ルームメイト

長井景維子

一話完結

「あ、玉ねぎ切らした。」


「玉ねぎぐらい、あげるあげる。使って。」


「ありがとう。私、今夜カレー作るから、一緒に食べない?」


「うん。ありがとう。」


キッチンで話す二人。ルームシェアしているルームメイトだ。もともとは大学の同期だが、就職する前に二人でアパートを折半する計画を立てた。相沢梨沙は栃木県黒磯市の出身。斉藤琴子は静岡市の出身だ。二人とも大学を今年卒業して、就職一年目。初任給で暮らせるアパートは限られるので、二人で家賃を折半して、東横線の日吉駅から歩いて五分の2LDKを借りている。


琴子はダイヤモンドを輸入し、小売店に卸す商社に勤めている。こぢんまりとした中堅企業で、女性社員には残業がないのが気に入って、就職を決めた。銀座の一角にあるビルのワンフロアにオフィスがあった。琴子は、ダイヤモンドを使った指輪部門で、サイズ直しの工場への発注を主に任されている。会社がひけると、渋谷駅にあるスポーツクラブへ週二回通っている。エアロビクスで汗を流し、ウエイトトレーニングを三十分した後、シャワーを浴びて帰る。帰りにお腹ペコペコでも、ダイエットのため外食はせず、カロリーメイトをかじりながら駅からアパートへ歩き、コンビニで買ったサラダと簡単な夕食をささっと作って食べる。


琴子にはオフィスで気になる男性社員から、アパートへ三日に一度くらい電話がかかってくる。夜遅くに、電話がかかり、隣の梨沙に聞こえないように小さな声で話し込む。その男性社員は埼玉にアパートを借りている。四国の高松の出身だ。


梨沙には付き合っている彼氏がいる。琴子の友人で、琴子が梨沙に彼を紹介して、二人は付き合うようになった。梨沙がある日、彼を食事に呼びたいというので、ある週末にチーズフォンデュのパーティーを3人ですることになった。琴子は料理が好きなので、フランスパンを切ったり、ワイングラスを冷凍庫で冷やしたり、ジャガイモを茹でたりして準備した。梨沙は駅まで彼を迎えに行き、二人がやがてアパートに到着した。


