第四話 『緑の忠義の騎士、バシュルロ 5/5』




「サーラーシュ王妃。これを」


 樹壱はインベントリからマントを出すと、王妃に手渡した。


「それは身に着ければ、霊体を隠して、生きている人間のように見せる魔道具だ。その薔薇も抱いていれば気づかれまい」


「は、はい」


 王妃がマントを羽織る。その襟の前のところから、バシュルロがぴょんと顔を出した。


「おい、これで本当に大丈夫なのか? 万が一、亡霊レイスだってばれたら。王妃の身に何かあれば、お前を絶対に許さないぞ」


「問題ない。少なくとも俺から見て、今の王妃は生きている人間にしか見えん。襟から頭を出している、妙な薔薇は少し気になるが」


「くっ……」


「さあ行こう。通りから延びる、あそこの路地裏」


 再び、樹壱達はインベントリワープする。


 出てみると、他に人気はなかった。誰かに見られたことはなさそうだった。


「この街はよく知っている──この路地裏に人が通ることは稀だ。少し歩けば、メインストリートに出る」


 樹壱が先導し、一行は少し暗い路地裏を後にする。


 しかし中央通りは、うって変わり広々として明るかった。よく晴れた空の下、無数の人々が行き交っていた。


 屋台の店の近くには清潔な椅子とテーブルが置かれ、人々がそこで暖かい食事をしていた。


 太鼓の音がすると、そちらでは行商が雑貨を売り歩いているのが見えた。


 橋の下で、数人の子供達が堀で釣りをしていた。みな、身なりはちゃんとした服を着ている。


「ヴィッツ連邦は、不安定な北方諸邦でも大陸中央のすぐ近くだけあって、例外的によく治められている国だ。

 この市庁舎へ続く通りは、特に治安がいい。少なくとも、人のマントを奪ってくるコソ泥の類は出ない」


「……」


 樹壱の補足も届かないほどに、王妃とバシュルロはぽかんとしていた。


 ほんの数分前まで滅びた国にいたとは思えないくらいに、目の前は別世界だった。


 王妃が顔を覆い、泣き出した。


「ああ。ああっ……!」


「王妃? 大丈夫ですか」


「生きていたんですよ、バシュルロ。フラーメニアにいた人々が、生き延びていた……! 100年経っても子孫たちが。あの堀で子供たちが遊んで、笑っています」


 王妃の言葉で実感したバシュルロが、震えた。


「そうか。そうですね……逃げられたんだ、みんな。あの地獄から逃げて、生きてここに辿りついて」


 無駄ではなかった。


 生きて笑っていた。


 暗い絶望のトンネルの先に、希望の国が生まれていた。ここには光があった。


「もう少し歩く。こっちだ」


 人々の波の中、離れた場所に見える市庁舎へ向かう。


 道すがら、樹壱が言った。


「さっきも言ったが、このヴィッツ連邦は三国の遺民によって作られている。そのためか人種は非常に雑多で、差別も他国よりは少ない。

 政治体制は寡頭共和制で、有力な家系が被選挙権を握っているが、比較的には民主的と言える。代わりに政争も多いが」


 通行人の姿はその通りで、ノーマルな人族以外にも半獣半人も堂々と歩いていた。


「あれは……吸血ヴァンパイア族ですか?」


「血液を売る専門店もある。問題を起こさない限りは、この街に滞在することまで認められている」


 すれ違った衛兵が、樹壱と王妃を見て礼をした。


 兜の下は、牙の長い吸血族だった。


「奴らもここを追い出されるわけにはいかないからな。ヴァンパイアの大商人もいる。今のはその護衛だな」


「なんだかすごいことになっていますね……。ちょっと信じられません」


「善意ではない。ここは北方と大陸中央を繋ぐ、交易路の一大拠点で、北からの産物はだいたいここを通る。富あるところへのパイプは、対立を無視してでも維持する必要が連中にもある」


