コバナシラセン〜またの名を連作短編〜

澄岡京樹

第1話「これ自体方舟に入れておいてほしい」

お題【スヴァールバル世界種子貯蔵庫】


 ——夕刻。

 幽谷でも憂国でもなく夕刻。


 10月なので日が暮れるのも早くなり、放課後になる頃にはもうだいぶ陽光も西の方へ向かっているわけで、そうなれば少し図書室で調べ物でもしようものなら即座に2時間ぐらい経過してしまうもので——


 ——で、夕刻。

 幽谷でも憂国でもなく夕刻。


 とはいえ、今の俺は脳内がなんとなく幽かにボンヤリとしており、そして眼前には——正確には窓際には1年生一つ年下の女生徒が憂いを帯びた表情で俺の方を見ていた。


 ——そんな夕刻。

 幽かな憂いの夕刻であった。


「……根源坂こんげんざか先輩」

「……はい」


 俺の名を呼ぶ後輩——黒紫あげは(16歳)は、やや外ハネのショートヘアの先端を指でクルクル触りつつ、目を細めて俺に問いを投げてくる。投げつけてくる。槍投げめいて、それでいてなげやりに投げつけてくる。


「本当に昨日のこと忘れたんですか?

 本当の本当に、忘れちゃったんですか?

 いや、はあ、まあそうですよね。あれだけ派手に頭ぶつけたらそうなりますよね。

 でもなんでぶつけたんですか?」


「本当に何したの俺?」


「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 ………………それも計算のうちですか?」


 俺はジョセフ・ジョースターなのか?

 だが、だがしかし。ここで『ああその通りだぜ』などとテキトーにホラ吹いたところでどうなるというのか。


 予想するまでもない。開戦である。俺と黒紫あげはとの間で戦いが勃発してしまう。ホラ吹いたら法螺貝吹かれて開戦の狼煙を上げられてしまう。


 いや本当に俺が昨日彼女に何をしたのか皆目見当もつかないというか、全く覚えていないというか、なんなら俺が教えて欲しいぐらいなのだが彼女は頑なに教えてくれないでいる。

 紅に染まった夕空をバックに、スクールバッグを両手で抱えた彼女は赤く漲るアイズで俺を睨みつけている。このままでは彼女は返り血で紅になる。


 とにかく開戦だけは避けたい。外交努力は惜しみなくしておきたい。この場で開戦などしようものなら大変である。開戦しようものなら血を血で洗う屍山血河の剣豪抜刀/剣豪伐倒。そんなことになってしまったらあからさまに不味い。圧倒的に不味い。愛憎入り混じり憎しみが憎しみを呼ぶ闇の円環-ダーク・メビウスリング-である。それは良くない。開戦によって憎しみの廻戦など始めてはいけない。廻戦×開戦など開幕させてはいけない。ナイナイ尽くしのバーゲンセール。俺は決意を固めた。


「——何があったかは分かりませんが、どうか何卒お許しください」


 土下座である。


 プライドもへったくれもなく、というか記憶にないにせよ彼女に何かした俺に今できることなど最早これぐらいしか思い浮かばなかった。

 とにかく謝りたい。何をすれば良いのかなど分からなくとも、とにかく彼女に対してしてしまった何か——それへの贖罪の気持ちだけは示しておきたい。そう思った結果がこれであった。


 当然、顔を床に擦り付けているため彼女の表情なり仕草なりは見えないのだが、特に物音ひとつしなかったことから鑑みるに、彼女は全然これっぽっちも動揺していないようだった。良いのか悪いのかはぶっちゃけ全然分からないが、とにかく彼女からのアクションがあるまでは、俺はこうやって床と一体化していく他あるまい——そう思っていた。


 思っていたら、後頭部に何か布のようなものが当たった。


 どう考えてもスカートであった。


「——————!?!?!?」

「あ。動かないでください。殺しはしませんが死にたくなるような気持ちにさせますよ」


 やけに生々しい恐怖が頭上にあったため、俺はとりあえず沈黙を貫くことにした。


「うーん、なるほど征服感。

 制服で征服感って生み出せるんですね。ちょっとインモラルです」


 何言ってんの? ってツッコミを入れたかったがそんな自由は今の俺にはないので、おとなしくスカートかけられマンに徹することを選ぶ。


「時に先輩。『スヴァールバル世界種子貯蔵庫』って知ってますか? あ、喋って良いですから答えてください」


 えらく唐突な話題だな……などと思ったものだが、もしかしたらこれがなんらかのヒントになっているのかもしれない。そう思ったので俺は脳内の引き出しをガサゴソ開けまく——るまでもなく、それについて答えた。


「……色んな植物の種子を保存している施設だろ。いわば——」

「『いわば現代の【ノアの方舟】だな。と言っても、これも受け売りで俺の言葉じゃないんだが』」


 俺が言おうとしていたことを、途中から乗っ取られた。ていうかなんで誦じられるの?


