第3話 すれ違う思い、近付く距離

 暮野 傑の内心 ———……★


「暮野さん、どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」


 彼のことを意識してからと言うものの、前のように接することもできなくて、私はぎこちない態度しか取ることができなかった。


 この関係を手放したくないくせに、嫌われたくなくて。結局、私がしていることは彼を困らせることばかりだった。


「変な暮野さん。そういえば仕事はどうですか? 慣れましたか?」

「あ、あぁ。仕事は問題ないんだけど、やっぱり人間関係が堪えてしまうね」


 前職メンテナンスの仕事に就いていた私は、同じような業種に就いたのだが、会社が変われば社風も異なり、どうも上手く付き合っていくことができなくて苦労していた。

 そもそも技量も劣る年下の社員に媚を売ることに、まだ抵抗を覚えていた。


(きっと向こうからしたら、私のほうがだろうがな)


 だが、向上心も年上を敬う心遣いも見せない指導社員に対して、私自身も素直になれなくて困惑していた。彼が西村くんのような青年ならば、ここまでぎこちない関係にはならなかったと思うのだが……。


 ——違うな、相手に求めるのではなく、私自身がそうでなければならないのだ。もう少し相手の気持ちに寄り添って、歩み寄る姿勢を見せることも大事なのだろう。


 知識も経験も自分の方があるからと、知らず知らずのうちに上から目線な態度をとっていたのかもしれない。奢ることなく、素直な気持ちで接するように努めよう。


「無理する必要はないと思いますよ? 人間、自分の努力ではどうしようもないこともあるので、逃げ出したくなった時には辞めても、誰も何も言わないと思います」

「ハハ、西村くんは優しいことを言ってくれるね」


 物腰が柔らかくて気配りのできる西村くんだが、こんな言葉が出てくるということは、彼も逃げ出したくなるほど嫌なことがあったのだろうか?


 もっと色んな話がしたい。だが、どこまで踏み込んでいいものか分からない。


 結局、こんな遠慮がちで臆病な性格のせいで元妻との間に隔たりを作ったのかもしれないと、柄にもなく反省してみた。


「暮野さん、俺はあなたの力になりたいんです。貴方の苦しむ顔なんて見たくない、だから俺に相談することで心が軽くなるのなら、いくらでも愚痴って下さい」


 真っ直ぐな瞳で、歯が浮く恥ずかしい言葉を惜しみなく伝えて……、何なんだ、この男は!


 これぞ正に男の敵、ホスト野郎天然タラシ


 でも彼のような人ならば、妻と寝取られても仕方ないと諦めがついただろう。


(いや、逆かな。むしろどこがいいのか分からないような冴えないオッサンだったから、諦めがついたのだろうか……)


 違うか、誰が相手だろうと他の男に心変わりをした時点で気持ちは冷めたのかもしれない。


 もしも次に恋をすることがあった時は、きちんと相手の人と向かい合わなければ。そう、西村くんのように。


「暮野さん、大丈夫ですか?」


 ——ふと、焦点を合わせると、すぐ近くに西村くんの顔があり、思考が真っ白になってしまった。そして三秒ほど息を止めた後に、思いっきり「うわぁぁぁぁぁ!」と叫んでしまった。


 だって、近い! 近い‼︎ 近過ぎたんだよ! 無防備にも程がある!

 心臓が、破裂する! 今まで平凡すぎる日常だったから、彼のような美形に免疫がない!

 西村くんも西村くんだ! もう少し自分がイケメンだという自覚を持って欲しい‼︎


「あ……っ、すいません。俺、たまに人との距離感バグってしまうらしくて、よく怒られるんですよね。暮野さんも嫌でしたよね……これからは気をつけて、不用意に近づかないようにしますから」

「いや、違うんだよ! い、嫌だったわけではなくて、君のようなキラキラした存在に慣れていなくてだね!」


 だから西村くんは悪くないのだ! 私が全部悪いのだ。そう、全部全部私が悪い!