彼は、


「お招きありがとう。携帯ガスコンロ、お土産に持ってきたよ。今夜使おう。」


琴子と梨紗は、

「ありがとう。助かったわ。座って座って。」


と言いながら、リビングの椅子を勧めた。ピザ用チーズを白ワインとミルクで溶かして、フランスパンを突き刺して、チーズをつけて、熱々をふうふうしながらみんなで食べた。


梨沙はワインがすすんで、ひとり酔っていた。梨沙の彼氏、浩二君は、


「梨沙、ワイン飲みすぎだよ。」


と、たしなめた。


「うん、酔っちゃった。」


琴子はお酒が飲めないので、ひとり烏龍茶を飲んでいる。琴子は、


「梨沙ちゃん、寝ちゃった?」


と浩二君に尋ねると、梨沙が、


「私?寝てない寝てない。まだ全然大丈夫。」


と、うつむいていた頭をもたげて、目を開き、浩二君に、


「今夜は泊まって行って。お願い。」


と甘え始めた。浩二は困って、


「そんなこと言ったって、琴子さんに迷惑だろ。」


と、真面目な顔して梨沙に言った後に、琴子を見て、目で帰るからいいよ、と合図した。琴子は正直、二人が一緒に一夜を過ごす部屋の隣で、一人で眠るのは気が引けた。


「いいじゃない。琴子ちゃん、いいよね。浩二君は琴子ちゃんにとっても友達でしょ。一晩泊めてあげて。明日、二人で文化村に行くから。」


「梨沙。わがままだぞ。」


浩二君は、マジに怒り始めた。


「梨沙、いいから、寝ろ。俺、帰るから。」

梨沙は、眠そうに粘り聲で、


「ダ〜メ〜。泊まって行って。」


琴子は、黙っていたが、自分の部屋に入って行った。クローゼットから洗いたての大判のTシャツを持ってくると、


「これ。着ていいよ。あげる。泊まってあげて。お風呂は我慢しよう、みんな。歯ブラシもお客さん用ないから、うがいで我慢してね。」


琴子はリビングにコタツ布団を持ってくると、床に座布団を敷き詰めた上にバスタオルを敷いて、クッションを枕にして、浩二のために寝床を作った。


「それじゃ、私は部屋に行くね。今夜はセックスはしないでね。」


「ありがとう。ごめんね。」


浩二は謝りながら、泊まって行くようだった。


琴子は、誰かと電話で話したくなったが、我慢して、歯磨きして目を閉じた。早く眠っちゃおう。梨沙と浩二がヒソヒソ話す声が聞こえた。


あくる朝、朝ごはんを作ろうとすると、浩二はもう起きていた。朝一番の電車で帰るという。朝ごはんと食べていけば?と聞いたが、浩二は遠慮した。Tシャツは洗って返すというが、琴子はいらないから捨てて、と言った。梨沙はまだ寝息を立てていた。


それからしばらく、琴子は仕事に打ち込んでいた。数ヶ月が経った頃、スポーツクラブを終えてアパートに帰ると、梨沙が泣いている。琴子は、


「梨沙ちゃん、どうしたの?」


梨沙はアイラインが涙で溶けてパンダ目になった目で、


「浩二君と別れた。」


「いつ?」


「今日、電話で。」


琴子は、黙ってコーヒーを沸かし始めた。黙ってコーヒーを梨沙にすすめると、

「そうなんだ。何があったか知らないけど、まだ好きなのね。辛いね。」


「琴子ちゃん、浩二君に別れた理由、聞いて。私のこと、嫌いになったのかなあ?」


「え?私が?聞けないでしょ、普通。」


「お願い。気持ちの整理ができないと、私、おかしくなりそう。」


「……………。」


「お願い。」


(自分で聞けばいいのに。)

「他に好きな人ができたって言っても、恨まないでよ。」


「うん、わかった。」


「今週中に電話しとくね。聞き出したら、伝えるよ。」


「うん。ありがとう。」


「コーヒー飲も。」


「うん。」


梨沙はまた泣き出した。琴子はそっとしておいて、黙ってコーヒーをすすった。


そして三日が経ち、金曜日の夜、琴子は浩二に電話をかけた。


「斉藤です。浩二君?」


「うん。琴子さん。」


「あのね、」


琴子は梨沙が泣いていたこと、そして別れたと聞いたこと、梨沙が琴子に浩二君に電話して欲しいと言っていることを告げて、


「ぶっちゃけ、別れた理由って聞いてもいい?」


「なんで、梨沙ってこういうことまで琴子さんに頼むわけ?」


「……… 。私も困ってるんだ。はっきりしてあげて。」


「うん。つまり…….。その。」


「うん。」


「簡単な理由だよ。からだ。からだが合わないの。」


「それだけ?」


「うん。」


浩二は悪びれず、こう言った。


「他にいるとかいうんじゃないんだね?」


琴子は落ち着いた声で聞くと、浩二は、


「そういうんじゃないよ。」


「わかった。」


と言うと、琴子は電話を切った。琴子は、これは言えないかも、と思った。好きな人がいるって言っとこう。それがいい。なんでこんな立場に私は置かれなきゃいけないの?ほとほと嫌になった。


