桜散る春に〜大江山伝説異聞〜

伽羅

第1話

 時は平安。


 大江山と呼ばれる山の中に小さな里があった。


 滅多に人が足を踏み入る事のない山奥に住む彼等は、額に二本の角を生やし口には鋭い牙を持つ鬼であった。


 時折迷い込んでくる人間もいるため、日頃は正体を隠し人と変わらぬ姿をしている。


 鬼ではあっても普段の生活は普通の人間とほぼ変わらなかった。


 畑を耕し、山で獣を狩り、川で魚を取りながら細々と暮らしていた。


 時折屈強な男達が、長である酒呑童子と共に京の都へ行き、金品や美女を攫ってくる事もあった。


 長である酒呑童子には二人の子供がいた。


 一人は名を蘇芳と言い、年は二十三、見目麗しい美青年だった。


 もう一人は瑠璃と言い、年は十六、蘇芳とは異母兄妹だった。


 この里では近親婚は当たり前だったので、蘇芳と瑠璃もいずれ婚姻させて自分の跡を継がせると酒呑童子は公言していた。


 最も乗り気だったのは酒呑童子と瑠璃だけで、蘇芳はまったくその気はなかった。


 蘇芳は鬼の長を継ぐ気も瑠璃を娶る気もなく、その事は瑠璃にも告げていた。


 それでも、いずれは自分を娶ってくれると瑠璃は信じていた。


 そんなある日、瑠璃が屋敷の廊下を歩いていると、桔梗に呼び止められた。


 桔梗は一昨年、酒呑童子が京の都から攫って来た女だ。


 攫われて来た当初は鬼の里に連れて来られた事を怯えていたが、すぐに酒呑童子の容姿と妖力に魅せられ、身の回りの世話をするようになった。


 身の回りの世話の中には勿論夜伽も含まれている。


 現在、酒呑童子には妻と呼ばれる存在がいなかったので、瑠璃としては誰が父親の相手でも構わなかった。


 蘇芳にさえ色目を使わなければ、酒呑童子が何人もの女を抱いても気にしなかった。


「瑠璃様、蘇芳様を見かけませんでしたか?」


「蘇芳? 見てないわ。何の用?」


 桔梗が蘇芳と二人きりになるのを嫌う瑠璃は、少し声を尖らせながら話を促す。


「旦那様が連れて来いと仰るものですから、お探ししているのですけれど、お屋敷にはおられないようなので…」


 桔梗の淡々としたその答えに瑠璃はこっそりと安堵する。


「いいわ。私が探して伝えておくわ」


「そうですか。よろしくお願いします」


 桔梗を父である酒呑童子の元に向かわせ、瑠璃は蘇芳を探しに行く。

 

 瑠璃には蘇芳のいる場所の検討は付いていた。


 瑠璃は屋敷を出ると、屋敷の裏から山道へと入った。


 この山道を少し進むと、大きな桜の木がある場所に出る。


(ああ、やっぱり…)


 桜の木を見上げると、枝の花の陰に着物が見え隠れしている。


 蘇芳は桜吹雪を見るのが好きで、よくこの木に登っているのだ。


「蘇芳。父様がお呼びよ」


 瑠璃が木の下から声を掛けると、すっと音もなく蘇芳は木の下にいる瑠璃の前に降り立った。


 瑠璃の目線より少し高い位置に蘇芳の顔がある。


 相変わらずの美しい容姿に思わず瑠璃は見惚れてしまう。


 両腕を伸ばして蘇芳の首に腕を絡めると、瑠璃はその口に自分の唇を押し当てる。


 瑠璃が舌で蘇芳の唇を開こうとしても、蘇芳は唇を引き締めたまま、身じろぎもせずに瑠璃の唇が離れるのを待っている。


 結局、根負けして瑠璃はしぶしぶと蘇芳から唇を離す。


「蘇芳ったら意地悪ね。何時になったら私を貰ってくれるの?」


「瑠璃、私にはそんな気はないといつも言ってるだろう。いい加減諦めてくれ」


 瑠璃の漏らす愚痴に蘇芳はため息と共にいつもの台詞を言う。


「駄目よ。父様は妖力の高い子を欲しがっているのだから。それには私と蘇芳が結婚するしかないのよ」


 いくら近親婚が許されると言っても、流石に親子で、と言う気にはならないのだろう。酒呑童子は瑠璃に手を出さなかった。


 ましてや瑠璃の母は酒呑童子の妹だったから、流石に血が濃くなりすぎるのを嫌ったのだろう。


 蘇芳の母は昔、酒呑童子が京で見初めて攫ってきた貴族の姫だと言う。母親が人間であるため、蘇芳は瑠璃よりも妖力が少し弱い。


 瑠璃は両親とも鬼だから酒呑童子に次いで妖力が強いけれど、女であるため次期首領にはなれない。


 だからこそ酒呑童子は瑠璃と蘇芳の間に子供が産まれる事を望んでいる。


 それなのに、蘇芳は瑠璃との結婚を嫌がっている。


 その理由は、蘇芳が小さい頃から瑠璃の母が面倒を見ていたため、瑠璃を妹としか思えないと言うのだ。


 蘇芳より瑠璃の方が妖力が強いため、その気になれば瑠璃から蘇芳を抱く事が出来る。


 けれど,瑠璃は蘇芳に望まれて抱かれたかった。


 それなのに蘇芳はいつまでも京から攫ってきた女達に夜伽の相手をさせている。


 蘇芳に抱かれたらしい女を見ると八つ裂きにしたくなる。もちろん女達は蘇芳だけに抱かれているわけではないから、そんな事は出来ない。


 京から攫ってきた女達はこの里に住む男達の慰み者なのだ。


「ほら、早く。父様の所に行きましょう」 


 瑠璃は蘇芳の腕に自分の腕を絡めると、引っ張るように山道を降りて行った。

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