第7話
生活保護
ある日、俺は貯水槽清掃の際、貯水槽から転落した。
そのまま救急車に運ばれたが、意識が戻ったのは2週間後だった。
あばらに左足の複雑骨折、なかなか、実社会に戻るには不便な体になりそうな状況だった。ビルメンに戻るのも難しいだろうと医者には告げられていた。
その時、駆けつけたのが、冬木さん一家だった。宗教家はうさん臭い。だが頼れるものはほかになかった。実家の母(父は他界していた)にも迷惑はかけたくなかった。
会社は労災を頑として認めなかったし、有給消化、傷病手当、障碍者手帳の申請および障碍者年金の申請などは手伝ってくれたが、それ以上のことはやってくれなかった。会社都合依願退職金も雀の涙。俺はその全部を使って、リハビリに励むことにした。労災に関しては、渡辺家のバックアップの元、法廷で戦うことになった。
本来なら、これ以上のことは望めないのだろうが、怒りが収まらなかった。どこにぶつけたらいいのかわからなかった。
頭の中で初めて「生活保護」という言葉が頭をよぎった。
それが国民の権利だとしても、俺はそれを使ってもいいのだろうか?
少なくとも体が元に戻るまで利用するのはしょうがないことのように思った。
東京都の市役所の窓口に、冬木さんの家族御用達の弁護士に付き添われながら、生活保護の申請をするとあっさりと、審査は通った。
体が不自由になって、生活保護を受けてから労働への意欲は完全にそがれたといってもよかった。意外と生活保護の生活は快適だった。これは人をダメにする制度だと思ってしまった。食費は最低限だし、贅沢はできない。結婚もできないだろうが、病院代はただ、病院への移動のためのタクシー代も市役所に申請すればタダになる。悪くないなと思ってしまった。ついでに虫歯も直した。
リハビリは順調だったし、冬木さんは足しげく俺を励ましに会いに来てくれた。音大も4年生を迎え、忙しいであろうに。
そういえば長らく彼女のピアノを聞いてないなと思った。
俺はつえを突きながら、彼女の家へと向かった。
彼女の家までへの傾斜がきつい。何度も休憩しながら、傾斜を登り切り、インターホンを押すと奥様が出てきた。
「お久しぶりです」
「あら、唐揚げさん。冬木ならちょうど練習してるところよ。体のほうは大丈夫なの?汗びっしょりみたいだけど」
「いやぁ、坂の傾斜がきつくて。昔ならそんなでもなかったはずなんですけどね。冬木さんのピアノを聞きに来ました」
「あがっていったらどうです?」
どこか冷たい視線を浴びながら、俺は門をくぐる。
「冬木さん、唐揚げさんがいらっしゃったわよ」
「たかひささん。来てくださったんですか」
そうだった。あの日から彼女は俺のことをたかひさと呼ぶ。
「ピアノを聞きに来たんだ。どのくらいうまくなったんだ?食っていけそうなのか?」
「今から弾いてみますね」
それはあの日弾いた幻想即興曲だった。だがあの時聞いた時よりもはるかに引き込まれる迫力があった。これなら食っていけるだろうという確信があった。涙が出た。
「よかった、よかったよ」
「多分、私は食べていけると思います。たかひささんのおかげです。あの時、ピアノ弾いたらって言ってくれなかったら、B型とかA型に行ってたかもしれない」
「でもたかひささんはどうするんですか、これから」
そうなのだ、おれはけがをして、何も持たない人間になってしまった。B型に通うべきなのは俺のようなけがなどをして社会復帰が困難な手帳持ちの男女なのだろう。
「たかひささん、なんでもっと前からVTUBERとかイラスト制作で生きる道を選ばなかったんですか?」
「はっ?」
「俺の才能なんて大したことないだろう」
「あなたには漫画を描く才能はない」
「でもイラストやLIVE2Dを作る才能だったらあるんじゃないかと前から思ってました」
「先に言えよ、それを」
「だって聞いてこないから」
幸い、手に麻痺はない。足にけがをして、肋骨が折れて肺に穴をあけただけだ。
人より早く死ぬだろうが、やってやれないことはないか
ケースワーカーがやってきて、3か月に一度くらいは働ける?と聞いてくる。俺はそれに対して、まぁ、正直無理っすねと答える。正直労働はうんざりだと思う。B型事業所で働いてみない?と言われることもあるが、まだ肺に穴が開いているんで、と答えると、向こうは黙り込む。実際は埋まってる。
郷里から母がやってきて、生活保護を受けるくらいなら帰ってきなさいとさとしにやってきたが、この体だと動くのが難しいんだといって、追い返した。実際は動けるんだけどな。俺はインターネットを使って、買い物をして、支給された生活保護費の中でやりくりしながら、朝晩の食事をやりくりし、ギリギリだが、何とか生活していた。それに、冬木さんがたまにお小遣いを持ってきてくれるのはありがたかった。本来なら不正受給なんだろうが、今の俺にはその数万単位の小遣いがありがたかった。
冬木さんは地元ではそこそこ知られたピアノ講師になっていて、無理のない範囲で活動できるようになっていた。もちろん親の助けがなければ発狂してしまうというデメリットはあるのだろうが、今のところ、順調にやっているようだ。俺はココナラにページを開いて、イラスト制作のページを作った。最初の数か月は収益が出なかったが、どっちみち生活保護を受けているし、全く問題はなかった。リハビリに通い裏金をもらい、むしろ上級市民くらいの気分でいた。それから半年が経過してからだった。ちょくちょく依頼が入るようになった。KINDLEの表紙を作ってください、という依頼が入ったのは。俺はとにかくその仕事がうまくいくように精巧な物を作った。それがひょうばんがよかったのか、徐々に仕事が入ってくるようになった。最初は生活保護費からココナラの収益は差し引かれた。別に問題ない。リハビリに行けばいい。そのあと、ココナラの仕事を受ける。そうしていくうちに徐々にだが、生活保護費を超える収益を得ることができるようになり、イラストレイターとして食えるようになっていった。もっともこれは障害厚生年金があればこその金額ではあるんだけどな。
手が太く角ばった手から、細く柔らかい手へと変わっていった。もう職人の手ではない。おれの45年間中の20年間は何だったんだろうなとふと思う。障害者とは何だろうとふと思う。仕事のし過ぎで統合失調症になった女。
仕事中のミスで体が不自由になった男。もしお互い特技がなければ、A型事業所、B型事業所へと行くことになったのだろう。あるいは俺の場合は、一生孤独に、引きこもっていた可能性だってあるかもしれない。俺は達成した。達成したのだ。形は違えど、夢の形は違えど、達成したのだ。
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