序章6 『生きたい理由』



 眼前で蘇った漆黒の獣『黒蛇』 。

 ソレが放つ肌を突き刺すような暴力的な魔力にラースは危機感を覚える。

 

――なんだ、これ?!


ジュク…


 欠損した左半身から熟成された果物のような濃密な痛みが染みこむのを感じる。


「、、、、は?」


 そこには赤色の結晶が付着していた。

 傷口を覆うように細々としたそれは欠損部を起点にジワジワと浸食するように隣の結晶たちと結合して、大きくなる。

 結晶が肥大化する毎にジワジワとしっとりした痛みから、硬いモノで骨を直接殴られたような鈍痛へと変化した。


「っ!ぐぁ!ちっ……んだよコレ!!」


 痛みは秒刻みで強くなり、患部からの熱が体に巡る。

 思わず焦ったように具合を確認しようと右手で触ろうとする。

 

「な、、、んでこっちの手まで。」


 そこには左半身と同様、結合を始める赤の結晶が付着していた。

 他の部位にも異常は無いかと身体のあちこちを探るように触れる。

 頬に触れた指はざらざらとした感触を感じ取った。

 それを感知し、自身の状態がいかに危険な状態なのかを言葉通り肌で感じる。

 また、身体のみならず、亀裂の入った地面、倒壊した家屋など、至る所に赤い結晶が飛び散り結合を始めていた。

 ラースは自身とその他の現状に、その要因となったであろう黒蛇の異質さを感じとり、言葉をこぼす。


「これが、こいつの『異能』の一端か。」


 黒蛇の『異能』、それは無機物、有機物おそらく両方の物体に対して、血液を媒介にすることにより魔力の有無を問わない、強制変質能力。

 その証拠に、自身の身体だけでなく魔力の通ってない路面や、建物の残骸も赤く変色していることから見て取れる。

 ラースは先ほど黒蛇の血液を体中に浴びたことで、黒蛇の『異能』の効果の範囲内へと足を踏む入れてしまった。


「…手応えがないわけだ。」


 黒蛇に対して傷を与えられないなど論外。

 ヤツ自身の出血が確認できてからが正念場。

 過去、黒蛇と戦った『ホムンクス』も傷を負う毎に厄介さが増す『異能』に苦戦し矛を折り、命を落としたのだろう。

 

――本気でやばいな。


 自身の魔力は疾うに枯れ果てており、左腕の欠損、徐々に浸食しつつある結晶化に侵されていく身体。

 どうにか活路を開こうと限界を超えた思考の加速で案を練りだそうとするも、浮かび上がってくるのは無様な死体の山だ。

 諦めたくない。

 認めたくない。

 まだ、やり残したことが、命に代えてもすべきことが残ってる。

 まだ、、、、、まだ、死にたくない。

 打開案をそれでもかと言うほど脳を酷使しても出てくる言葉は打つ手なし。

 絶体絶命の状況を打破する鬼札は手元には無かった。


「GyaurAraAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!」


 そんな万策尽きた彼をあざ笑うかのように黒蛇の咆哮は木霊する。


…ポロポロ、、。


 音圧で振動した結晶化した部位が大気中へと舞う。


「グッ…。」


 加速する痛み。

 彫刻刀で削られていくような硬質なそれは徐々に皮膚を削っていく。

 パキパキと変質していく身体、元素魔法一発分も残っていない魔力残量、だがそれに反して黒蛇はここからが本番だと言いたがな目つきでこちらを睨んでいる。


「術式起動!『リバ、、ッッッッぐぁぁ!!」


 半ば自暴自棄になり、術式魔法の発動を試みても現れたのは中途半端な魔力により、酷使された身体への激痛だった。 

 そこでやっと理解できた。


 ダメだ、勝てない。


 そう認識してしまった瞬間、何かの折れた音がした。


パキッ


 耳ではなく、感情でそれを感知した。


「、、、、、、、、、どうしろってんだよ。」


 それは心が折れた音だった。

 打開案が見つからぬまま劣化していく体を見て、じりじりと近寄る黒い化け物を見て、心の芯が骨折した音を聞いて、彼は、絶望の湖に突き落とされた青年は力なく膝を折った。


カラン―


 膝をついた振動か、何かが懐からこぼれる。

 硬質だが軽いような音が広間に響かせたそれは、ラースの懐から落ちてきた花柄の髪留めだった。

 認識した瞬間、走馬灯のように彼のこれまでの人生の追憶が流れた。


――・・・・・・。


 髪留めは落ちたっきり動かない。

 当然だ、何の変哲も無い。

 街に出れば子供の小遣いでも変えるような安物の髪留め。

 だけど、、

 瞼の裏側に過去の幸せな日々が、妹の姿が張り付く。


――あのときの笑顔、、、かわいかったなぁ。


 妹の誕生日に買ってあげた髪留め。

 高くもなく装飾だって簡素なモノだ。

 それなのに、純真無垢で、太陽のような笑顔で彼に抱きついてた妹。

 大好きだった。

 宝物にすると顔をほころばせ、彼に告げる妹こそがなによりも愛おしく、ラースにとって唯一無二のソレだった。

 そんな妹の宝物が彼に向かって言ってくる。



 生きて

 



「GYAAGSUDBUGYSGSYS!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 耳障りな発狂をしながら、トドメの一撃と言わんばかりの絶死の牙は、