 市庁舎周辺まで行くと、樹壱達は立ち止まった。


 そこは連絡馬車の乗り合い場所になっていて、丸い広場から、放射状に広い通りがいくつも繋がっていた。


「この街は、計画都市──何もないところから作ったため、区画は非常に整頓されている。中心である市庁舎のあたりは、特にな」


「そうですね。記憶ではこの地は、森が広がっていたと思います」


「ゼロから復興だ。生き延びた全ての人々が団結し、切り開いて、街を作り上げた。それで──」


 樹壱が、通りのうち、一つを指さして言った。


「サーラーシュ王妃。あちらを見ろ」


「あそこの道がなにか?」


 特におかしなところは見えず、王妃は首をかしげた。


「あの通りの名前は、『トーラスターク通り』という」


「!」


 彼女の目が、見開いた。


「昔は単に一番通り、二番通りと付けられていたんだがな。ある時の為政者が、建国の何十周年かを記念して、改名した。その隣が今、俺達が歩いてきた道、『サーラーシュ通り』」


「ああ。そんなことが」


「まだある。もう一つ隣が『アミーシア通り』。次に、『バシュルロ通り』。そして、『ラスルロ通り』だ」


「──今、なんて言ったっ!?」


 バシュルロの触手が伸び、樹壱の胸倉を掴んだ。


「ほ、本当か? 嘘じゃないよな? アミーシア。それに、ら、ってのは。あの子だけが俺をそう呼んだ、じゃあまさか……!!」


 樹壱は後ろにある木の標識を、親指で指した。


 矢印には通りの名前が、確かに記載されていた。間違いなかった。


 その他には、フラーメニア以外の二国の貴族や有力者だった者の名前などが記されていた。


 最後に、目の前にそびえる立派な市庁舎を指さし、樹壱は言った。


「あの市庁舎は、近年建て直された。正式な名前は『ラットゥ=イルベルト記念議事堂』。この共和国の、二代目首長になった者の名から取られた──」






「──この国を調べ直す中で、興味深いものを見つけた。とても興味深いものだ」


 市庁舎から郊外へ向かう、乗り合い馬車の中だった。


 ある馬車駅で、樹壱と王妃達は降りた。


 高台へ続く坂道を昇っていく。


 今の樹壱は、とても気分がよかった。鼻歌でも歌い出したいくらいだ。


 こんなに上手くいくことは、本当に稀だった──いつ以来だろうか。


 100年なかったかも知れない。


 今日だけは、完璧な結末と言ってよかった。まさに完璧だった。


「うううう……!」


「バシュルロ。しっかりして下さい」


 他方、バシュルロはひたすら声を押し殺して泣いていた。諦めていた王子達が生き延びていたことを知り、彼の嗚咽が止まらなかった。


 馬車にいる間、王妃が周囲の客に、彼の泣き声をごまかすのに難儀して、自分が泣くのを忘れていたくらいだ。


 彼にとって王子らの生存は救済だったのだろう。100年前に別れたきり、もう二人に会うことは叶わないとしても、それでも生きていてくれたと……。


 閑静な場所だった。


 活気のある街と違って人は少なく、緑の多い公園のようにも見えた。


 王妃が言った。


「ここに何があるのでしょうか? よく整備された墓地のようですが……」


「そう、墓だ。だからこそ今回は完璧だった」


「?」


「ラットゥ=イルベルトは今から30年ほど前、老衰で亡くなった。死者は蘇らないし、彼が亡霊レイスになることもなかった。魂は肉体の殻なしに存在を続けられず、一度消えた魂が戻ることも、決してない」


 柵で囲われた墓地庭園の中に入り、樹壱は管理人と少し話して、庭園の奥に続く道を開いてもらった。


 緑の小道を進んでいくと、大きな石碑が一つ、あった。


 石碑は、咲き誇る赤い薔薇の蔦で覆われていた。


 その前には、魔法陣があった。


 魔法陣の横には、大人が両手でも抱えきれないほど大きな、魔石でできた黒い岩石が設置されていた。


「──だが。魂が肉体から離れて消える前に、別の物を使って保護することが、もし出来たとすれば? 魂を保護する外殻と適切な刺激さえあれば、正気を保つことも不可能ではない」