 そう、嫌ではないんだ。むしろ嫌われるんじゃないかって。私のようなオッサンに愛想を尽かすんじゃないかって、怖いだけで……。


 こんなに悩んでいるにも関わらず、目の前の彼は綻ぶように悪戯に笑い出した。


「………何すか、キラキラって! んなわけないじゃないですか! 俺はモテたことがない寂しい人生を送ってきたアラサーですよ? おかしなことを言わないでくださいよ」

「あ、あはは、そうかい?」


 変なことを口走ってしまったことを誤魔化すように私も釣られて笑ったが、そうだったのかと何処かで安堵している自分がいた。

 きっと彼の周りの女性達は見る目がないのだろう。


「でも嬉しいものですね、自分のことをそう言うふうに言ってくれる人がいるって……。俺は暮野さんがそう言ってくれるだけで十分です」


 ——っ、この天然タラシは、男女関係なく誑し込んでくるのか。いくら心臓があっても足りない。


 何とも言えない胸騒ぎを抱えながら、当たり障りのない話題に切り替えて、その日は解散した。


 西村 朗の内心 ———……★


「西村さんって、何で結婚しないんですか? 最近恋人と別れたって話していましたよね?」


 久々に振られた恋バナに、思わずキーボードを叩く指を止めてしまった。

 ちなみに職場の人達にカミングアウトはしていない。だから恋人が彼氏だということは伝えていないのだ。


「良かったら女の子紹介しましょうか? むしろ他の部署の後輩が、西村さんを紹介しろと煩くて」

「あー……申し訳ないけど、職場恋愛はしないって決めているんだ。申し訳ないね」

「そうなんですか? 勿体無いなぁ。その後輩、ミスキャンパスを勝ち取った美少女らしいっすよ? 一回り若い妻って男の夢じゃないっすか?」


 生憎、今の俺は一回り近く上の男性に夢中なんだけどね。そんなこと絶対に口が裂けても言えない。だが、いつまでも誤魔化すことにも限界を感じてきたのも事実だった。


(だけど、男が男に好意を抱いているなんて可笑しいよな。きっと暮野さんだって、好きだって言われたら困惑して避けるに違いない)


 それなら今の距離でいい。今の関係で十分にそれってん幸せだ。


 今でこそ個人の尊重とか恋愛の自由が謳われているけれど、そんなの建前だ。実際に自分が対象にされてしまえば、嫌悪感を露わにする。きっと俺だって、女性恋愛対象外に好意を示されたら距離を置こうとするだろう。それと同じだ、誰もが自分の感情に素直な生き物なのだ。


「本当にこの世界は生きづらいな」


 特に俺のような人間には残酷すぎて、逆に笑いたくなる。


 欲は出さず、謙虚に生きれば大丈夫。

 そう、きっとこの幸せは守ることができる。

 俺の我慢一つで……。


 そう思っていたはずなのに、そんな俺の気持ちも露知らず。暮野さんは屈託のない顔で、いとも簡単に俺の理性をぶち壊す。

 居酒屋の個室で飲んでいる時に、突然暮野さんが言ってきたのだ。


「私は幸せ者だよ、こうして西村くんと一緒に晩酌をすることができて。この幸せな時間がずっと続けば、他には何もいらないね」


 顔が一気に紅潮した。

 無理だ、この恋は……欲張りになってしまう!

 ダメなのに! 俺の中で終わらせて諦めなければならない恋なのに!


 だけど、もしかしたら暮野さんなら——……!


「あの、暮野さん! 俺は……!」

「ん? どうしたんだい、そんなに真剣な顔をして」


 喉の辺りまで出かけた告白。だが、それを飲み込んで、結局臆病者でいることを選んでしまった。


「……いや、何でもないです。すいません」

「そうかい? 今日の西村くんは何かおかしいね」


 超えることのない一線、だがそれが幸せと呼ぶということを俺も暮野さんも気付いていた。

 人の恋の形は其々。そう、これも立派な恋だということに、俺達が気づくのは当分先の話………。


  END……★

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