歯車の君

興走 極

プロローグ

第1話 日川さんの秘密


「こんな所にお呼び立てして、申し訳ない」


 桜も見頃を過ぎた春。高等部の校舎裏。

 私はある同級生を手紙で呼び出した。


「いえ、構いません。それで、ご用件とは何でしょうか」


 そう応える日川ひかわさんはいつも通りの無表情。

 私は意を決して言った。


「日川さんは、実は……ロボットなのではありませんか」


 藍色のガラス玉のような目が、二度、三度としばたかれる。


「どうしてそう思うのでしょう」

「例えば、名前。日川さんの下の名前は、一号いちごうという事ですが。人様の名とはいえ、長女にしても少々不自然なように思われます」


 風が吹き、角度によって青にも黒にも見える短く切り揃えられた髪がきらきらと光った。日川さんの白い顔に動揺は見られない。


「不自然、ですか」

「気を悪くされていたら申し訳ありません。しかし、根拠はそれだけではない」


 喋り出してしまえば止まらない。私は勢い込んだ。


「昨年度も、日川さんと私は同じクラスでしたね。中等部の三年生としての一年間」

「はい」

「その間、日川さんが食物を口にしているのを、私は一度も見た事がありません。それどころか、水の一滴でさえ。加えてあなたは昼休みになると時折、自分の席で丸々一時間、どこか遠くを見つめて少しも動かないでいる日があった。まるで、そう、スリープ状態にある機械のように」


 それは単に瞑想をしていただけですよ。同じく宗教上の理由で、日中は断食をしているんです。

 事前に予想していたような反論は返ってこない。日川さんはただ、私を正面から見つめ返すのみ。


「他にも、体力測定の異常な数値であるとか、薄暗い場所で目が明らかに光っている、いくら何でも肌が白すぎる、中一の頃から身長も髪の長さも全く変わらない、英語を話す時だけ声が完全に別人、会話の中に時たま『最適な語句を検索中』などの文言が挟まる……」


 無反応の日川さんを相手にあれこれとまくし立てながら、私は次第に「何をやっているのだろう」という気になってきた。高等部に進学するなり無辜むこのクラスメイトを捕まえて「お前はロボットだろう」と詰問している自分。ねじが外れているのは私の方ではないのか。


 不意に血の気がすうっと引いて、私は無我夢中で謝った。


「いや……ごめんなさい。どうかしていたみたいです。やっぱり、今の事は忘れてください。あぁ、本当に申し訳ない。私は何という事を。許してください。今後、二度と日川さんの視界には入りませんから」


 すると初めて日川さんの表情が動いた。藍の瞳がぐらりと震え、小さな唇が何かを言おうとして開きかけた。

 傷付いている。いや、怒らせたか。いずれにせよ私には訪れる罰を甘んじて受け入れる道しか残されていない。


「……とうとう、バレてしまいましたか」

「えっ」

「仰る通り、私は……日川一号は、ロボットです。陽午ひうまじんさん」


 すっ、と私の鼻先に突き出された、蝋のように白くてつるつるしている日川さんの右手。

 それが、かしん、かしん、と音を立てて素早く動き、指や手首が人間では到底ありえない角度と方向に曲がった状態でぴたりと静止した。義手らしき継ぎ目も見当たらない。


「や、やはり、あなたはロボット。三年もの間、どうして気付かずにいたのだろう」


 驚きとある種の納得。我を忘れて立ち尽くす私に、日川さんは更に続けた。


「絶対に知られてはならない弱みを握られてしまいました。こうなった以上、私に選択権はありません」

「え?」

「あなたの考えは分かっています。私を強請ゆすって、思い通りにしようと言うのでしょう」


 滅茶苦茶になったままの右手を紺のブレザーの胸元に当て、日川さんは神妙な顔付き。私は慌てて首を横に振った。


「いえ、まさか。そんなつもりでは。私はただ、どうしても気になって」

「どうしても私に気があった、と。そうだったのですね」

「違います」


 確かに日川さんは可憐だ。人間とは思えないほど美しい。だって人間ではなかったのだから。

 だからと言って、脅してどうこうしようなどと、そんな悪辣あくらつな企みは毛頭……。


「そう言われては仕方がありません。お望み通り、恋人になって差し上げます。この身も心も、陽午さんのお好きになさってください。機械なので心はありませんが」

「いや、だから」

「では、また明日」


 くるりときびすを返し、日川さんはお手本のようなフォームでたったった、と走り去ってしまう。体力測定で世界記録を大幅に上回り、計測ミスと判定された脚力。目で追う事すら叶わない。


 独り、無人の校舎裏に取り残された私は、呆然と呟いた。


「おかしな事になった。私は一体、どうすれば……」

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