 石碑を指でなぞり、樹壱が振り返った。


「ここには、ラットゥ=イルベルト元共和国首相が眠っている。眠ってはいるが、起きている」


「そ、それは……どういう」


「その薔薇が答えの一つだ。植物に、合成した魂を人為的に封入できるなら。──人間の魂は?」


 まさか。


 石碑を見つめる王妃とバシュルロの前で、樹壱は、魔法陣と魔石を繋げる線に筆を入れた。


 苔むした魔石の岩から、魔力の奔流が流れ込む。


 魔法効果が、発動する。


 透けた人影が陣の中に現れた。一人の男性が立っていた。


「あ、……ああっ!」


 王妃がマントを外し、よろよろと前に出た。


 その男性は少し潤んだ垂れ目で青い瞳の、父親によく似た顔で、笑って王妃を迎えた。


「──お母様。会いたかったです」


「ラットゥ!!」


 母と息子が抱き合った。


 胸の中で泣きじゃくる母親を抱きながら、ラットゥ=イルベルトは、宙に浮かぶ薔薇に向かって言った。


「ラスルロも久しぶり。ようやく会えたね」


「ら、ラットゥ? なんだこりゃ。おいおい都合よすぎないか」


「また僕が君の花弁をむしって、夢かどうか確かめてみるかい?」


「やめろ!?」


「あはは、まあ色々あってね……。アンバーさん、先日はどうも。ヴィッツ二代目首長ではなく、一人のラットゥ=イルベルトとして、最大限の謝意を」


 ラットゥが敬礼した。樹壱が頷いた。


「上手くいくなら俺に異存はない。ヴィッツ連邦では防衛上の観点もあり、魔法研究が盛んで、大陸最先端の一つだ。

 国の重職にあった者の魂を、同意の上で石碑に封入し、指導者が困った際の相談役として置いておくという、国家プロジェクトがあった」


 非常に複雑で精緻な魔法陣に、通常では用意できないサイズの巨大な魔石。


 地下にもいくつもの魔法陣があり、立体的な構成をしているという。


 これを作るには、国中の魔法使いを総動員して設置する必要があるだろう。それほど大掛かりなシステムだ。


 特別な例外、というやつだった。


「在職期限は50年だが、まだ十分な時間があるな。国の力で寿命を延長とは、立場の濫用、という気もするが……」


「言いっこなしでお願いしますよ、アンバーさん。こっちも死んでからも国にこき使われてるんですから。僕、故人なのに、現職の都市計画大臣なんですよ……?

