異世界へ飛ばされ不死になった男が、滅びた女神復活の為、当て所なく旅をして悪を裁いて断罪する、哀しいお話。~Who he comes after the end.~
乱層雲と屋上
イントロダクション『慰霊者』
沢へと続く坂を、下りていく。
水音が聞こえてくる。
見上げれば青白い瘴気が、木々の間に揺らめいて踊っていた。
──空間の異常が起きていた。小さな霊魂の怪異達が、呼び寄せられている。
川下へ向かって歩く。
すぐにそれらしきものを見つけた。
盛夏を迎えようという季節に草木が、ある地点で不自然に枯れ、水辺に虫や魚の死骸が浮いている。
川の中を中心にして死が、くっきりと円を描いていた。
まるでミステリー・サークルのようだ。
ここだけが、あらゆる命が死んでいた。
近くに人間の死体が転がっていた。盗賊然とした格好の死体はむっとする暑気の中、死の円の内側でむしろ凍りつき、その顔は恐怖に引き攣れていた。
ここだな。間違いないだろう──
俺は川へ入り、死の円の中心に行くと、水中へ手を突っ込んだ。
何かが指先に当たる。掴んで引き上げる。
掌から熱が奪われ、瞬間的に凍らされたかのように、指がかじかんだ。
それは、手に収まるサイズの小さな石像だった。
風化によって丸く削られ、もはや輪郭も定かではない。
だが、人間の形をしていた。
「永いな。百年や二百年じゃきかないぞ。こいつは」
呟き、道を引き返す。
林を抜けた先で焦燥した若い男が一人、待っていた。男はこちらを見るなり駆け寄ってきたが、俺は手で制した。
そして、近くに建てられた祠の前へ出る。
小さな祠だった。
高さは大人の腰のあたりまでしかなく、箱のような社は両腕で抱え込めてしまえる程度のものだ。
祠は静かだった。だが発する気配は黒く、剣呑だった。
俺はさっき引き上げたばかりの石像を掲げ、一歩近づいた。
地面の石畳が……震えた。
──ぞわり。
真っ黒い小型の『人影』がいくつも、祠の後ろから這い出してきた。
ずるり、ずるりと。
身を引き摺り、よろついて彷徨いながら、無数の影が現れては近づいてくる。
死霊。
すでにこの世に肉体を持たぬ、死者達だ。
「ひいいいっ!!?」
男が悲鳴を上げる。
俺は言った。少し苛立ちながら。
「騒ぐな、静かにしろ。それに彼らはお前の同胞だぞ。親戚かもしれん」
「そんな。冗談じゃない」
「よく見ろ、小さな子供だ。どれも小さな影だろう? 少しくらいは、祈ってやったらどうなんだ」
「……」
「可哀想にな。望んでこの姿になった訳じゃない」
俺は『インベントリ』を開き、強力な聖油の入った瓶を取り出した。頭から被る。
インベントリは俺にしか見えない。突如、瓶が俺の手に現れた事に男は驚いた顔をしたが、俺が「秘密の魔法だ」と言うと理解できたようだった。
石像を持ち、俺は祠へ近づく。さらなる子供達の黒い霊が次々と、周囲から沸いて出た。
漆黒の中に開く無数の眼が、何かを訴えて見つめていた。
手の中の石像が震える。
共振──おそらくこれは、『母親』だった。
永きに渡り本物の母の代わりに、彼らを抱擁し慰め続けた寄り代なのだ。
ここから近くのある村では流産や早逝した子を共同墓地に入れず、森の中の別の場所に埋葬するという、奇妙な風習があった。
だからこの石像は、水子──
或いは3歳を越せずして亡くなった子供らの、慰霊のための物だった。
俺は祠の前に座った。
盗賊に荒らされた祠の中に、持ち去られた像をそっと丁重に置く。
そして盗難の際に壊された魔術陣を、再構築していった。
社の中で散らばっていた呪符の石を、本来の配置に並べ直していく。
かちり。
かちり。
石の打つ音が、暗い森に響く。
ただし魔術陣は、完全にオリジナルと同じにはしない。それでは今までと同じく、彼らを閉じ込めてしまうだけだからだ。
彼らを『終わらせて』やらねばならない……。
俺の周りでは黒い子供らの影が囁き合い、集まって膨らみ、渦巻き始めていた。
彼らは俺という部外者が、正当な儀式の手順なく祠を弄る姿を見て、像を盗んだ不届きな盗賊のように敵と誤解してしまったようだ。
纏わりついて、聖油の障害を超え、俺を食い殺そうと躍起になっていた。
聖油がなければ俺を飲み込み、憑り殺していただろう。
だが、やがて無理を悟ったのか。
攻撃は止み、声が耳に届きはじめた。
──子供の泣く声……。
俺は、何もしてやれない。
俺に出来るのは終わらせてやる事だけだった。
せめてもの慰めにと、子守唄を口ずさんだ。
それだけしかしてやれなかった。
魔術陣が完成した。最後の呪符の石を置き、ペンを取って線を引いて繋げた。
魔法が発動する。
同時に黒い影達、無数の水子や幼子らの霊は、陣の中に飛び込んでいった。
『母親』を取り戻し、幼い霊達は満足したはずだ……。
そして俺の目の前に、光が瞬いている──それは意図的に作った、魔術陣の隙間だった。
指を差込み、捻る。
瞬間、古い魔術陣は致命的にバランスを崩して壊れた。
弾けて……祠が振動し、光が空へ飛んだ。組まれたばかりの呪符の石はボロボロと崩れ、力を失った。
強い浮遊感が一帯から放出される。空の頂点に向かって、霊魂が噴出した。
