【ショートショート集】奇妙な断片たち

春野遠足

髪の毛の冒険

 おれは、髪の毛だ。


 つい今しがた、ここにいる浪人生が頭をかきむしった拍子に抜けた、一本の髪の毛だ。


 それ以上の何者でもない。


 重力にしたがって、はらりはらり、と床に落ちる。


 そのまま、じっと寝そべっている。いずれ、掃除機に吸われるか、粘着テープで剥ぎ取られるかのどちらかで終わる生涯だろう。


 そんなふうに、覚悟を決めていた。


 ところが、ここで運命の女神がいたずらをする。


 おれの真横を、どたどたと飼い猫が駆け抜けていったのだ。


 その風圧でふわり、と舞い上がったおれは、吸い込まれるように、開いていた窓のひとつから家の外へ飛び出てしまった。


 思わぬ旅出ち!


 ふわり、ふわり、と路上のアスファルトに着地したおれを、乗用車が遠慮なく轢いた。怪我はない。なにせ、髪の毛だから。それどころか、おれの身体は、タイヤの溝にミラクルフィットしてしまう。


 そのままぐるぐる、ぐるぐる、と運ばれる。


 おれは生まれ育った我が故郷浪人生の頭から遠ざかっていく。


 さようなら、また会う日まで。


 タイヤとおれは相性バツグンだった。なかなか溝から剥がれず、どんどん知らない場所へ進んでいく。


 3日目に、雨が降った。大雨だった。


 タイヤが水たまりに勢いよく飛び込んだタイミングで、ようやくおれは溝から離れることになった。


 今度は水だ。水の流れだ。


 路肩を流れ、排水溝から落下して、下水の海をぷかぷかと流されていく。


 いったいどこへいくのだろう。


 意思とは無関係に続く旅路の行先を、おれはただ、案じるしかない。


 やがて、たどり着いたのは湖だった。


 どこかの山の麓あたりにありそうな、濁った湖だった。


 水面に浮かびながら、藻とからまったり、水草に乗っかったりして過ごしていると、水飲みにやって来た野犬に吸い込まれてしまう。


 おれは野犬の食道を滑り落ちる。


 野犬の胃で湯治をする。


 野犬の腸で栄養を補給し、野犬の糞として排出される。


 こうしてたどり着いたのが、剣と魔法の世界<アスガルド>だった。


 そこは魔王の恐怖に支配され、魔獣の跋扈ばっこする暗黒時代を迎えていた。


「その細さ、その黒光り……! あなたこそ、伝説の勇者様に違い有りません!」


 目がイッちゃってる神官がこう断言したせいで、おれは伝説の勇者にまつりあげられてしまった。


 いえ、僕はただの一介の髪の毛です。


 と弁解したいところだが、あいにくおれには口も手もない。


 意思表示をする手段が、何一つ備わっていなかった。


 よって、場の空気に流されるよりほかはない。


 思考能力を手放した国民たちによって祝福されたのち、あれよあれよという間に馬車に乗せられ、おれは魔王城まで運ばれる。


「貴様が勇者か! 生意気な。」


 魔王はおれの姿を見るやいなや掴みかかってきた。が、思いのほか不器用。爪の先でおれを摘み取るのに手こずっている。


 そうこうしているうちに爪と指の隙間におれの先端部分が突き刺さり、苦悶する。


 しかもあろうことか、野犬の体内からおれが持ち運んできた何かしらの成分と、魔王の体内を流れる何かしらの成分が、何かしらのミラクルケミストリーを起こし、魔王の血液がミラクル沸騰を巻き起こし、魔王は魔王城ごとミラクル大爆発した。


 かくして、世界の平和を守ったおれは、表情の死んでいる王女様の婿として迎えられ、その薬指に固く結び付けられたまま、いつまでも幸せに暮らしたことにされましたとさ。


 はいはい、めでたしめでたし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る