50.わからない書けない苦悩プレッシャーだってねきっと死ぬまでわたし
書けなくてつらい(スランプやプレッシャーなどで)という話は定期的にお見かけします。
カクトモさんの中にもたまにいらっしゃいますが、そういうときにかける言葉をわたしは持っておりません。
なぜなら、わからないから。
想像はできるし、それとなく理解もできるんですが、わたしは創作にかんすることで『つらい』『苦しい』と感じたことがないんです。ほんとうに、ただの一度も。
わたしも書けなくなることは周期的にあります。思ったように表現できなくてがっかりしてるのはわりといつもだし、しっくりくる言葉がみつからなくて延々とうなってることもしょっちゅうだけど、それを苦しいと感じたことがない。
正確にいえば、たぶん苦しくなるまえにいったんそこから意識を離してるんだと思います。意識的にやってるわけじゃないからたぶんとしかいえないんだけど。
セミプロとしてお芝居をやってたときはいつも苦しくて、楽しめといわれるほどに楽しめなくなるし、好きだったものが苦痛でしかなくなってしまったことがとてもかなしかったんです。
その経験が、たぶん現在のスタンスをつくったんでしょうね(他人ごとか)。
『書く』ということは、わたしという人間の一部だし、一部であるからにはわたしが死ぬまでともにあるだろうと思うのです。
まあ、四肢麻痺とか脳障害とかになっちゃったらつづけらんないだろうけども。
すくなくとも、わたしがわたしとして生きているあいだはなにかしら書いてるだろうなと。だから、一年や二年書けなくなったところでべつにいいんじゃないかと思ってるんですよね。
実際、十年近くなにも書けなくなった時期がありまして。それがまた、いつのまにか書くようになってたからこそ、そう思うのかもしれません。
たぶんね、わたしいま小説は『プチ書けない期』なんです。だから詩とか短歌とかばっかり書いてる。
プチなのでまったく書けないわけではありません。ちょっとした企画により水面下では小説も書いてますしね。いつにも増して遅筆ですが。
苦しいのはそれだけ真剣だから。という意見はよく見かけるし、それはそのとおりでしょう。
けれど、苦しいと感じないイコール真剣じゃない、とは思ってなくて、個人的には努力を努力と感じずにできるならそれに越したことはないんじゃないかと思ってます。
わたしはいま、創作も勉強もとてもたのしい。
書けないのもたのしいし、むずかしくてわからないことすらたのしい。そしてそう感じられる自分が、とてもうれしいのです。
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