消しゴムダイエット
荒々しい音を立てて、扉を閉めた。
靴を脱ぎ捨てる。俺の横幅ぎりぎりの狭く短い廊下を、踏みしめる。
ずしん。体重を支える、重い音。
6畳1間の1ルーム。築年数50年以上の安アパート。
月給14万、31歳、フリーター。
おまけに巨漢。身長も体重も180を超えている。
邪魔かね? うざいかね? きもいかね?
知るかよ。
笑いたきゃ、笑え。俺の人生だ。これで好きにやっている。放っておけ。
別に底辺だろうと構わないじゃないか。誰にも、迷惑をかけていないじゃないか。
なのに。
なんで、わざわざ指摘してくるんだろう。あいつらは。
自分がカーストの上のほうにいるって勘違いしてやがる。学生の頃の感覚を捨てられず、人を見下して自己肯定感を高めてやがる。
ちゃぶ台の上に叩きつけたコンビニ袋から、弁当を3つ取り出す。
温めている余裕はない。蓋を引っ剥がして、かきこむ。
やけ食いだ。くそったれ。
「デブなんて飯減らしたり、動いたり、努力すれば誰でも解決できることだろ」
咀嚼音に混ざって、バイト先の先輩の言葉がフラッシュバックする。
うるせえ、くそったれ。金髪。雰囲気イケメン。
痩せにくい体質のやつだっているんだよ。自分基準で考えてんじゃねえよ。
「要は、甘えだろ。我慢のしすぎは体に悪いから、とか。今日は頑張ったからごほうびで、とか。自分に甘いから、いつまで経っても変われないんだろ」
うるせえ。うるせえ。うるせえ。
年下のくせに、生意気な。痩せれねえもんは、痩せれねえんだよ。
てめえ、だったら、身長伸ばしてみろよ。俺くらい。でかくなってみろよ。
できねえだろ。体なんてな、思うようにはいかねえんだ、ばーか。
3つ目の弁当もあっという間に食い終わり、フローリングに箸を投げつける。米粒が、むなしく舞う。
悔しい。こんな、体型のことで見下されるなんて。
太っているやつが、みんな怠け者だなんて、偏見が過ぎる。
努力なんて、十分すぎるくらいやってきているんだ。ただ、どれも体に合わなかっただけだ。
食う量を減らしたら貧血で倒れそうになるし、運動はちょっとウォーキングするだけで血圧が200超えるから危ないし、そもそも忙しくて時間も取れない。朝はソシャゲのデイリーこなさないといけないし、昼はバイトだし、夜はギルドの集会があるし、深夜はアニメのノルマをこなさなきゃいけない。それだけで、一日が終わってしまうんだ。どうしようもないじゃないか。
「くそっ!」
いらいらを抑えられず、ちゃぶ台をひっくり返す。
ペンスタンドが飛んで、中身が四散する。安物の筆記用具たちがフローリングを転がる音が、むなしく聞こえた。
ふと、足元に転がってきた白い塊に目がいく。
どこにでも売っている、プラスチック消しゴムだ。
紙のケースは紛失して、裸の状態。どのカドも同じくらい使われて、灰色の丸みを作っている。
これで、消せないかな。
自分の力ではどうにもできない絶望が、俺に幻想を抱かせた。
消しゴムを指先で摘む。Tシャツの裾をめくる。
たるんだ腹に押し当てて、こすってみた。
ぐりん、と脂肪の上を、消しゴムが滑る。
何やってんだ、俺は。
意味がないことだって、気づいていた。でも、手を止めることができない。
ごし。
ごし。
ごし。
ごし。
たるみの一部が赤くなる。
痛い。
熱い。
かまうものか。消えてなくなれ、こんな腹。
ごし。
ごし。
ごし。
ごし。
ぷるん。
と、消しゴミから弾けるようにして、ゼリー状の物体が床に落ちた。
フローリングの上で、ぷるぷると震えている。
腹を見ると、さっきまで腫れていた腹の赤みが消えていた。気のせいか、少しボリュームが減ったようにも思える。
これは……まさか……?
俺はもう一度、腹に消しゴムを押し当てた。
今度は、さっきとは違う場所。
ごし。
ごし。
ごし。
ごし。
ぷるん。
出た。さっきと同じ、ゼリー状の物体だ。手のひらサイズの卵型の塊。すごく臭い。酸っぱい獣のような匂いがする。感触も決して快適ではない。ぬめぬめしていて、うまく掴めない。
俺はその塊を、コンビニの袋の中に投げ入れた。
そして、自分の腹を見る。
やはり、少しボリュームが減ったように感じる。
もしかして、あのゼリー状の物体は、俺の腹に溜まった脂肪か? 俺の腹の、消しカスか?
だとすると、この消しゴムは。
いや。消しゴム自体は何の変哲もない、ありふれた物だ。たしか、100円均一で買ったやつ。
とすれば、この魔法は俺の力?
まあいい。力の根源がどこだろうと、構わない。
これだ。この方法だ。このダイエットならば、今回こそ確実に痩せられる。
これで、あいつらを、見返してやるんだ。
消しゴムダイエットの効果は、てきめんに表れた。
消せば消すほど、肉の塊が削ぎ落とされていく。繰り返すうちに、俺の技術も上がっていった。もともとの巨漢を支えていた筋肉はそのままに、余計な脂肪だけを抽出して消すことができるようになったのだ。
ぷるぷるのクサい消しカスとなった俺のコンプレックスは、どんどんゴミ袋の中に捨てられていった。括って、燃えるゴミの日にお別れする。あばよ。今まで世話になったな。
「なんか、ちょっと痩せた?」
俺をバカにしていた先輩が、不思議な顔をして聞いてきた。当然だ。わずか数日のうちに、クソ巨漢デブが高身長痩せマッチョに変身しているんだから。
俺は鼻で笑う。
体型が変われば、自信も変わる。声にも張りが出て、仕事にもやりがいを感じるようになってきた。
なんて素晴らしい。俺は理想の体型を手に入れたんだ。
確かな充実感を抱擁しながら帰宅する。
鼻歌まじりに、扉を閉める。
靴を揃えて脱ぎ、軽やかな余裕の足取りで短い廊下を進む。
人生が変わったとはこのことだ。
俺は感慨にひたりながら、テレビの電源を入れる。
心のゆとりは好奇心を生むようだ。以前はまったく目もくれなかったニュース番組にチャンネルをあわせ、コンビニ弁当を電子レンジに投じる。
数分間の待ち時間。スマホを眺めて暇をつぶす。
報道を読み上げる女性キャスターの声が、背中越しに聞こえてくる。
次のニュースです。
今日、午前●時ごろ、N市のゴミ処理場から爆発音と共に大規模な火災が発生しました。消防活動は現在も続いており、周囲への延焼も拡大し続けている状況です。
収集されたゴミ袋のなかに可燃性の高い物質が混入していた可能性が高いとされています。現場からは多量の油脂が含まれたゼリー状の物体が見つかっており、警察では、何者かが故意に可燃性の高い物質を製造し、ゴミの中に混入させたのではないか、として捜査を続けています。
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