第10話
清霞に送ってもらう頃には、すっかり日は落ちていた。行きとは打って変わって、ほとんどの店がしまった、ひどく静かな街の中を馬車でゆっくりと進んだ。燈夏の屋敷の表門に着いて、藍は降りた。窓から清霞が顔を出す。
「清霞。送ってくれてありがとう。あと……燈夏のことも教えてくれて」
清霞は慈愛に満ちた表情で、藍の頭を撫でた。
「どういたしまして。このまま放っておいたとちて、燈夏が君にあの衣のことを話すことはなかっただろうからね。あいつ、意外と自分のことは話さないから」
清霞は手を伸ばして、藍のサングラスに触れた。そのまま外せば、藍の青い瞳が闇夜に瞬く星のように晒される。
「……返してくれねえか」
眉を顰めて言うと、清霞はいたずらっぽく笑った。
「これ。珍しい飾りだよね。僕でも見たことない」
「……」
それまで感じなかった、狡猾な雰囲気を藍は感じ取った。
まるで心の中を覗き込まれているような不快感に、顔を歪めた。
「それに、何度見ても綺麗な瞳をしている。隠さなければいいのに」
清霞の指先が目元に触れた。
冷たい指先。まるで苦労を知らない、炊事なんてどこ吹く風、生活を周りの人間に任せきりゆえの、傷一つない指はどこか造り物のようで、不気味だった。
「……そういう面倒くさいことが嫌で、隠してんだよ」
「なるほど」
藍は清霞からサングラスを奪い取って、掛け直す。
「じゃあな」
「うん。また会おう」
なんとなく後ろめたくて、藍はこっそりと屋敷に入って、離れに一直線に早歩きした。しかし角を曲がったところで、ばったりと燈夏と出くわした。
「げっ」
「……げ、ってなんだよ。げ、って」
「いや、まさかこんな早く合うなんて思ってなかったから」
慌てて言い繕う藍に、燈夏は呆れたようにため息をついた。藍は縮こまって小さく謝る。
「……ごめん。帰るの遅くなって」
そういえば、この時代はスマホで連絡することもできなければ、治安だって良いとは言えない。待つ方からしたら心配になるのは当然だった。
「別に。一応、清霞のお供から連絡は来ていたからな」
何から話せばいいか、と黙っていると燈夏が背を向けて歩きだした。藍は大人しく後をついていく。燈夏の広い背を見つめていると、やはり燈夏があの青を作り出したことが信じられなくなってくる。
燈夏は一見すると冷たい印象があるものの、話してみれば、それは真逆になる。藍みたいな素性がわからない人間を拾ってくれて、あんなにも美しい調色ができるといいうのに。
――それとも、まだ俺が知らない何かがあるだけ?
ふたりは中庭へ出て、池の上にある橋で立ち止まった。
「燈夏。ごめん……昼間のこと」
燈夏は驚いて、振り返った。
「今日、清霞に言われて……燈夏が前に作った青色を見た。それで……お前の事情も考えずに。……その、へそまげて。ごめん」
「……あれを見たのか」
藍は頷いた。
しばらく燈夏は視線を泳がせたあと、小さく「大丈夫」と零した。
「俺の方こそ、突き放して悪かった。断るにしてもあれはいい対応じゃなかったな。お前がそんなにその目の色に追い詰められていることに気づけなかったな。調色師として失格だ」
まるで過去を思い返しているように、どこか遠くを見つめている。
燈夏の方こそ、その色に追い詰められたことがあるみたいで、藍は「なんで?」を口を開きかけて噤んだ。
代わりに、自分の話をした。
きっと燈夏は気遣って踏み入ってはくれなさそうだったから。
「……俺のいたところ、青い目を持っている奴はほとんどいなくて。黒とか、あってもこげ茶とかがほとんどだった。この青い目を持ってるのは俺だけだった」
燈夏の横に並び、池を眺める。
「この目の色のせいで、人から気持ち悪がられたり、迫害まがいのことされたり……逆にそういう希少さを狙って欲をぶつけてくる奴もいたり。これのせいで、俺は散々な目にしかあっていなかったんだ。正直、この目を持ってよかったと思ったことなんて一度もない」
燈夏と言い合いになった時、思わずカッとなったのは、燈夏の言葉が図星だったからだ。藍はもうすでに後戻りできないほどに、心に負った傷が深くなっていた。凝り固まった劣等感や、世界への不信感は、たとえ青い瞳でなくなったとしても、藍を蝕み続ける。
青い瞳よりもずっと、ずっと藍は自分自身が嫌いだった。
「だから、お前が青色が得意な調色師って聞いて、まっさきに、この色を抜いてほしいって思ったんだよ。お前が俺を助けたのは、この青色が欲しいからだろうしって勘違いしてたのもあったしな」
「……違うからな?」
「わかってるよ。お前が、俺を襲ってきた変態とは違うってことは充分わかってる」
燈夏は池に住まう鯉の泳ぎで、内側から波紋が広がる池を見つめた。