「おや、不思議そうですね先輩。その顔——はもちろん私のスカートで遮られて見えないんですけど、その沈黙でわかります。

 ? ですよね?」


「……ああ、その通りだ黒紫」

「ちゃんと『ちゃん付け』してください」

「……黒紫ちゃん。でも本当になんでなんだ。キミひょっとしてエスパーなのか?」


 などと言っていると、彼女はさらに深く座ったようで、何か分からないがとにかく何かが頭部に当たっていた。何かは分からないが深く考えると不味い気がするのでそこへの思考は放棄する。


「むむ、思い出さないどころか冷静ですね。ひどい話です。まあでもこれじゃ話が進まないので答えにして真相の大ヒントをお教えしましょう」


 などと言って彼女はこう続けた。


「昨日先輩が言ったんですよ。覚えていないようですけど」


 ……なるほど。完全に記憶からすっぽ抜けていた上で、(おそらく)近い条件下で『スヴァールバル世界種子貯蔵庫』の話題に入ったことで——俺はということなのだろう。

 全く、どんな思考実験だこれ。


「……なるほど。で、そもそも俺はなんでそんなこと言ったんだ?」


「口説き文句だったみたいですよ」


「は?」


 何がどうなってそうなった? 昨日の俺は何かどうなっていた?

 頭を打ったとかで、マジで昨日のことを何一つ思い出せないんだが、俺は一体彼女に何をしたんだ?


「まあなんていうか、喋ってて、その、良い感じの雰囲気になったのは否定しません、しませんよ。私もその、悪い気はしなかったので」


 何やらしおらしい語調になっていく黒紫あげはだったが、その顔を見ようにも諸事情で見れないため、俺は地面と融合したまま話を聞く。


「それでその、本当にドキドキしてきたタイミングで貴方がそんなことを言ったんです。私、最初何が言いたいのか分からなかったんです。でも、その時貴方が——」

「——俺のイヴになってくれないか?

 ……そう言ったんだな?」


 マジでキモいが、俺ならそう言いかねないことだけは自明だったため、そう口にした。


「……うわマジでキモイです。何度聞いてもキモいです。

 いやアダムとイヴはキモくないんですけど先輩はマジでキモいです。あとノアの方舟はアダムとイヴじゃないです。ノアって言ってるでしょうが」


 マジでキモい上にマジでハズい。昨日の俺なんてことしてくれてんだ!!



「もうキモくて良いので黒紫ちゃんもこのこと忘却の彼方にぶん投げてくれないかな……。槍投げの要領で、なげやりで良いから」


 などと言ったらさらに頭に何かを押し付けられた。


「いやキモかったんですけど、でも先輩わりに顔と声は良いじゃないですか。あとキモいけど意外と気は利くじゃないですか。だからキモいなりにときめいてはいたんですよ」


 そう言いながら彼女は俺から離れる。


「先輩。ここまで言っても思い出せないならもう良いです。話してたら意外とスッキリしましたし。だからもう顔あげてくれて良いですよ。

 あでもパンツ見えかねないのでサッサと立ち上がってください」


 言われた通り立ち上がり、再び彼女を見る。彼女は少し顔が紅くなっており、そして少しだけ涙目であった。


「その、本当にごめん。きっと君を傷つけた。だから、またちゃんとお詫びをするよ」


 俺が再び頭を下げると、彼女は笑って近づいて、


「そこまで真摯に対応してくれたならもう多くは望みませんよ。


 ——でもベロチューのことは早く思い出してくださいね」



 そう言って彼女は図書室を出ていった。



「俺何したの!?!?!?!?!?!?!?!?」


 昨日の記憶はどこかの彼方。いっそ方舟にしまわれたってことにしておきたかった。


第一話、了。

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