第6話 始まりの村(7)

「自分の足で上ると、なかなかの坂道ね」

「離れたところから建物を見る分には、綺麗なんだがな」

 ユーゴたちはぼやきながら、警察署から急な坂道を十分ほど上った。ようやく、デガーニの地図に描かれた古書店らしき建物が見えてくる。アマルフィの街に溶け込むためか、石造りの外装には天使のレリーフが彫られ、美しく整っている。店の中も高級サロンのようで、床にじかに積まれた本などはなく、高い天井にはシャンデリアが吊られていた。

「お待ちしておりました、お話はデガーニ氏から聞いています」

 店主は優雅にお辞儀をして、ユーゴたちを出迎えた。面食らっているユーゴたちを見て、彼は笑みをこぼす。

「この街にはいわゆるセレブリティが多くいらっしゃるので、このような接客の方が良い結果に繋がるのです。もう何十年と働いておりますから、沁みついてしまいました。――さて、オークションの件でしたね」

 店主はそう言うと、レジカウンターの奥の棚から、ファイルを一冊取り出した。中を開くと、ずらりと書名が並ぶリストだった。

「こちらはオークションに出品された書名と落札額、落札者様のお名前です。以前、リエト・カレッリ様も何冊か、私ども主催のオークションで落札されていました」

「事故の当日も、カレッリ氏はオークションに来る予定だったのですか?」

「前日はそうおっしゃっていましたが、当日急用が入ったと連絡があり、今回は行けないかもしれないと」

「急用……?」

 店主は頷いた。

「隣町で開かれるオークションに顔を出したいということでした。なんと、ポーの『アル・アーラーフ』が売りに出されるらしいという噂で」

「すごいわね、発見されていないものがまだあったの? 市場に出回ることはほぼない、特別に希少な古書よ」

 エマが興奮しながら説明した。

「ポーというと、エドガー・アラン・ポーのことか?」

「そうよ。怪奇小説や探偵小説が有名だけど、『アル・アーラーフ』は初期の詩集なの。彼が売れる前に出版されたものだから、発行部数が極めて少ないのよ。今は二十冊ほどしか現存していないといわれているわ」

 店主はエマを微笑ましそうに眺めていた。同じ本好きとして、親しみを抱いたのだろう。

「お話を聞いて、それならば仕方ないと私も諦めました。弟のヴィト様はいらっしゃるとのことでしたし、こちらのオークションにも『アル・アーラーフ』ほどではありませんが目玉がありましたのでね」

「では、カレッリ夫妻はそのオークションのためにアマルフィを出たわけですね」

「おそらくそうでしょう。お電話も早口で、お急ぎのようでした。懇意にしている古書ディーラーが教えてくれたのだと、申し訳なさと興奮が混ざっているような様子でしたね」

 稀覯本が手に入るチャンスに浮足立ち、道を急いで事故に遭ったということだろうか。

「その古書ディーラーの名はご存知でしょうか」

「アドルフォ・カッシーニという方です。古書業界では有名な方で――」

 店主はまだ喋り続けていたが、ユーゴの耳にはほとんど入って来なかった。ヴィト・カレッリとアドルフォ・カッシーニ、両者の名をここで聞くとは。

「しかしですね、後から確認したら、どうやら実際には『アル・アーラーフ』などなかったそうです。カッシーニ氏もたまにはミスを犯すこともあるのでしょうが、その件がなければご夫妻もご健在でしたでしょうし、非常に不運なことではございますねえ。それを気にしてか、カッシーニ氏は未だに事故現場にお花を手向けていらっしゃいますし……」

「では、彼は最近もこのアマルフィに?」

 ユーゴの勢いに気圧されつつも、店主は答えた。

「二か月ほど前でしょうか。この店にも立ち寄られたので、少し話しましたよ。なんだかあまり覇気のない様子で、もう来られないかもしれないなどとおっしゃって。ご病気かと伺ったら、そうではないと笑っておられましたが」

「次の行き先は、聞きませんでしたか?」

 店主は口をもごもごとさせながら地名を呟いていたが、思い出せずに地図を引っ張り出してきた。

「確か山の方だったはずです。名前を聞けば思い出せそうなのですが、モンス、モント、いや違うな……」

「もしや、モンテレッジオですか?」

「ああそう、それです!」

 人差し指をユーゴに向け叫んだ店主は、失礼、と咳払いした。

「のどかな村でゆっくりする予定だと聞きました。もしかすると、まだ滞在されているかもしれませんよ」

「モンテレッジオか……」

 いつか案内すると、ルチアーノに言われた村だ。本の行商人が生まれた場所。そして、ルチアーノの養父母の出身地でもある。きっとそこに行けば、何かが見つかる。ルチアーノとも、再会できる気がした。



 二人はナポリまで移動し、空路でまずミラノ近郊のオーリオ・アル・セーリオ空港に向かった。

「数年分は旅行した気分ね」

 到着した空港のラウンジで移動手段を調べながら、エマが言った。

モンテレッジオの村に向かうバスや列車はなく、その先はレンタカーを借りた方が良さそうだ。経路を検索すると、三時間弱で到着すると表示された。一日がかりの大移動だ。

「ルチアーノの家の執事だったクリストフォロは、ヴィト・カレッリを殺したいほど憎んでいたのよね。でもあの店主の話だと、どちらかというと恨まれそうなのはアドルフォの方じゃない? 彼の情報がなければ、事故は起こらなかったわけでしょう」

