第6話 始まりの村(6)
結局食事を楽しむ余裕はなく、ユーゴたちはそのままレストランを出た。申し訳なくて勧められたワインを一本購入したが、しばらく開けることはないだろう。
タクシーで走り去るべルティーナを見送った後、エマはユーゴに尋ねた。
「これからアマルフィに行くのよね?」
「ああ、そのつもりだ。それなりに距離があるし、俺一人で行っても構わないが」
「冗談。ここまで来たら最後まで付き合うわ。今帰ったら気になって眠れなくなりそう!」
エマはおどけて答えると、ユーゴに発破をかけるように肩を叩いた。ルチアーノに姿をくらまされ、突き放されたようで気分が塞いでいたが、少し上向いた気がする。正直、彼女がいてくれるのはありがたかった。
「とりあえず局長に連絡して、協力してもらえるか相談してみるよ」
ユーゴは人けのない路地の角で、アダムズ局長に電話をかけた。ユーゴからひとしきりの説明を聞くと、局長は唸った。
「そんな事態になっているとはな。ルチアーノには借りもある、彼のためでもあるなら協力してやりたいが……」
「本来の任務から外れていることは承知しています。しかし、クリストフォロ・ブルーノはアドルフォのことも仄めかしていますから、彼を追えば本来の目的である古書の件も明らかになるのではないかと」
必死で言い募るユーゴを宥めるように、局長はわかったよと答えた。
「君の国の言葉でいえば、乗り掛かった舟というやつだな。ルチアーノの両親の事故のことは、こちらで調べて段取りをつけておこう」
連絡を待つ間、二人は食べ損ねた昼食を取った。エマはレストランでのランチを逃した悔しさをぶつけるように、ピザにかじりついている。
「アマルフィに行ったことは?」
ユーゴが尋ねると、エマは指についたトマトソースをぺろりと舐めて、いいえと答えた。
「セレブにも人気のリゾート地よね。そこに別荘があるなんて、さすがはカレッリ一族」
「俺も訪れたことはない。土地勘がまったくないのは少し不安だな……」
アマルフィはナポリからさらに五十キロほど南下した海岸の街だ。調べたところ、ローマから再び高速列車に乗ってさらにバスに乗り換える必要があり、計四時間ほどかかりそうだった。
食後のコーヒーを飲んでいると、アダムズ局長からメールが届いた。事故の起きた場所や日時などが書かれている。最寄りの警察署にも連絡済みで、捜査資料を見せてもらえるよう頼んであるそうだ。至れり尽くせりである。
「さすがインターポール。あとは行くだけね」
エマが感心した声を上げ、にっと笑う。
「ああ、行くしかないな」
答えたものの、声には無意識に緊張が滲んでいた。ルチアーノの過去が手がかりになるのならば、知りたいと思う。しかし反面、彼の闇に触れるかもしれないことが怖くもあった。人を信じる気持ちは、力を生む。けれど、信じているからこそ臆病にもなるのだと、ユーゴは初めて知った。どうか、彼の勇敢さが彼を追い詰めませんようにと、今は祈るしかなかった。
翌朝は、からりと晴れ上がった良い天気だった。前日にアマルフィまで移動し、さすがに少し疲労を感じていたが、気分は悪くない。世界一美しいと謳われる海岸が、視界いっぱいに広がっている。空の青と海の青、そして急峻な海岸を埋め尽くすように並ぶカラフルな家々。贅沢な景色だ。バルコニーに出ると、冬の始まりにしては柔らかく、爽やかな風を感じた。
朝食もそこそこに、二人はアダムズ局長が段取りをしてくれた警察署に向かった。出迎えたのは、恰幅の良い優しげな顔の捜査官だった。
「ジュリオ・デガーニという。インターポールから連絡だなんて驚いたよ。目的が十五年前の事故の捜査資料と聞いて、また驚いた」
デガーニ捜査官は、流暢な英語で言った。米国で暮らした経験があり、通訳をすることもあるそうだ。
「私は当時、あの事故の処理を担当した一人だ。悲惨な事故だった」
まるで昨日のことのように、デガーニは感情をあらわにして言った。ユーゴは彼から、事故のあらましを聞いた。
