米屋さんと異聞奇譚
米屋 四季
プロローグ 【友人が気付いてしまったもの】
「最近小説書いてないの?」
機械がガシャガシャとうるさく動く工場内で作業をしている中、後輩のサヤカさんが僕にそう質問してきた。
僕は趣味で小説を書いてネットに投稿している。そしてそれをサヤカさんは知っている。
ただそれだけ。
サヤカさんは時々こうやって小説を書いていることを質問はしてくるものの、サヤカさんは1度も僕の小説を読んだことはない。前に1度だけ読ませようとしたら「面倒だから嫌」と言われたから。
「たまーに書いてるけど……なに? 読みたくなった?」
「いや、それはない」
なんやねん――その言葉を呑み込み、僕は「じゃあ、なんで聞いてきたんだよ?」とサヤカさんに質問する。
「仕事が無くて暇なので。暇を潰しに」
「……ほー、なるほど。一生懸命お仕事を頑張っている先輩をわざわざ煽りに来たと。さっさと自分の持ち場に帰れ」
「そんなつれないこと言うなって。若い女の子が話しに来てくれて嬉しいくせに。それにさ、四季君って恋愛小説を書いてるんでしょ? だったらこういう異性との絡みを大事にしたほうがいいと思うよ。四季君ってプライベートだと全然女の子との絡み無さそうだし」
「……勝手に決めつけないでもらえますかね」
「へぇ、意外。あるんだ」
「いや、まぁ……ほぼ無いけど」
「なあんだ、やっぱり無いんじゃん」
したり顔で僕を見下げるサヤカさん。これ以上サヤカさんのおもちゃになるわけにはいかないので、僕はそれ以上の会話を続けることはなく中断していた作業を再開した。
あとは2本のネジを締めるだけで終わる作業だが……僕は締めていたネジを再び緩め、汗もかいていない額を拭い、忙しいアピールをサヤカさんに見せつける。サヤカさんが自分の持ち場に戻るように。
しかし、サヤカさんは相当暇なようで戻る気配をこれっぽっちも見せず、機械にもたれかかって作業中の僕を眺め続けている。
「……戻らないの?」
「戻ったところで暇ですし」
「違う人のところに行けば? 暇そうにしている人と話せばいい」
「だってつまんないんだもん。車の話とかパチンコの話とか、趣味の話ばっかり」
唇の先を尖らして不満そうなサヤカさん。
サヤカさんが他の男とどういう内容の話をしてるか僕は知らないが、どうやらサヤカさんは暇を潰せれば誰でもいいというわけではなく、一応は人を選んで話をしているらしい。
そして今回は僕を選んでくれたと……ほーん、つまりサヤカさんは僕の話が面白いと思っているということだ。まぁ、なんだ。それはそれで悪い気はしないな。
あとは僕が作業をしていない時に話をかけてくれさえすれば、何も言うことはないんだけども。
「勘違いしないで欲しいから言っとくけど、四季君の話が特別面白いわけじゃないから。他よりは多少マシってだけ」
「……あのさ、それわざわざ言う必要あったか? 言わない方がいいことってこの世にはたくさんあるんだぞ」
「気持ち悪い勘違いをされたくないから釘は刺しとかないとね」
「気持ち悪い勘違いってなんだよ。つーか、こっちは忙しいんですけど?」
「嘘つけ。同じところのネジばっかり触ってるくせに。機械のことが何も分からなくても、四季君が意味ないことしてるのは分かるっつーの。それで? なんかないの? 面白い話」
面白い話――話の振られ方としては最悪だとは思いながらも、何かあったかを考える。
数秒ほど考え込んだところで、最近実際に体験したある出来事を思い出した。
笑えるタイプの面白い話ではないが……違う意味では面白い話だろう。
僕はそれをサヤカさんに話すことにした。
【case1 赤い服の女】
とある休日、僕は友人2人と遊びに出かけていて、某うどんが有名な県でうどん巡りをして、美術館に行き、夕食を地元のファミリーレストランで食っていた。
今日巡ったうどんの感想、美術館で観た作品に対する議論、そしてたわいもない会話をダラダラしていたので、入店したのは午後の8時ぐらいだったのに、ファミレスを出る頃には午後の11時を回っていた。