 寝る必要ないからって、いまだに仕事が山積みです。楽隠居の相談役って聞かされたのに騙された。大嘘だよ、みんなして騙して」


 困ったようにラットゥは、人の好さそうな笑顔で笑った。


「自分の名前の市庁舎が、国のど真ん中にあるのはどういう気分なんだ?」


「わあ、やめてください! 僕は本気で反対したんですって。でもみんな、もう決まったことだからって聞かなくてあんな事に……!」


 バシュルロがため息をついた。


「それじゃ、本当にあのラットゥが。こんなに大きくなっちまって」


「ついでに二人に会いたかった人物は、一人だけではないようだぞ」


 樹壱がラットゥの背後を指さす。


 彼の大きな背中から、隠れていた女性が顔を出した。


 その女性は鉢を持っていた。生前の王妃と同じ黒っぽく青い髪を、長く伸ばしていた。


 ラットゥが言った。


「ほら、恥ずかしがってちゃだめだよ。ようやく、こんな幸運な日が来たんだ」


「あ、あの。えと」


「出ておいで、僕の死後に無断で市庁舎を名付けた、犯人さん? ついでに石碑計画も意図的に僕へ詳細を伝えないまま同意させた、色々と黒幕の悪い人」


「ちょっと! そっちだって勝手に通りに名付けたでしょ。……だって私、どんな顔をしていいか」


 王妃は一目で、彼女の正体が分かったようだった。


 まごついている女性に、王妃が手を伸ばして、その頬に触れた。


「アミーシア。アミーシアですよね? 私の子」


「っ……!」


 アミーシアと呼ばれた女性はそれで、堰を切ったように泣き出した。実の母親に縋りついた。


「お母さん。会いたかった!」


 ラットゥが、一筋の涙をこぼした。


「お母様。僕はあの日の約束を果たせました……。兄になり、生まれてきた子を守ってみせると。それを報告できることが、幸いです」


「お母さん。お母さんっ」


「アミーシア、ラットゥ。ああ……!」


「アミーシアはすごいんですよ。僕の秘書だったのに、自分で議員になって魔法省の長官まで出世して。自慢の妹でした。

 それで──こっちは、『バシュルロ』」


 ラットゥが、アミーシアの持っていた鉢を手に取って言った。


 バシュルロが唖然とした。


「は?」


「君は『ラスルロ』、僕の中ではね。見てごらん」


 鉢の中に、小さな芽があった。


「……おい。まさか。通りの名前に、俺が二つあったのは──」


「遅えよ、本体の『俺』」


 芽が喋った。


 バシュルロの予感が、的中していた。


 それはバシュルロが二人を見送る際、株分けをして、ラットゥ王子達に持たせたバシュルロの分体……の魂だった。


「どれだけ待たすんだ。つうか、お前生きてたのかよ。ならもっと早く王妃連れてこいよ」


「嘘だろ。いや、二人が生きてたなら、お前もそうなるか……」


「そこの過去を見れるとかいうおっさんから聞いたぞ。勝手に悩んで王妃を100年も監禁したって。何を考えてるんだ本体? お前は馬鹿なのか?

