第51話  友人Aと小悪魔の約束。


 青い空の下。俺たち緑組二年は、試合の開始をベンチに座って待っていた。

 ついに、一回戦の第一試合が終わり、次は俺たちの番がやってくる。


「や、やべぇ。緊張してきた……」


 俺は大きく息を吸いながら、震える心を落ち着かせる。

 すげぇ。こんなに緊張するの、紅白歌合戦に推しの歌手が選ばれるのか、発表を見ていた以来だ。


「お前でも緊張とかすんのな」


 隣の板倉はなんとも平気そうで、何故だかバナナをもしゃもしゃと食べている。


「そりゃまあ……な」


「別に、いつも通りでいいだろ?」


 球技大会の目的は学年問わず、球技を通じて、親交を深めることにある。要は、ある一点を除いて、別に普段の体育の授業となんら変わらない。


 しかし、俺が緊張する羽目になったのは、その一点のせいだ。

 それは。


「トーナメント……明確な勝ち負けの存在するやり取りは久々すぎて……少し、怖い」


「あー、確かに。負けたら終わりだもんな」


 一回戦の相手は、白組二年。野球部員が3人いる。うちは板倉を合わせて四人だから、あまり戦力の差はないと考えられる。

 しかし。


「なあ、今更だと思うんだが、ほんとに俺が捕手でいいのか?」


「すげぇ、今更だな」


「……ちょっと、な」


 どうやら、柄にもなくセンチメンタルになっているらしい。

 十分且つ必要な努力はした。けれど、それでも何かもっとやるべきことがあったのではないかと考えてしまう。


「連先輩? どうしたんですか? そんな顔で」


「ん? ……いや、幻聴か」


 今頃、白峰はバスケの二回戦か三回戦に出ている頃合いだろうし。


「むぅ、せんぱーい。連先輩ー」


「え、本物?」


 声の聞こえた方に顔を向けると、不満を表現するべく、頬を膨らませた白峰がいた。


「あれ、なんで白峰さんがここに?」


「負けたので、先輩の応援に来ました。どうです? 嬉しいでしょ?」


「うん、嬉しい。けど……」


 白峰が負けた? この前、少し練習をのぞいた時は、白峰自身はもちろん、紅組一年生自体もかなり強かったはずだ。


 俺がそう思ったのを、見抜いたようで白峰は少しだけ唇をアヒルのように尖らせた。


「連先輩。試合が始まるまで、あと十五分くらいはありますよね? 少し、話せますか?」


「えーと、その……」


 今は少しでも集中しておいた方がいい気がする。俺がそう思った矢先、脇腹のあたりに肘打ちをされた。


「早見、行ってこい。こんな遊びの大会なんかより彼女との時間を大事にしろ」


「板倉……お前」


 え、なんかめちゃかっこいいだが? 足さえ震えていなければ、完璧だったな。


「ありがとう。じゃあ、行ってくる」


 俺は立ち上がって、白峰と共にグラウンドを出た。


***


 流石に球技大会の最中ということもあってか、校舎の中には生徒は少なかった。

 ゆっくり話すにはちょうど良かった。


 廊下を並んで歩きながら、ぽつんと白峰が溢す。


「真田会長にしてやられました。ほんと、あの人……何者なんでしょう」


「さあ、何者なんだろうなあ。正直、人間離れしてる」


 スポーツ、勉学、そして音楽。全てが一流。

 勿論、当人の努力もあるのだろうが、ここまで来れば、到底それだけとは思えない。


「眩しい……ほんと、羨ましいよ」


 いつからだろうか。ああいった人を見ると、引け目のようなものを感じるようになったのは。


 自分の努力なんて、雀の涙ほどのもので、上には上がいて、それでもどうしようもなく悔しくなる。


「大丈夫、ですか? 先輩?」


 気づけば、俺は足を止めていたようで、正面には白峰の不安そうな顔があった。


「白峰さんは、負けると分かっててやることに、それでも挑まなきゃいけなくて……それで」


 そこまで言ってから、はっとした。白峰が真っ直ぐに真剣な目を向けてきているのに気がついたから。


「あ、ははっ。ごめん、俺何言ってるんだろ。らしくないよな」


 誤魔化そうとしたけれど、もう遅かった。


「それは──羽瀬川先輩とのことですか?」


 じっと。いつもより少しだけ細められた白峰の目は俺の中身を見通しているようだった。


「……だと、したら?」


「そう、ですね。少し、嫌です」


「え?」


 予想外の答えに、俺は咄嗟に疑問符を吐き出した。


「負けたくない。私も、誰でもきっと思うことです。誰だって、下を向きたくはないから」


「……そうだね」


 負ければ、苦しい。辛い。自分のこれまでを否定されたような気分になる。足が震えて、心が萎む。


 何度も、何度も、経験した。

 試合に負ける度に、そして、あいつ蒼太の差を追いかける度に。


「けど、下を向くからこそ人は自分の居場所を計り知れるんだと思います。下を見て、涙を流して、苦しんで、そうして──みんな上を向く」


 ああ。悔しいな。白峰の言葉が心の奥を揺さぶってくるから。


「連先輩が、今日ここで逃げたって私は失望なんてしません。嫌いになんてなりません。けれど」


 少し緊張したように、大きく息を吸い込んで、白峰は続きの言葉を紡いだ。


「──もう、オムライスは作ってあげません」


 真剣な顔は何処はやら、白峰はにっこりと笑った。

 釣られて、俺も笑ってしまう。


「……ぷっ、ははっ! そっか。それは辛いや」


 白峰のオムライスが二度と食べられないのは、嫌だ。


「さあ、連先輩。そろそろ戻りましょうか。安心して下さい。先輩が負けたなら、この可愛い後輩が頭を撫でて慰めてあげますから」


 白峰はあざとく言って、俺の手を握った。


「うん。分かった。もし負けたら、お願いするよ」


「っっ!? 本気、ですか!?」


 お、珍しくカウンターが決まったらしい。ぼっと白峰の顔が真っ赤に染まる。


「白峰さんこそ」


 心が軽くなった。さっきよりもずっと。負けが終わりではない。そう考えれば、怖くなかったから。


***



 試合は始まる。

 俺はマスクを被って、腰を下ろした。

 

「プレイボール!」


 審判ノリノリだなぁ。楽しそうでなによりだ。

 さて。


「よっしゃぁ! 行くぞっ! 早見っ!」


「……お手柔らかに頼む」


 そうして、第一試合が始まった。

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