「なぁ、あれ……」
僕と友人のナオが車に乗ろうとした瞬間、友人のリュウが呟くようにそう言った。
僕たちがリュウの方を向くと、彼はある方向をじっと見ながら立ち尽くしている。
リュウの視線の先はファミレスの向かい側にあるビジネスホテルに向けられていた。
僕はリュウが言っていた『あれ』とは何なのかを探そうとしたが……探すまでもなく『あれ』が何を指しているのか分かった。
たくさんの四角い窓が並ぶ中、一箇所だけ人影が見える窓がある。
目を凝らしてみると、その人物は真っ赤なワンピースのようなものを着用していた。
夜だからか、少し距離が離れているからなのか、はたまた違う原因があるのか……どうしてかその人物の顔が真っ黒な絵の具で塗り潰されているように見え、表情は読み取れない。
しかし、着用している服装と体格から、窓に映る人物は多分女性だろうと推測出来た。
「あれって人……だよな?」
「あぁ、良かった……俺だけに見えているわけじゃないんだな」
ナオも窓に映る人物に気付いたようで、それに対してリュウが安堵の表情を浮かべる。
というのも、リュウは霊的なものが見える節があり(リュウは怖がりのためそれを頑なに否定しているが)、今回のも自分だけに見えていると思ったのだろう。
「僕にも見えてるから、あれは普通に生きている人だろうな」
「そ、そっか。四季にも見えてるなら確定だな」
3人とも見えていることが分かり、リュウの表情が更に明るくなる。
しかし、そんなリュウとは真逆に僕とナオの表情は曇っていた。
「生きているにしても不気味なことには変わりないけどな」
「だな。あそこから見える景色なんて大したもんじゃないのに何を見てんだ? 面白いものなんて何もないだろ」
僕たちの住んでいるところは田舎でもなければ都会とも言えない中途半端な町だ。
窓から見える景色なんてたかが知れている。
「そもそもあれってこっち向いてる? なんか俺……あの人の顔に黒いモヤがかかってるみたいに見えるから顔見えないんだよね。あれ後ろ姿とか?」
「あの立ち位置は外を見てんじゃねぇの? 俺も顔の確認は出来てないが……」
「部屋の明かりが逆光になって見えない説があるな。ていうか、なんでピクリとも動かないんだよ?」
人物の表情、その人物がいったい何を見ているのか、何をしているのか、それらを知るために僕たちはずっとその人物の方を見続ける。
すると突然、ナオが「あっ……」と声を上げた。
それは何かに気付いたような声だった。
「どうした? 何か分かったか?」
僕の質問にナオがゆっくりとこちらを振り向く。
その口はさっき声を発してからずっと開きっぱなしなようで、「あ」を発声したままの形で固まっていた。
「え? なになに? 怖いんだけど? もしかしてあれって……俺たちの方を見てるの?」
様子がおかしいナオにリュウが怯えながら尋ねる。僕に近付き、僕のジャージの裾をギュッと握りしめながら――うん。これに関してはマジでやめてほしい。
「僕は今のこの状況に恐怖を感じてるよ。いい歳した成人男性がビビって同じ成人男性である友人の服をひっしこで掴んでいるこの状況にな。男なんだからシャキッとしろよ」
「怖いに男も女も関係ないだろ。今の時代だとそれって問題発言だぞ。つーかそもそも俺はビビってねぇし。これは四季の身に急な危険が訪れた時にすぐ助けられるようにつーこんたんであってだな」
「わお、余計な親切どうもありがと。でも、いらない親切だからさっさと離れろ。そこは未来に出来るであろう彼女の為の専用スペースだからお前が気安く入ってきていい場所じゃないんだよ」
「一生出番のなさそうなスペースだな」
「は?」
「おい、お前ら……ふざけている場合じゃないぞ」
おちゃらけていた雰囲気をナオの真剣な声が一蹴する。
そしてそのナオの表情もまた声と同様に真剣だった。
僕の隣でリュウのごくりと唾を飲みこむ音が聞こえる。
暑くもないのにどうしてか自分の額と背中にジワリと汗が滲むのを感じる。