「梨沙、お酒飲みに行こう。駅前にバーあったじゃん。」


「琴子ちゃん、飲めないんじゃ?」


「いいよいいよ、カルーアミルクぐらいなら。」


二人はトボトボと歩き始めた。二人とも無口だった。駅前のバーに着くと、扉を開けて中に入った。梨沙はジントニック、琴子はカルーアミルクを頼み、しばらく無言でいたが、

琴子が口火を切った。


「浩二君のこと、忘れな。ロクでもないよ。」


「え?なんて言ってたの?」


「だから、梨沙ちゃんに値しない男だよ。忘れたほうがいい。もっといい人、いるよ。」


「…………。うん。会社でいい人探そうかな。」


「その方がいいと思う。全然ダメだよ、あいつ。」


「そうなんだ。」


「私も友達やめるよ。」


「琴子ちゃん。」


二人はカクテルをぐっと一気飲みして、


「帰ろう。」


と、バーを後にした。


琴子の部屋で電話が鳴る。埼玉に住む、高松出身の田中からの電話だ。琴子が出ると、


「あ、俺。どっか行ってた?」


「うん、ちょっと。」


「そうなんだ。今度、友達と旅行に行くけど、お土産何がいい?」


「どこ行くの?」


「山梨。温泉に一泊。」


「そうなんだ。ジャム買ってきて。」


「いいよ。なんか元気ないな。」


琴子は声を落として、浩二と梨沙のことを話した。


「まあ、よくある話だな。二人で解決してほしいよな。斉藤には関係ないじゃん。」


「それがね、二人の共通の友人なんだよ、私。ある程度は仕方ないのかも。でもねえ、腹立ってね。」


「まあ、そんなもんだよ。遊びだったのかもしれないな。」


「でしょう。梨沙、泣いてたんだよ。」


「うん。」


「まあ、立ち直ると思うけどね。モテない子じゃないのよ。すぐ、誰か見つけると思う。」

二人は会社の話をしばらくして、電話を切った。


田中と琴子はもっぱら電話でデートだ。会社から帰る方向が違うし、田中は残業が多く、デートする暇がない。電話が一番手っ取り早かった。会社の人にも気づかれない。琴子は学生時代のサークル友達との飲み会が頻繁にあり、楽しく過ごしている。渋谷で集まることが多い。


サークル友達の大森はよく電話してくる。しかし、純粋に友達なだけで、男女の感情は全くどちらにもなかった。大森は琴子はそういうの抜きで付き合えて、いい友達だと思っていた。ある日、大森が、琴子の会社のジュエリーを女の子にプレゼントしたいので、選んでほしいと言ってきた。


「どのくらいの予算?」


「どのくらいからある?」


「そうねえ。ファッションリングぐらいなら、二万くらいからあるよ。」


「指輪か。ちょっとハードル高い。サイズもわかんないし。ネックレスない?」


「あるある。ネックレスも二万ぐらいから。」


「斉藤の趣味で選んどいて。」


「わかった。準備できたら、連絡するね。」


「わかった。ディナー奢るよ。」


「わーい。」

クリスマスが近づいていた。大森のネックレスが準備でき、琴子は浜松町にあるギリシャ料理のレストランを予約した。大森に小さなクリスマスプレゼントも用意した。文房具のセットをロフトで買ったのだ。


大森は仕事を終えると、浜松町の改札で待っていた。六時に琴子が現れた。大森はその日は早く仕事があがったらしく、二時間待ったという。


「なんだ、パチンコでもしてればよかったのに。」


「ああ。映画でもよかったな。」


「あはは。行こう行こう。」


二人はレストランに着いて、中に通され、テーブルに座り、メニューを見ながら


「ねえ、一品ずつ取ってシェアしない?ここならいいよね。」


「ああ。そうだね。」


白ワインをオレンジジュースで割ったものを頼み、ギリシャ料理を頼んだ。


「これ、クリスマスプレゼント。」


「ありがとう!」


「それから、これがネックレス。ラッピングはうちではできないから、自分でやってね。」

「中、見てもいい?」


「うん。」


「へえ、いいじゃん。いくら?」


「定価の7割引で二万。」


「相当いいものなんだな。ありがとう。」


「うん、一応純金。石はみんな本物の宝石だよ。トパーズとアクアマリン。デザイナーは芸大出の岩倉康二っていう人。まだそんなに有名じゃないけど、この業界じゃ有名なんだ。サインを箱に書いてもらったから。」

「へえ。ありがとう。頼んでよかったよ。」


「よかった。」


大森は財布から二万円を出し、琴子に渡した。二人は楽しくディナーを食べ始めた。大森が、


「斉藤、お前、好きな人とかいるのか?」


「うん、一応、電話でデートの人がいるけどね、何考えてるのかわかんないの。」


「あはは。そうか。俺もこのネックレスで告白するんだよ。」


「へえ。まだ付き合ってないの?」


「うん。渡せるかな。渡せなかったら、取っとくわ。」


「渡せるように祈っとくよ。うまく行くといいね。」


「うん。ありがとう。いいものだしな。」


ディナーを食べ終えると、琴子は、


「ゴチになりましたー!」


と言った。大森は、


「銀座行かない?一杯飲もうよ。」


「ごめん。疲れたから帰る。」


「そうか。」


大森は残念そうに言った。タクシーで駅まで出ると、浜松町で別れた。


田中が電話してきた。琴子は少し気になっていたのだが、田中がルームメイトの梨沙に興味を持っているみたいなのだ。会社でも、山梨の温泉の土産に、ジャムを二つ渡して、


「これ、一つはルームメイトに。」


と、周りに聞こえない小さな声で言った。琴子は怪訝な顔をして、


「え?田中さんからどうして梨沙に?」


と不思議だったのだ。梨沙は声が可愛い。以前、田中からの電話に梨沙が出たことがあった。それから田中の様子がおかしい。


梨沙はタバコを吸うようになった。生活が荒れはじめていた。そして、いつの間にか、洗濯や掃除を全て琴子にやらせて、自分は夜遅く帰ってくると、部屋に直行してタバコを吸いながらビールを飲み、酔っ払っている。