「弟のヴィトがアドルフォに頼み、わざと嘘の噂を伝えたとしたらどうだ? オークションの目玉を確実に落とすために、兄が来ないように仕向けた……」

 事実を知ったクリスは、復讐のためヴィトに近づいた。そして襲う機会を窺って、遂に決行したのだ。

「アドルフォの家を放火したのも、おそらく彼だ。難を逃れたアドルフォは、いつ殺されるともわからない状況の中、アマルフィを訪ねた。だから、店主にあんなことを言ったんだ」

 絡まっていた糸がするするとほどけていくように、答えが見えてきた。。

「ヴィト・カレッリの殺害は失敗だったが、クリスが病院にいる彼に近づくのは難しい。そうなれば標的はアドルフォだ。ルチアーノは、アドルフォを殺させないためにクリスを追いかけている」

「だったら私たちは、できる限り急いでモンテレッジオに行き、アドルフォを守るべきね。ルチアーノが先回りできていればいいけれど、クリストフォロが先に到着してしまうかもしれないし、彼一人では止められないかもしれない」

「そうだな。とりあえずモンテレッジオに向かうことをルチアーノにメールで伝えるよ。クリスを説得できる者がいるとすれば、彼だけだ」

 空港でレンタカーを借りた二人は、早速モンテレッジオに出発した。幸いエマも国際免許を持っていて、二人で運転を交代しながら車を走らせる。空港を出てしばらくはなだらかな田園風景が続いていたが、川沿いの道を進むにつれて、次第に山が迫るように大きくなり、道幅も狭くなってきた。冬に向かう枯れ葉色の山々が、幾重にも連なって見える。

 出発から一時間ほどが経った頃、ユーゴのスマートフォンが震えた。助手席にいるエマに確認を頼むと、彼女はディスプレイを見て叫んだ。

「ルチアーノからの電話よ!」

 道端に車を停め、電話に出る。電話の向こうは室内なのか、ざわめきは聞こえなかった。

「ルチアーノ、メールは読んだか? 今、どこに――」

「ええ、きちんと読みましたよ。モンテレッジオに向かわれるそうですね」

 一瞬、目の前が真っ暗になった。違う、この声はルチアーノではない。ユーゴは唇を震わせ、どうにか返事をした。

「どうしてお前がこの電話に出るんだ。ルチアーノはどこにいる?」

「彼は今、電話に出られない状況なんです。ですから、代わりに私が。それで、モンテレッジオでしたね。そこにアドルフォ・カッシーニがいるということでしょうか」

 最悪の展開だ。よりによって彼に、アドルフォの居場所を直接教えてしまうことになるとは。

「無言は肯定ですね。では、これで」

 電話はあっさりと切られてしまった。ユーゴはしばらく呆然と、手の中のスマートフォンを眺めていた。

「電話に出られない状況だと? まさかあいつ、ルチアーノを……」

「運転、代わるわ。今なら私たちの方が早く着ける。とにかく急ぎましょう」

 エマは運転席のユーゴを引きずり出し、自分が運転席に収まった。彼女なりの気遣いだろう。この混乱した頭では、事故を起こしかねない。

 途中、アダムズ局長からメールが届いた。クリストフォロ・ブルーノに関する情報だ。ローマで生まれた彼は、父親が会社の経営者で比較的裕福な生活をしていた。しかしその後、不況のあおりを受け会社が倒産。一家は離散し、彼は十八歳になるまで施設で暮らしていた。アルバイトとしてカレッリ家で働き始めたのは、特待生制度を利用して大学に入学した頃。そのまま執事として雇われることになり、カレッリ夫妻が亡くなるまで勤めていた。約一か月後、今度はヴィト・カレッリ直属の秘書の一人として雇われたが、やたらと出張が多く、仕事の詳細は不明。彼がヴィトの“黒い”仕事を任されている可能性がある、と最後に推測されていた。

 クリスにとって、カレッリ家はどんな存在だったのだろう。アルバイトのつもりがそのまま働くことを決めたのだから、居心地は良かったはずだ。家族を失い、新たに見つけた居場所。しかしその居場所も、突然の事故によってなくなってしまった。もし事故が誰かのせいで、自分の居場所を奪った者がいると知ってしまったら……。

 自分が彼と同じ立場なら、とユーゴは想像した。やはり憎んだかもしれない。では、彼と同じように復讐を実行しようとしただろうか。それは考えても答えが出なかった。

 一本の坂道を、ひたすら上へ。舗装が割れて土がむき出しになった道路や、落石の名残らしい砂利が目につく。果たしてこの先に村などあるのだろうかと不安になったが、やがてモンテレッジオと書かれた標識が現れた。

 そして標識からさらに走ること数十分。ユーゴたちは頂に到着した。そこが、モンテレッジオの入り口だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る