か、分派か分からないが、いずれにしても奴らがこっちまで来ているって話はほとんど聞いたことない。あなたはそっちの国のご出身だとか。仮にもグループのリーダーだと言うなら、ルオさん。ある程度のことはご存知でしょう。全部なんて贅沢なことは言わない。初めましての挨拶に、少し互いのことを話そうじゃないか。俺たちも結構銀行に詳しいんだ。顔も融通も利く。敵にしたいわけじゃない。宣戦布告しにきたわけでもない。仲良くしようじゃないか。ああ、それと、仲間が多くてごめんな。ついてくるなっていつも言うんだけど、ついてきちゃって。じゃあ、まずは銀行の話からしますか、シンラ・ドラゴンのルオさん。それとも名前の読み方が違ったか。すまない、中国の言葉にも疎くてな」
この街でのことなら、知ってることなら教えてあげますよ。だから余計なことは謹んで欲しい。知ってるところで暴れまわるよりも、知らないところで好き勝手されるのが一番困るんですわ。汚い金の山っていうのは、遠足気分で足を踏み入れられるほど気楽な山じゃないんですよ。ジャパニーズマフィアは微動だにせず、にたりと笑みを作って言った。
平静に云って、完全な修羅場であった。
***
珈琲ショップから窓ガラスを破って男が転がってきたのを見たメイド服姿の少女は、心底心臓が止まるかと思った。ビラ配りをして、夜を楽しむお兄さんたちの勧誘に精を出していたのだが、まさか目の前の珈琲ショップのガラスを破って逃げ出すとは想像にもしていなかった。また同時に、ひとの少ない方へ走っていたのは、さすがにそれはまずいだろうと思った。人がいるほうが嫌がるものだ。悪いことをする人っていうのは。
「あのお兄さんも大変そうね。この黒い車といい、あまり平穏な人たちには思えないし」
彼女はメイド姿であるが、メイド喫茶の店員ではない。正確には『コンカフェ』の店員である。コンカフェとは、コンセプトカフェの略であり、メイド喫茶のようで、それとは違う。キャバクラより安く済み、かわいい女の子と話したりできるのが魅力で、それを売りとしている店だ。キャバクラとの違いは女の子は必ずお酒を飲まないわけじゃないとか? メイド喫茶との違いはコスプレという名の露出の高い服装である店が多いとか?
メイド姿を売りにする店はそれこそ、水商売では働けない10代の子がメインキャストとなることが多い。若さと幼さを売りにする飲食店でもある。稼ぎどころは二人で寄り添っての写メ代金とか、別途特別料金を支払って入る面談室など。お触り等の性への規制はしっかりとしていて、若い女の子も安心して働けると人気の仕事なのだ。彼女の働いている店も簡単に言えばメイド喫茶以上キャバクラ以下のお手軽版ってところで、風俗のようなノリが一切無いのが安心安全なところ。収入が減ったけど遊びたい顧客と風俗とかは怖いが安心して稼ぎたいキャストの利害が一致した店なのである。
さりとて、その裏側に裏稼業の影があることはさして珍しくない。どれだけ健全経営でも、だ。
市内の現役女子高校生で魔法少女のルルシュシュ・リラ・ルシエは、自分が魔法少女としての使命を放棄して普通の生活に戻る為、“魔の珠”を手に入れる必要があった。夜更かししていた女子高生を魔法少女に変え、その使命を理不尽で無慈悲に押し付けた魔法の精霊からの要求だった。魔の珠は妖刀の鍔にはめられている。妖刀使いの妖刀、その鍔。妖刀使いを調べると社会に背を向ける黒い組織の暗殺者として日夜暗躍していると黒い噂を聞いた。その真相を探るために反社会的黒い組織の息がかかっていると噂のコンカフェで絶賛潜入バイト中、というわけなのだ。
働きだして三ヶ月。
今日ようやく、
起きたのはガラスを破って飛びしたあの男の騒ぎである。全く、これじゃあ潜入の意味がないじゃない。そんなことを思って両手を腰にぷんすか言っていたその途端であった。フルフルと着信があった。今は業務中なので本来は電話に出てはいけないのかもしれないが、時を短くして生きる現役の少女にとって時間は貴重なのだ。時と場合を常に大事にして生きている。それが契約した精霊からの非常事態を伝える着信なら、なおさらだ。
「今抜けたらまた店長に怒られちゃうんだけど。ーーええ? 妖刀使いが現れたって?」
こうしちゃいられない。メイド姿の少女は通話で精霊の
その横で静かに黒塗りの車が走り出し、その角を曲がっていたのを見て「もしかしてもしかするかも! ほんと、こうしちゃいられない」と魔法少女は走り出した。
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