第2話 上級アルファ

 だからと言って、日本では重婚は認められていない。愛人となる人もいるが、大抵は番の解消をされたくない。


「俺たちは番じゃない。別れれば、それで終わりだ」


 資産家の御曹司の彼には、俺は重荷になってしまう。訳があって俺は、家族との縁を切っている。

 それも、全て彼といることを選んだからである。今となっては、無意味になってしまった。


「別れよう」


 俺の泣き声と、掠れた声が部屋に響いた。俺は泣きながら荷物を纏めていた。

 この部屋は俺が家を出た高校三年の時から、一緒に住んでいる。大学生だった彼の家に、上がり込む形だった。


 そのため名義は、彼になっている。荷物を片付けていると、段々と冷静になってきた。


「それにしても……多すぎでしょ」


 オタクってどうして、こんなにも荷物が増えるのだろうか。一週間ぐらいでも、猶予を貰えば引っ越すことができるだろう。


 明日にも不動産屋にでも行って、即日入居できる部屋を探そう。どこでもいいから、そこそこ部屋が広くてリモート会議ができる物件がいい。

 結構、わがままな自分に気がついた。慰謝料も貰えたし、いい部屋に住んでもバチは当たらないだろう。


「何、しているんだ」

「……別に、引越しの準備」

「……出ていくのか」

「見れば分かるでしょ」


 無の感情で荷物を纏めていると、いつの間にか彼が帰ってきたようだった。

 偉そうに腕組みをして、ドアのところに立っている。俺の言葉に、息を飲む音が聞こえた。


「……話がある。リビングに来てくれ」

「分かった」


 彼に言われるがままに、リビングに向かった。ダイニングテーブルに座った彼の前に、腰掛けた。

 すると俺の前に何やら、分厚い封筒が置かれた。俺が睨みつけると、彼は眼鏡をクイッと上げて淡々と告げてきた。


「これを渡すから、別れてほしい」

「分かった」

「理由を聞かないのか」

「自分が一番知ってるでしょ」


 俺が睨みながら言うと、悲しそうにしていた。お前がそんな顔をするのは、お門違いだろう。

 五年も人のことを騙しておいて、お金渡して終わりかよ。人のこと、どれだけ馬鹿にすれば気が済むんだ。


 こんな人のこと好きだったなんて、自分が情けない。自分の立場が分かっていない。

 お前が俺を捨てるんじゃない。俺がお前を捨てるんだよ。


「一週間ぐらい、引越しの時間をくれ。その間は荷物置いていて」

「それだけか? 可愛くない」

「じゃあ、捨てないでくれ! って泣きつけば満足か?」

「それは……お前、行く宛てはあるのか」

「その場所を奪ったのは、お前だろ」


 俺の言葉にこいつは、何も言えないようだった。受け取らないと、ずっと連絡してきそうだった。

 貰えるものは、貰っておくことにする。これから、色々と物入りになるし、お金を受け取った。


 部屋に行ってとりあえず必要な物を纏めて、リビングへと向かった。悲しそうに項垂れているこいつに、俺は婚約指輪を投げつけた。

 コツンと頭にぶつかって、落ちてしまった。その指輪を悲しそうに見つめて、拾い上げていた。


「ゆ……びわ」

「要らない」

「持っていてほしい」

「何言ってんの? お前からのプレゼントなんて、全部廃棄して」


 ダイニングテーブルの前に、プレゼントを入れた段ボールを置いた。すると今にも、死にそうな顔で見てきた。


 最後に見る顔が、今まで見たこともないような顔だなんて笑わせる。

 何かを言いたそうに、口をぱくぱくさせていた。これ以上同じ空間にいたくなくて、荷物を持って部屋を後にした。


「はあ……どうしよう」


 行く宛もないから、近くのビジネスホテルにでも行こう。あいつから電話が来たけど、速攻で着信拒否にしてやった。

 ホテルに到着して、直ぐにベッドに寝転んだ。俺の父親は、そこそこ大きな会社を経営している。


 母親は弁護士をしていて、二人とも世間体だけを気にしている。あいつと付き合っていることが、高校三年の時にバレてしまった。


「別れなさい。そして、このご子息と結婚するのよ」

「嫌だ」

「父さんと母さんの言うことが、聞けないのか」

「言われた通りに、学年一位だし。生徒会会長もしていて、委員長もしている。何が不満なの」

「そんなの、小柴家の人間として当たり前だ」


 いつもこうだ。昔から俺のことを、自分たちの都合のいいように動かそうとしてくる。

 別にどうでもいいと思っていた。しかし俺には、昔から作家になるという夢があった。


 自分が体験できないキラキラな世界を、世界中の人に届けたい。この夢だけは、捨てきれずに両親に黙って演劇部に入った。


 ――――それなのに。


「それと、作家なんてものを目指すのはやめなさい」

「やめっ」

「お前は父さんの会社を継ぐんだ」


 無慈悲にも、俺の書いた作品を破り捨てた。その瞬間、今まで我慢していたものが切れてしまった。

 宗一郎のことも、夢のことも何一つとして応援してくれない。自分たちのことしか、考えていない。

 十歳離れている兄も、そんな弟のことの姿を見ても我関せずだった。いつも空気のようにしか扱われていない。


「笠間の家は、ライバル会社だ。そんなところに、嫁がせるわけにはいかない」


 そんなの俺たち子供には、一切関係のないことだ。大人の事情で、俺たちの仲を引き裂くなよ。

 それから荷物を纏めて、宗一郎の家に転がり込んだ。両親とも世間体だけは気にするらしく、そのまま高校は卒業した。


 家との縁を完全に切って、俺は専門学校に入学した。奨学金の支払いがあったけど、宗一郎が生活面でサポートしてくれた。


「本気で好きだったんだけどな」


 ホテルの一室に、俺の乾いた笑いがこだました。泣いても泣いても、涙は止まってくれない。

 次の日になると、目元は真っ赤になっていた。食欲はなく、フラフラと不動産屋に向かった。


「この物件がおすすめです。数日で入居できます」

「そこでお願いします」

「分かりました。準備してきますので、こちらの書類に目を通して下さい」


 不動産屋の人の言葉に、何も言わずに頷いた。俺を怪訝な目で見ていたが、どうでもいい。

 どこでもいいから、とりあえず即日入居の物件を紹介してくれた。家具家電付きで、駅からは遠いけど問題はない。


 その間は、ホテル暮らしでいいや。二人分の慰謝料をもらったから、少しぐらい贅沢してもいいだろう。

 四月十日か、本来なら今日はあいつと映画見に行く予定していたのにな。

 俺の好きな作品が映画化されるから、初日の舞台挨拶のチケットを用意してくれた。


「まあ……どうでもいいけど」

「お客様、これをどうぞ」

「ありがとうございます」


 書類に目を通していると、不動産の人にハンカチを渡された。見てみると、男性の従業員さんだった。

 肌が黒くて薄茶色の髪をしている。彫りが深くて、いわゆるソース顔イケメンである。


 タレ目で、優しさが滲み出ている。一瞬にして、目を奪われてしまった。

メガネをかけていて、綺麗な瞳をしている。地味な感じの人だけど、その瞳で見つめられると体が火照ってしまった。


 一目見た瞬間に、上級アルファだと思った。上級アルファは、世界の人口の0.1パーセントにも満たない。

 俺の顔を見て、目をぱちくりとさせていた。そんなに酷い顔しているのだろうか。

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