その年の八月、ルチアーノの父親であるリエト・カレッリ、母親の瀬玲奈、そしてルチアーノの三人はアマルフィでバカンスを過ごしていた。
翌日には家に帰る予定だったが、リエトは瀬玲奈を車に乗せてどこかへ行こうとしたらしく、事故はその道中で起きた。
「事故が起きたのは昼の十二時ごろだ。海岸線を走る途中でカーブを曲がり切れず、ガードレールを破って車ごと転落したんだよ。あの辺りは細い道とくねくねとしたカーブが続いていて、何度か事故が起きたことはあった。ただ、ガードレールを越えて転落したのは初めてかもしれない」
「どうしてそんな状況になったのでしょう。夫妻は急いでいたということですか?」
「何か事情があったのかもしれない。スピードがかなり出ていたのは間違いないよ」
ユーゴは少し間を取り、デガーニに尋ねた。
「事故ではない可能性というのは、検討されましたか?」
「一応はね。リエト・カレッリは当時注目されていた実業家の一人だったから、車に異常がなかったかも詳しく調べた。しかし異常は見つからなかったし、彼が恨みを買っていた可能性は低いとされて、事故と判断した」
少し調べたところでは、リエト・カレッリはレストランをいくつも経営し、それぞれ成功を収めていたようだ。他の店のコンサルティングや資金援助なども行い、店を蘇えらせたという話もある。かといって傲慢な態度をとることもなく、人格者と評されていたらしい。感謝されることはあっても、恨まれることはなさそうだった。
「現場写真もあるが、見るかい?」
「ええ、お願いします」
ユーゴの後ろで、エマがごくりと唾を飲む音が聞こえた。気分が悪くなれば退室する、と彼女にしては弱気な発言をした。
まとめられた写真を、ユーゴは一枚ずつテーブルに並べていく。想像はしていたが、凄惨な現場だった。デガーニが、写真を見ながら説明を加える。
「車は二十メートルほどの高さから転落し、二人とも全身を強く打ったショックでほぼ即死だった。割れたガラスのせいで、車内は酷い有様だったよ」
シートやダッシュボードには、赤黒い血液がペンキをぶちまけたように散っていた。気になってエマを振り返ると、彼女は青い顔をしながらもなんとか立っていた。
「これは……?」
写真を眺めていたユーゴは、転落の衝撃で開いたらしいダッシュボードの中に、チラシのような紙があることに気づいた。一部しか見えないが、「オークション」の文字がある。
「このチラシは、保存されていませんか?」
ユーゴの持つ写真を覗き込んでから、デガーニはどこかから半透明のケースを運んできた。
「覚えはないが、回収した遺品の中に入っているかもしれない」
三人でケースの中に詰め込まれた雑多な物を、がさごそとかき分ける。やがてケースの底に、写真よりは少し色褪せた、光沢のある紙が見つかった。
「古書のオークション? 世の中にはそんなものがあるのかい」
エマの方が詳しいだろうと思い振り返ると、彼女が説明してくれた。
「美術品などと同じで、古書もオークションが開かれることはあるわ。コレクターが亡くなって、遺族が蔵書をオークションにかけるとか。そういうのって、時々掘り出し物があったりするのよ」
デガーニはチラシに書かれたオークションの日時を見てから、捜査資料のファイルを確認した。
「このオークションの日は、事故のあった日と同じだな。午後二時からだ」
「じゃあ、カレッリ夫妻はここに行こうとして――」
言いかけたユーゴを制し、デガーニは言った。
「この会場は、アマルフィの中にある。あの道を走る必要はないよ」
新たな手がかりかと思ったが、違ったようだ。しかしデガーニによれば、オークションの主催者は今も続いている老舗古書店の店主だという。
「ちょっと待ってくれ、今聞いてみるよ」
デガーニは一旦部屋を出て、数分ですぐに戻ってきた。
「店主に電話したら、よく覚えていたよ。話を聞きたかったら行ってみるといい」
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