琴子が、嫌な顔をすると、


「だって、ここに一緒に住もうって最初に誘ったの、琴子ちゃんじゃない。」


と開き直った。そして、


「私の洗濯物は?」


と、言って琴子から洗濯物を受け取ると、ありがとうも言わずに部屋へ入って行った。琴子は困り果てた。田中さんに電話してみよう。


「こんばんは。斉藤です。」


「ああ。どうした。」


「あのね、」


最近の梨沙の様子を説明すると、田中は驚いて、


「アパート出ろ。我慢しすぎにも程がある。」


と言った。琴子は頬を温かいものが伝うのを感じた。


「田中さん、梨沙のこと、好きなのかと思った。」


「そんなわけないだろ。なんで?」


「あのジャム。」


「ああ。君のおつきあいのために二つ買って来たんだ。」


「そうなのね。実は梨沙には渡さなかったの。両方、私が食べたんだ。」


琴子は笑った。田中も笑っていた。


「ああ、引っ越しかー。またお金かかるな。」


琴子は独り言のように言うと、


「実はね、電化製品なんかも、私がほとんど買ったの。だから、私に落ち度はないと思っていいよね?」


「いいよ。大丈夫。」


「そっか。」


琴子は明るい声で言うと、


「ありがとう。アパート、探すわ。女二人は難しいね。」


「じゃあな。俺、風呂行ってくる。」


「うん、おやすみ。」


梨沙は、


「私は男の人いないと生きていけないの。」


と、一人酒を飲みながら、リビングで琴子に向かって言った。琴子は、


「私、出て行くから。私から誘って悪かった。梨沙も次に住むところ探して。」


「私たち、おしまいだね。」


「そうだね。」


「女同士なんてこんなもん。」


「そうかもしれない。」

「琴子ちゃん、電話の彼と住むの?」


「まさか。自分で一人で住むよ。」


「そうなのね。どんな人?」


「関係ないでしょう?」


「そっか。琴子、初めて怒った。どうすれば怒るんだろうと思ってたよ。」


梨沙は酒を注ぎながら、笑って言った。口が醜く歪んだいた。


「好い気なもんね。」


琴子はたまらず捨て台詞を言うと自分の部屋へ行った。そして、しばらくぶりに実家の母に電話した。


「お母さん。」


「帰っておいで。何が食べたい?」


「なんでもいい。おかあさーん。」


琴子は母に甘えたが、続けてこう言った。


「アパート引っ越すの。新しいアパート探すわ。静岡には帰れそうにない。お正月には帰るから。」


「相沢さんと揉めたんでしょ。」


「うん。もういいの。」


「琴子のことだから、大丈夫よ。琴子は間違いを犯すわけないからね。お母さん、信じているから。」


「ありがとう。女同士のルームメイトは難しいってわかった。」


「それがわかっただけでも、いい勉強よ。よかったよかった。」


琴子は電話を切ると、タバコが吸いたくなった。買ってこよう。

コンビニで一番弱いタバコとライターを買うと、部屋で一本吸って思いっきりむせた。涙が自然に出てきて、止まらなくなった。


「明日、会社だ。田中さん、いつになったらデートに誘ってくれるんだろう?」


タバコを揉み消すと、急いで歯磨きをした。残りのタバコはねじり潰して生ごみの中に捨てた。それから、洗濯を始めた。洗濯機の規則正しい音が、知らず知らず、琴子の荒れた気持ちを慰めてくれた。洗濯機が止まると、洗濯物をベランダに干し、シャワーを浴びて、ベッドに入った。目覚ましを六時にかけて、横になった。電話が鳴った。


「俺。今度の週末、空けといて。」


田中の声だった。琴子はホッとして、


「うん!」


と明るく答えた。上弦の月が窓から明るく照らすのが見えた。


終わり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ルームメイト 長井景維子 @sikibu60

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画