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毛がない人間というのは、ひどく現実感が薄い。
肌が剥き出しになった頭はやけに白く、できもののひとつひとつが月の表面のクレーターのように際立って見える。髪の毛があったときには隠れていた、頭蓋骨の形がはっきりとわかる。ああ頭って意外と後ろに膨らんでいるんだな、とか思う。眉毛はおろか、まつ毛もなくなると、性別がひどく曖昧になる。
父は公務員だった。仕事の内容を詳しく訊いたことはないのだけど、いつか母が、地域の環境を保全する分野だと言っていた。彼女もおそらく、よくわかっていなかったのだろう。興味もなかったのかもしれない。でも私と母には、その情報だけで充分、父という人間がどんなものかわかるような気がした。
父からも、仕事への情熱みたいなものを感じたことは一度もなかった。毎日同じ時間に帰ってきて、同じ時間にお風呂に入り、同じ時間に眠る。起きる。同僚と飲みに行くだとか、残業で遅くなるだとかの働く大人特有の決まり文句を、彼の口からはついぞ聞いたことはなかった。
ただ最低限、見た目には気を遣っていたようで、毎朝髪をとかしたり、髭を剃ったりしている姿をみると、我が父ながらいかにも公務員然とした品行方正さに、彼のプライドのようなものが垣間見えるときもあった。
◇
しかしその早朝の父の姿は、公務員というよりは闇金業者のしたっぱに見えた。およそ規律とか習慣とか、環境保全とかとは無縁の人間に思えた。
私はこのときほど真剣に、自分に毛が生えていることへの安堵と感謝を覚えた日はない。
「あんた、毛ぇ、ないがいね!」
祖母が咎めるような口調で、自分の息子に言った。彼女の顔には、竹林で猫の死骸をみつけたときの、あの心底いやな表情が浮かんでいた。もしかしたら私も、そんな顔をしてしまっていたかもしれない。
「なに言うとる」
と父ははじめ、訝しむだけで、真剣に取り合おうとしなかった。でも私たちの視線を追い、自分の頭に手をやると顔色が変わった。
「ない」
父は自分のひたいや、こめかみや、もみあげや、とにかくかつて毛が生えていた部分を一心に触る。
「ない、ない」
しかし、どこにも毛は残っていない。父がてのひらで触れるたびに、かつて毛が生えていた部分はぺたぺたと音をたてた。はたと思いついたように襟から服の中を覗き込んだり、パンツの中を覗き込んだりする。でも、ない。
「どこや、どこや」
自販機の下に入った小銭を探すように、ひとしきり床の上を這う丸坊主の父。
「どこやあ!」
とうとう父は勢いよく部屋を飛び出していった。寝室へ向かったのだろうと見当がついた。毎朝毎朝、飽きもせずとかしていた髪の毛を探しに。でも、もし仮に抜け落ちた毛が見つかったとして、一体どうなるというのだろう。と私は思った。
【ニエモドキ】が段ボールの隅で、きゅうんと鳴いた。
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