古い牢獄に囚われていた子らの霊が解放され、黒かった影は透き通って、宙へ溶けていった。
最後に、幼い声が聞こえた。
親に甘えるような……笑う声だった。
──目の前の祠はもう、何の気配もしなかった。
指を差し込んだ俺の手には、白い欠片が残されていた。
それは大理石によく似ていた。魔術陣のエネルギー源になっていた物だ。
これが必要だった……。欠片をインベントリに放り込んでおく。
瘴気が晴れ、木々の間から日差しが差し込んだ祠を背に、俺は立って歩き出した。遠くから、鳥の鳴き声が聞こえてきていた。
俺の後ろで見ていた男が、近づいてきて言った。
「お、終わったのか?」
「ああ。全て終わった。もう幼子の亡霊が村に現れる事はないだろう」
「そうか! よかった」
男は破顔した。
「助かった。本当に困っていたんだ! 家畜は憑り殺すし、畑の作物は実る前に腐って落ちる。挙句、村の子供達を仲間に誘い込もうとした連中だ。
子供の亡霊ってのが、気色悪いったらなかった! 不気味で趣味が悪い。あんたも本当はそう思うだろ、旦那?」
「……そうかもな」
お前にとっては。
俺の冷たい視線に男は気づいていなかった。
『あの子達』にとって、あまりに身勝手で、心外そのものな言葉だったはずだ。
「昔っからある祠だけどな。どうして昔はこんな森の真ん中に、ガキ共の墓なんか作ったんだか。わからん事ばかりだ」
何も知らない男がほざく。
説明はこうだ。
病と災厄を運ぶ悪霊というものは、子供の魂を好んで喰らう性質を持っている。
そこで、
『早世した子供らを、祖先の霊で守護されない地に敢えて置き、贄とする。
魔術で縛りつけて逃げられないように、喰われても切り裂かれても、魔術の力で何度でも再生させる。
悪霊が死んだ子供らの魂を喰らい、永遠に苦しめている間は、生きた者は呪いを受けず苦しみから無縁でいられる』
……という、カラクリだった。
つまり、生贄の捨て駒だ。
まったく気分の悪いやり口だ。『水子の有効活用』とでも言うべき、下劣な安全確保策だった。
今よりずっと昔、おそらく村はどこかの魔術師と取引し、この魔術陣を作り上げた。
流れ者の俺には、当時の村人達の是非を問う権利も、義務もないかもしれない。
だが、目の前のこの男は、現在の村長だった。
全てを知っていなければならないはずの立場だった。村人は長い時の間に祭祀を忘れ、門番を怠った。
あの子達はただ、盗まれた母親の像を探していただけだ。
他の子供を仲間に誘うなどというのも、恐れから来た勝手な妄想に過ぎなかった。祠に発生した異常をメッセージにして、同胞に伝えようとしたのだ。
家畜も農作物の被害も、あの子達ではない。あの子達を攻撃していた悪霊が、餌を見失って、近くにあった村へ災いをもたらしたのだ。
全て無知と怠惰と、誤解と傲慢がもたらした結果だった。
この男は祠と魔術が何なのか聞かなかったし、俺も教えなかった。教えてやりたいとも思えなかった。
死者に対する一方的な搾取に、これ以上協力してやる義理はなかった。
数百年も身代わりにされ、閉じ込められていた子供達の霊を、そのまま放置するつもりもなかった。
あの子達は村を守り、もう十分に苦しんだはずだ。
何より俺には、あの白い石の欠片が必要だったからだ。
ここは病のない豊かな村、と言われていた。その名はもはや語られることはなくなるだろう。
今後、この世界の他の村と、同じ代償を支払うことになるだろう──
代わりに苦しむ者を、失った事によって。
「約束の金だ。銀貨で10枚用意した」
「ああ。受け取っておこう」
俺は男から金の入った袋を受け取ると、インベントリに放り込んだ。
奇術のように男の目には映ったろう、一瞬で消えた袋に目を瞬かせていたが、俺は何も言わずに背を向けた。
仕事は終わった。言われた通りのことはした。
もう無関係だ。
俺はすぐにその場を立ち去る。
「なあ、ありがとう。息子に代わって礼を言う。あの子の病も、これからきっと良くなる。本当にありがとう!」
──彼の声に可能な限り、無関心を装いながら。
────────────────
俺がこの世界へ来てから。永い時間が経った。
異世界転移だか何だか。
ふざけた出来事の被害者が、俺だ。
色々あったが俺の場合は、結局何一つ幸せじゃなかった。楽しかった事も、全ては時の流れと共に消えていき、残されたのは孤独と空虚、罪悪感だった。
……300年。
もう300年も過ぎていた。
そして俺は、元の世界へ帰還のための努力──あの大理石に似た、白い欠片を集め続けていた。
あの白い石片を集めること。
それが俺の役目。俺がここに存在する理由。
迎えは来ない。つまり、まだ足りない。まだ俺の役目は果たされていない。
だが本当に帰れるのかという確信もない……
実のところそれは、もはや望んでいなかったが。望む権利も、おそらく無い。
この世界は、『神が死んだ世界』。
この世界に、神の救済は存在しない。
あるいは救済とは、死であった。
そしてその救済は今の俺の身には、どうしようもなく遠かった。
……本当に何年経ったのか。古い記憶を掘り起こす。
古い墓を暴くように──
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