正直なところを言ってしまえば僕は誤魔化そうとしていた。異様な雰囲気、そして恐怖を。それはたぶんリュウも同じだった。
でも、それらをナオは許してはくれなかった。
「あれなんだけどよ……」
それだけを言ってナオは言葉を詰まらせる。
視線をあっちこっちに行き来させ、続きを言おうかどうか迷っているようだった。
「そこまで言ったらもうハッキリと言えよ。本当は聞きたかないけど、聞かないままってのも逆に気になって気持ち悪いしさ」
「そ、そうだな。俺も四季に同意」
そう言うリュウの体は少し震えていた。
僕に同意というのは本心ではあるのかもしれないが、やはり恐怖心もあるのだろう。
きっとナオは気付いてはいけないことに気付いてしまった。そして今、それに気付いているのはナオだけであり、僕たちは気付いていない。ナオが言わなければ、僕たちは知らないまま。それが分かっているからナオは言おうか迷っている。それを僕たちも分かっている。
知らないに越したことはないのだろうが……友人1人だけが恐ろしい想いをしているのは、この場に居合わせている身としてはなんだか忍びない気持ちが僕にはあった。
リュウもリュウで最初にホテルの窓際の人影に気付いて足を止めてしまった責任感を感じているのかもしれない。(そもそも最初にリュウが立ち止まらなければ僕たちは今ごろ家に帰っているはずだしな。)
覚悟を決めた僕たちの表情をナオは一度だけ交互に見て――ナオは今まで真剣だった表情を「ふっ」と緩め、口を開いた。
「あれな、黒い丸帽子と赤い服がハンガーにかけられてるだけだ」
「「…………へ?」」
僕とリュウの口から同時にマヌケな声が出た。
そんな呆気に取られている僕たちを置いてナオは「あーあっ。馬鹿らし。帰ろ帰ろ」と早々と車に乗り込もうとする。
「いやいや、待てよ。あれがハンガーにかけられている服と帽子? そんなわけないだろ?」
「どうして3人ともあれの顔が見えなかったのか? そもそもあれは人じゃなかったからだ。ただの黒い丸帽子が顔の形に見えていただけ。人に見えていたあれが微動だにしなかったのも、ただのかけられている服が動くわけがないからな」
僕たちが不思議に思っていたことをナオは淡々と説明していく。
ナオの説明は納得の出来るものだ。でも――
「じゃあ、さっきの間は何だったんだって話よ? そんな下らない話だったならさらっと言えただろ」
「2人をちょっとからかってやろうと思ってな」
「からかう? だとしたらやりすぎじゃないか?」
「そこまで言うほどじゃないだろ。俺は軽い気持ちだったのに勝手にそっちが深く考えすぎただけで」
「いいや。そんなことするやつじゃないねお前は。絶対にあれは――」
「なぁ……四季はあれが幽霊とか化け物であってほしいわけ?」
僕の言葉を遮ったナオの声は怒鳴り声でもなければ威圧的なものではなく、ただ静かに呟くような声だったのに、どうしてか僕は言葉の続きを言えなかった。
――いや、これ以上は言及したらいけない。そう思わされた。
「そういうわけじゃ……ないけど……」
「なら、それでいいだろ」
早々に話を切り上げてナオは車の助手席に乗り込む。
「なるほどなぁ。どうりで顔が見えないわけだ。服と帽子……判れば確かに馬鹿らしいな」
リュウもナオの説明を信じ切ったみたいで、安堵の表情を浮かべながら後部座席に乗り込んだ。
僕は納得はしていないものの……かといって残って何かを出来るわけではないので、しぶしぶ運転席に乗り込む。
「ネット記事で見たんだけどさ、最近世界中の至る場所で赤い服を着た女性が出没しているらしいんだよね。しかもどうやらその人物は同一人物ぽいらしくてさ、同じ時間帯に同じ人間が2人以上存在する。それを見ちゃったんじゃないかと思ったわけよ」
恐怖心から開放されたリュウはえらく饒舌だった。
助手席のナオは返事もせずにぼーっとスマホを眺めている。
僕は車のエンジンをかけ、ライトを点灯、ハンドルを切ってファミレスの駐車場から出て、さらにそこから右折した。
すぐ左斜め前にはあのホテルがある。
……ナオが言ったことは本当だったのだろうか?