 俺みたいな分体をいっぱい作って偵察に行かせるとか他に手段はあっただろ、思いつかなかったのか。阿呆なのか?」


「……離れている間に、ずいぶん俺とは性格に違いが出たみたいだな。クソガキこの野郎」


 バシュルロがビキビキし始めた「そっちこそ確認しに戻って来いよ! もっと早く伝えてくれれば」「あんな危険地帯に行けるか死ぬわ馬鹿」「おいこら!」


 喧嘩をする二人のバシュルロを尻目に、ラットゥは王妃に言った。


「ここにいるのは僕たち三人です。父様は……残念でした。墓は近くにあります」


「ぐすっ……そうですか。あの人と、もう一度話したかったですが」


「積もる話がたくさんあります。この石碑に、特別な席を用意してもらいました。特例として僕たちが相談役でいる間は、お母様も入ってよいと。内部には家もあります」


「本当に? 私はまた、あなたたちと暮らせるのですか?」


「ええ。魔術の効果でレイスではなくなり、その後は、僕たちと一緒に消えてしまいますが──」


「そんなの構いません! あなたたちと一緒にいれるのです!」


 兄妹は頷き合い、母を石碑の文様へと促した。


 触れればここの一員になるという。王妃は掌を文様に当てた。


 光と共に、真っ白な亡霊レイスだった王妃が、透けてはいたが人の姿に色づいた──生前と同じ髪の色に、戻っていた。


 これでまた一緒に……泣く王妃を、娘が抱きしめた。ラットゥが樹壱に振り返った。


「全てあなたのおかげです。生前もあなたは、僕の依頼を受けて、この国を助けてくださいましたね。重ねて感謝を」


「そういうこともあったな。構わない」


「僕の旧家のアーティファクトは、全てご自由になさって下さい。心ばかりの報酬です」


 ありがとう、ありがとうございますと口々に述べられる感謝に、樹壱は大きな満足感を覚えた。


 ここまで上手くいったのは、本当に久々のことだった。


 終わりの後に現れる、黒髪の死神──珍しく樹壱は、間に合った。


 久しく忘れていた、暖かい感覚が蘇った気がした。喪失したはずの感情と人間性が、心が、新しい血液が巡って目を覚ましたような気がしていた。


 分体との喧嘩が一段落したバシュルロが、はあと息を吐き、王妃とその家族を見て言った。


「よかったなあ。こんな幸運、あるもんなんだなあ。王妃、よかったですね」


「バシュルロ、早くあなたも。こっちに来て石碑に触って下さい」


「……」


「バシュルロ?」


「いいえ、王妃。ありがたいですが、俺はこちらに残ります」


 突然の言葉に、王妃が驚いた。バシュルロは分体に目配せをした。


 鉢の芽から細い蔦が伸び、三人の目を覆った。


「えっ!? どうして」


「すみません。どうかお許しを」


 バシュルロが自分の蔦を伸ばし、魔法陣から魔石に繋がっている線をこすって消した。


 動力をなくし、魔法効果が消える。


 三人の魂が石碑に吸い込まれていく。


「バシュルロっ!」


「すぐに会えます。お怒りはまた今度……。おい『俺』、みんなを頼むぞ」


 鉢の中の芽が、頷いた。


 三人と一体の魂は、依り代の中へ戻っていった。


 晴れ渡る陽射しと、鳥の軽やかな鳴き声が落ちる中、墓地には樹壱とバシュルロの霊体が残されていた。






 どういうつもりだ。と樹壱が聞く前に、バシュルロは石碑を叩いて言った。


「これは外で話した声が、中に聞こえるのか?」


「いや。人がいるのは感知できるが、魔法陣を起動しないかぎり、会話は聞こえない」


 バシュルロが溜め息をつく。


「そりゃいい。俺もちょっと、懺悔ってやつをしておきたくてさ」


「何の懺悔だ?」


「ただの従者が、主人に考えちゃいけないってことだよ。でも、俺も100年耐えたんだ。ちょっとくらい愚痴らなきゃ気が済まない。聞いてくれるか?」


「……言いたければ」


「ありがとよ」


 バシュルロは大きく息を吸い込むように体を膨らませ、言った。


 それは、緑の忠実だった騎士の、独白だった。


「──好きだったんだよっ!! ずっとっ!!」


「……」


「王妃のことが。薔薇でできた魔法生物のくせに、人間に恋心なんて。ああクソ、命の恩人にしたって、彼女は人間で、俺は薔薇だぞ。

 彼女が振り向いてくれるわけないだろ! 論外だ、あり得ない! 王妃には絶対気づかせなかったが、でも本当は彼女が好きで好きで。たまらなかったんだよっ!!」


 樹壱は唖然としていた。


「……。まさかと思うが、お前は彼女を独占するために、100年幽閉していたのか?」


「それは違う。本当にこうなってるとは思わなかった。彼女への忠誠だけは侮辱するな」


「すまない。そうか」


「俺に水やりをする時、笑顔で話しかけてくれる時、肥料を与えてくれる時。夢にだって見た。でも……魔法生物と人間の壁以前に、彼女は既婚者だ。

 それに俺は、彼女が家族に向ける優しい笑顔が、好きだった。彼女の家族も好きだった。王様だって、いい王様だと思ってたんだ。そんな俺に何ができる?」


「……」


「ちくしょう、俺は大バカ野郎だ。さっさと枯れちまえ、立場も種族も性別も弁えない、恩知らずで横恋慕のクソ薔薇が。

 はあ……だから、分体にはこの感情を引き継がせなかった。あっちの俺は安全だ、まったくな」


「器用だな。そんなことができるとは」


「見ろよ、この石碑の薔薇。これは元々は、だ」


 石碑を守るように絡みついた薔薇を、バシュルロは蔦で指した。


「分体のやつに分けた体が代変わりして、生長したやつだ。ご丁寧にまあ、あいつここに種から植え直して、残してやがったんだ。

 いつかこっちに来ると見透かされてお膳立てされたみたいで、腹が立ってしょうがない。何がお前生きてたのか、だよあの小僧」


「……つまり?」


「霊体の俺がここに入っても、問題なく『馴染む』ってことだよ」


 ふわりとバシュルロが飛んだ。


 石碑に巻き付いた薔薇に触れた。


「間男野郎は、墓じゃなくここに入れとさ。あーその通りだ、仰る通りで」


「お前はそれでいいのか?」


「俺には、家の前の番犬がお似合いだ。100年やったくらいには板についてるさ。それに他ならぬもう一人の俺の判断だ、俺だって同じ立場なら間違いなくそう思う。

 なに、魔法陣を使えば、王妃にもラットゥにもアミーシアにもすぐ会えるよ」


「そうか。なら、好きにしろ」


 本人がいいなら、やらせておけばいいことだ。


 きっとこれが、従者としての彼の線の引き方であり、自分の感情へのけじめなのだろうと樹壱は思った。


「あんたには礼を言うよ。どうにもならなかった俺たちを救ってくれて、ありがとう」


 バシュルロはそう言って、薔薇の中へ入って消えた。


 石碑を守る薔薇が、ざわざわと動き、蔦が伸びた。


「──くそっ。喋る機能まで残しておいてある。品種改良か? あの小賢しいちびめ」


「俺はそろそろ行こう。もう会うこともないかも知れんが、達者でな」


「じゃあな。よそもので親切な、傭兵さんよ」


「さらばだ」


 樹壱は言い、緑の中にある石碑に背を向けた。


 木立の中に陽光が注ぎ、風が葉ずれの音を立て、静謐な中に鳥が囁いた。


 石碑に咲く薔薇は、鮮やかな赤色をしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る