スタッ



 だが、ラースに届くことはなかった。


 自分ではない誰かが身体を操っているのではないかと錯覚するほどの脱力感で、体を側面にずらし、踏み込みのみに力を入れる。

 すぐ横に、黒蛇の頭の気配を察知し続く一歩の踏み込みで大きく距離を取った。


――、、、。なんで、どうせ死ぬでしょこの後。


 黒蛇はラースの状態を正確に把握しているのか、嬲るような視線でゆっくりとラースの方へカラダを向ける。


――悪趣味だな。


 絵本に出てくる幻想上の悪役のようなその挙動に思わず苦笑が漏れる。

 

「は、はは、、、。立場逆転だな。」


 黒蛇が倒れ伏す前後で立場が交代した光景に乾いた笑いが漏れる。

 死にたくない。

 それでも諦めてしまっている自分が情けなくて笑いがこみ上げて来る。


「ふふ、ふふふふ。あは、あははは!」

 

 いっそこのまま楽になるのも――。


 だが、右手に伝わる形見の感触はソレを許さない。


――、、、、、。



 気力も何も無いというのになぜか、黒蛇との間に広がった間隔をそのままにラースは背を向けて東へと走り出した。

 まだ建物が破壊されていない区域に入り、気力を振り絞りながら奥へと進む。






 「………はぁ、はぁ!」


 息は既に絶え絶えで先の見えない狭い通路を突っ走る。


「GYAUUUUURAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」


 獲物が逃げることは許さないと言わんばかりに、人が通る用に設計された路に体をねじ込み、まるで障害になっていない建物を崩しながら黒蛇は追いかけてくる。


「SyauRAAAAAAAA!!!!!!!!!!!」


 それでも、多少の苛立ちはあるようで、レンガづくりの家屋の屋根を引っ剥がし、ラースの方角へ投擲してくる。

 だが、狭い通路は死角を多く作ってくれるようで、的外れな場所へとラースの頭上を飛んでいった。

 

――やっぱりむりだよ、、。


 このまま行ってもいつかは彼に直撃するだろう質量の塊に死を直感し、自分がなぜこうも逃げているのか、身体は疾っくに悲鳴を上げているのに生を諦めて死を受け入れられないのか自問自答する。


 なぜ、なぜなのか。

 生存の可能性はない。

 今の状況が気持ちだけでは覆せないのを、五臓六腑に染み渡るまで理解している。

 なのに、なぜまだ抗うのだろうか。

 無駄と知りながら醜く生にしがみ付こうとするのは何のせいなのか。

 過去に対する罪の意識がそうさせるのか。

 この国に住む人間に憎しみを覚えているからか。


――わかってるよ、そんなこと。


 全部自分のせいだ。

 死にたい時に死ねないのも、生きたいように生きれないのも。

 きっとぜんぶ、ぜんぶ愚かな自分が招いた結果だ。

 本当は何もかもから逃げてもう何も感じなくなれたらどれだけ楽だろうと、毎晩、地下室で自分の血を見る度に思ってた。

 罪の意識なんて忘れられたら、誰かが許してくれたら。

 作り笑いなんかしたくなくて心の底から笑えれば、自分だけが取り残されてるなんて思わずにいられれば、自分を罰する痛みにもっと早く心が折れてしまえれば。

 思わなかった日なんて一度も無かった。

 それでも今の生き方を選んだのは、右手に握る生への鎖が理由などではない。

 あの日の後悔が、罪悪感が自分をここまで繋いできたのではない。

 怖かったからだ。

 他の生き方を選んだら、罪なんて忘れて国の人間と同じように、作り物でない本物の笑顔で笑えるようになってしまったら。

 記憶の中の妹を見殺しにするようで怖かった、忘れたくなかった。

 ずっとずっと、これまでも、これからも妹の、無邪気な笑顔を何度でも、記憶の中でしか生きていなくとも思い出していたかった。

 一片たりとも、この記憶が薄くなってしまわぬように。

 自分を傷つけることで、過去の日々を色濃く刻むように。

 ならば、、やはり自分のせいだったのだろう。

 諦めかけていた生にみっともなく縋るのは。

 死ぬと直感していても足が止まらないのは。

 妹を、リィナを思い出せなくなるのが怖いからだ。

 だから、、、だから、彼は、ラースは、、


――まだ死になくない。


 

――――



 狭い通りはまだ続く。

 己の生への執着の根源を自覚してもなお、背後につきまとう理不尽な現実は徐々に距離を縮めてくる。


「、、はぁ!はぁ、、、。くそ、、僕が悪かったから見逃して、グッ、くれよ。」


 身体を侵食する結晶化の痛みは先ほどから指数関数的に強まっており、左半身の半分が赤い結晶に覆われていた。

 止まる気配のない体調の悪化と背後から近づく魔の手、万事休すと言った状況でも、やはり足の回転は止まらなかった。


「GYAURAAAAAAAUAAAAAAAAAA!!!!!!!!」


 どうやら黒蛇はいっこうに諦めない獲物にしびれを切らしたようで、その巨体を遠心力の力を持ってして辺り一面を更地にする威力の尻尾によるなぎ払いの構えに入った。


 これはまずいと本能が直感する。

 こんな狭い路地では瓦礫に埋もれて死ぬ未来しか先はない。


――出口、広間まではまだか?!


 少しでも生存の確率が上げるため、通路の出口を渇望する彼は息つく暇も無く、痛みさえも忘れて全力で地面を蹴る。

 脳内の快楽物質をドバドバと溢れさせ無我夢中で走る。

 後ろを振り返る余裕はない、猶予は数秒にも満たない。

 そんな危機的状況にわずかな光が差したかのように、ラースの視界に出口が移る。

 その後のことは考えてないと言わんばかり、受け身のことなど無視した体勢で光の先へ身を放り込む。


ドゴォォォォォォォン!!!!!!!ガラガラガラ!!!!!


 倒壊の音が町に伝播したのは同じ瞬間の出来事だった。

 

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