燈夏の屋敷の家の鯉は調色師の家らしく、日本では見慣れない派手な色をしている。漆黒の鯉もいれば、名古屋城の金の鯱のような鯉も悠然と泳いでいる。
「……そうか」
とだけ、燈夏は静かに言った。
言い切った藍はほっと胸を撫でおろした。
ここまでフラットに、人に自分のことを話したのは初めてかもしれない。
一人でずっと抱えていた重石がすうっと溶けて消えていくように、身体が軽くなっていく。
――とはいえ、別に一緒に背負わせたかったわけじゃないんだけど。なんか悪いな。
ちらりと燈夏を見上げれば、難しい顔で、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
その表情が面白くて、くすりと笑みを零した。
「んな考え込まなくていいよ。辻褄を合わせたかっただけだからさ」
「……今のを聞いても、それでも、俺は藍の青色を取ることはできない」
「知ってる。もういいよ。嫌がらせで言ってるわけじゃないのはわかってるし」
それに、藍に抱えている過去があるように、燈夏にも抱えている過去がある。
清霞に見せてもらった「青」は彼の抱えている何かの存在をありありと語っていた。
藍の青色を取ることが技術的にできないわけではないから、恐らく燈夏にもしない理由があるのだろう。
燈夏が話さない以上、藍は無理に暴くつもりはなかった。
それでも燈夏が釈然としない顔をしていたので、苦笑する。
「なら燈夏が作った色、なんでもいいからひとつくれよ。倉庫にある奴でもなんでもいいからさ。綺麗な色。それで、チャラ」
「そんなものでいいのか?」
「そんなものってなんだよ。調色師が色作るのってタダじゃないんだろ」
燈夏は少し考え込んだあと、「少し待ってろ」と言って部屋に引っ込んだ。
しばらくして戻ってきた彼の手の中には、木製のロケット型ペンダントが握られていた。唐草模様の細やかな意匠に、ひとめで値の張るものだとわかる。
「蓋を開けてもっていろ」と渡された。中はまだ空っぽだった。
「何の色?」
――燈夏は俺にどんな色をくれる?
燈夏は少し得意げに微笑んで見せた。
「星の色」
「ほし?」
藍は怪訝そうな表情で燈夏を見た。
燈夏は夜空に両手を伸ばして、指先に力を籠めた。ふわりと燈夏の周囲の重力が絡まって、ぐちゃぐちゃになる。彼の足元から風が起こって、二人の髪を揺らした。
燈夏の視線を辿って、藍は目を見開いた。
「星……って、え? まじで、星?」
目を細めて、空を見る。
はるか遠くに金星のように黄金色に輝く一等星が見えた。
じっと見つめていると、少しずつ、小さな星がいくつもいくつも弧を描いて落ちてくる。
雪の結晶よりも小さい、触れれば消えてしまいそうな光。
まるで流星群のような、幻想的な空だった。
「……すげぇ。綺麗……調色師ってほんとに目に見えるものなら、なんでも色が取れるんだな」
「それは調色師の技術によって分かれる。星色が取れるやつはそういない」
「へぇ。じゃあこれは特別?」
「普通の調色じゃあ、俺じゃなくてもいいだろ。……知ってるか? 星ってあんなに遠く、小さく見えてるのに、実際は俺たちよりもずっと大きいんだって」
藍は目を見開いた。
この世界の天文学はかなり進んでいるのだろうか。
多分、藍がいた世界とは、星の位置も違うのだろう。遠くの空に桃色の一等星が見せた。
「昔、子どもの頃に星の色がどこまでとれるのかって試したことあるんだ。だが、どれだけとっても星の色は尽きなかった。そのうちこっちが眩しくなってやめた」
「お前……無茶なことするなぁ。目潰れたらどうすんだよ……ほぼ太陽と一緒だぞ……」
「調色師は皆、何よりも綺麗な色を追い求める者だからな」
ほろほろと落ちてきた星の色は近づくにつれて、小さな炎の色だとわかった。
金色に輝く小さな炎は眩しくて、その何倍も大きく見えた。
目を細めて、手で傘を作りながら燈夏を見た。
つい、と燈夏が手を動かして星の軌道を変える。星色の粒子は藍の持つロケットの中へ吸い込まれていく。
やがて、すべての粒子が収まると燈夏は蓋をして、中身がこぼれないよう、タコ糸で器用に蓋を縛った。
「できた」
「これ、色瓶みたいなもんか?」
「別に色だけの用途じゃないけど、まぁそんなものだ。こういう光を帯びてる色は木材だったり土だったり、中が見えない瓶に入れることが多いな」
促されて、藍は首にペンダントをかけた。
「ロケットの中に入ると、光が全然わからなくなるな」
少し胸元が温かい。
ぽかぽかとするそれはまるで燈夏の体温の一部をわけてもらったようで。
「お前の色はあたたかいな」
そう言って藍はロケットを頬擦りした。燈夏は少し驚いたようにして、それから少し照れくさそうに笑った。
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