第11話 フォアグラ

 秋。様々な分野が活気にあふれる季節。中でも、食欲の秋が盛んだ。大きく育った野菜や芋。身が引き締まり脂の乗った魚。それらを使った様々な絶品料理。まさに豊穣の秋だ。


 


 食に欲が傾いている冬美にも、秋という季節に、食欲がかきたてられていた。以前にも増して食べる量は増大し、一日の食事が一週間分の食事量に増えていた。




 そして今日も、食卓には大皿に乗せられた特盛料理が並べられる。冬美は目を輝かせながら、ラーメンの丼に盛られた白米を片手に箸を走らせる。魚の頭から尻尾まで一口で頬張り、野菜料理を口一杯に詰め込み、白米で追い打ちをかける。まさに化け物の食事風景であった。




「冬美君、美味しい?」




「んんん! 今日も美味い!!」




「フフフ! じゃあ、もっと食べて食べて!」




「言われなくても食べる!」




 しかし、本当に恐ろしいのは、ニコニコと笑顔を浮かべながら、次々と料理を提供する麗香である。いくら食欲の秋とはいえ、冬美の食事量は度が過ぎていた。それを理解していながら、麗香は知らぬ存ぜぬと料理を提供している。その理由は、自分が作った料理を欲望のままに貪る冬美の姿に、自分自身を食べていると錯覚していたからだ。




 食欲と色欲。二人の生活の中で、二つの欲が絡み合う日々が続いていた。そんな欲望にまみれた生活は、ある出来事がキッカケで終わりを迎えた。




 それは、冬美がシャワーを浴びていた時だった。泡立った髪をお湯で洗い落とし、次に体を洗おうとした。自分の体、特に腹部に目を向けると、違和感を覚えた。手で摘まんだ腹を引っ張ると、ゴムのような感触を感じる。贅肉だ。




「……肥えた」




 以前からも食欲が普通の人の倍程度であったが、それを帳消しにするトレーニングを行っていた。そのトレーニングは、今も毎日欠かさずに行っている。では、何故こうも腹の肉が増えたのか。




 原因は食欲の秋による食事量の増大。今まで帳消しにしてきたトレーニングでは追いつけないどころか、逆にトレーニングを帳消しにされていた。普通ならば考えずとも、増えた食事量に危機感を覚える。しかし、そこは食欲の秋。目先の欲に目が眩み、正常な判断が出来なくなっていた。




「……いやいやいや。別に太ったところで、何も困りはしない。前の生活と違って、ここは安全だろ」




 自身の肥えた体をあまり深刻に捉えず、冬美は風呂を済ませた。寝間着に着替え、濡れた髪をタオルで雑に拭きながらリビングに来ると、キッチンで麗香が晩ご飯を作っていた。




「あら? 今日は速いね。ごめんね、まだ晩ご飯出来てないの。すぐ作るから。今日はね、スーパーの特売品で買った……」




 まな板に置いていた肉の塊を強く叩くと、麗香は微笑みながら包丁を構えた。




「肉料理よ」     




 麗香の言葉に、深い意味など無い。しかし、麗香の手に握られた包丁、まな板に置かれた肉の塊。先程自分の体が肥えているのを目にした冬美は、まな板の上に置かれている肉の塊に、明日は我が身だと思ってしまう。




「さぁ、今日も美味しい料理を作ってあげるよ~。沢山食べて、大きくなってね~」




 タオルで拭いた髪や体が、滝のように流れる汗で濡れる。食欲が失せていくのは、冬美にとって初めての経験であった。  




「……今日、ご飯いらない」




 恐怖で腹が満たされた冬美は、ご飯を食べる気分にはならなかった。




「……え」




 冬美の言葉に、麗香の全身に流れている血液が凍った。花火大会の一件以降、冬美に拒絶されないように心掛けてきた。その甲斐あってか、以前よりも二人の関係は良好を保っていた。




 そこに、久方振りの拒絶。それも今度は、拒絶された理由が思い当たらなかった。手足は震え、手が硬直していて握っている包丁を離せなくなる。




「私……私、また……! 冬美に嫌な思いをさせちゃったの!?」




 包丁を構えたまま、麗香が冬美ににじり寄ってくる。




「待て待て待て待て!! それで、一体何をする気だ!?」




「何って、料理だよ……美味しい料理を作る為に決まってるじゃん……」




「料理……まさか!?」




 自分が食材になる時がきた。そう冬美は直感した。




「馬鹿野郎! 今までやけに大人しいと思っていたが、遂に本性を現しやがったな!」




「ねぇ……どうして、私から離れていくの?」




「は?……な、なんだと!?」




 無意識に後ろに下がっていた事に冬美は気付く。それは、ゆっくりと迫ってくる麗香に怯えている証拠であった。




「ねぇ、離れないで。私の近くに来てよ。離れるつもりはないって言ってくれたじゃん」




「ッ!? く、来るな! それ以上こっちに近付くなー!! う、ひぃ、うわぁぁぁ!!! 食べないでくれぇぇぇ!!!」




「……え?」




「……あ?」




「食べないでって、どういう意味?」




「だ、だってその包丁! 手に握ってるそれが証拠だろ! そいつで僕の肉を削ぎ、腹を満たすんだろ!?」  




「……え?」




「あぁ?」




 その後、二人の間に生じた誤解は無事解けた。しかし、情けない悲鳴を上げてしまった事に深く傷ついた冬美は、物置部屋のタンスに引き籠ってしまった。

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