128cpm

てい

第1話

車輪が鉄を打つ音だけが聞こえる。正面に座る彼女は車窓から外を眺めながら沈黙を護っている。夕食の献立を予想しているのだろうか、それとも月の満ち欠けに思いを馳せているのだろうか。少なくとも僕ではない何かについて考えている。


思えば3年以上、毎日とは言わないが頻繁に彼女と帰っている。示し合わせる訳でもないのに、こうして乗る列車を合わせて帰るのである。


彼女は相も変わらず車窓へ視線を送る。頬杖をつく姿は愛らしく、髪を右耳にかける仕草は妖艶さすらも感じられる。眠いのだろうか。蛍光灯を映す窓、それを映す目が時々細められている。まるで猫のようだと思うものの、それなら僕に見向きもしないのも納得か、と少し卑屈になった。


彼女は物書きである。アマチュアだが、彼女ほど端から端まで綺麗な文章を書く人を僕は知らない。彼女が小説を書く様子に見惚れてしまった。彼女の想像力が脳から腕を伝って、筆を通して紙へ滴り落ちる。趣深く、見飽きないその様子は鹿威に似たものを感じる。ちょっとしたことも僕には大きく影響を与え、今もこうして身の程を知らずに文章を書いているのである。


ふと、彼女は自身の膝の上で抱えている鞄の左脇に視線を追いやる。感じ取れなかったが、多分そこに入っていた長方形の板が少しだけ細かく震えたからであろう。それを縦に両手で構え、彼女の指は下半分で踊る。また、彼女の脳に満たされた液体状のものが指を伝って白く板を穿つ。


しばらくして、忌々しいそれは元の場所に収まる。今さっきまで彼女が何をしていたかは見当もつかないし、想像もしたくない。二人向かい合う間を隔てる板が、花びらに詰まったゴミのようで煩わしいと思う。


約8分間、文字数にすれば1024文字。積み重ねたこのひとときを合計すれば何時間になるかなんて愚問な程、体感では一瞬で脳内時間では千秋だった。


列車が速度を落とし、やがて止まる。彼女は背を向け鞄を背負い、またこちらを向いて「また明日」と告げ去っていく。列車は行き違いを待ったまま、8分間を夢と錯覚させる程、今しがた変わらない静寂が貫いている。


「関係に名前がつくとそれには終わりが来てしまう。」と彼女は言った。もう、この時間に名前をつけたいとは思わないようになった。


しばらくして一番線を跨いだ向こう側でこちらを向いて手を振る彼女の姿が僕の頬を抓った。


いつか終わりが来るとしても、今はそれを意識せずに楽しみたい。そう願うほどに、この時間が僕はたまらなく好きなのである。

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128cpm てい @afternoon_734

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