猜疑心が再び芽吹いたと同時に、あれが本当にただの服だったのか僕は上を見ようと顔を――
「やめとけ」
助手席のナオの声に上を向きかけていた視線が下に戻される。
ナオはスマホを眺めたまま、僕のことなんて見てはいなかった。
それでもナオは僕が確認しようとホテルを見ることなんてお見通しだったのだろう。
「見たって何もいいことなんてねぇぞ」
ホテルの前を通り過ぎてしまい、僕が確認出来なくなったところまで来て、やっとナオはスマホを閉じて顔を上げた。
「なんたって、ただの服と帽子なんだからな」
そう言ったナオの表情は笑顔だった。
作りものではない、自然な笑顔。
それを見て僕は分からなくなった。
ナオのあれは本当にからかっていただけだったのだろうか?
でも、僕らが人だと思っていたあれは本当に服と帽子だったのか?
……戻ろうと思えばすぐに戻れる。
実際にこの目で見て事実を確認すれば、この不安から解放される。
――しかし、僕は引き返すことをせずに帰ることを選んだ。
僕たちはその後、何事もなく家に辿り着いた。
※※※※※
「男3人が揃いも揃ってただの服にビビっていたと。なんとも情けない話だね」
サヤカさんはそう言うと、半笑いで「まっ、ちょっとは面白かったかな」と付け足した。
どうやら僕はサヤカさんの暇つぶしの役目を全うすることが出来たらしい。
そう、これは笑い話だ。サヤカさんが言った通り、男3人がただの衣服にビビっていた、それだけの話。――しかし、それはここで終わればの話でもある。
「この話にはまだ続きがある」
※※※※※
服と帽子を人と勘違いした次の日。僕は友人である
彼は件のビジネスホテルで働いているホテルマンだ。
彼が働いている職場で起こった出来事というのもあり、僕は昨日のことを東海に話した。
「それは嘘だな」
僕の話が終わった途端、間髪入れずに東海がそう言った。
「はぁ? うそぉ? 嘘でこんなしょうもない話するか。嘘だったらもっと盛りに盛って面白い話に――」
「違う。そっちじゃない。ナオが言ったことだ」
東海は頭をぐしゃぐしゃと掻きながら「はぁー……」と深いため息を吐く。
「そもそもがおかしい話だろ。かけている服が外から見える部屋の構造にするか? 高級ホテルじゃないにしても、一応は全国に展開しているビジホだぞ?」
「それは……確かに……」
「窓際に立っている人が見えたところってどのあたりの部屋だった?」
「はっきりとは覚えてないけど……左端の真ん中ぐらい?」
「端か……そして、真ん中ぐらい。……階数で言えば5、6階よりは上か?」
「たぶん上だった」
「見え方は?」
「見え方?」
「不自然な感じかどうかって話だ。仮に窓枠にハンガー引っ掛けて服をかけていたんだとしたら、帽子の位置は上の窓枠と被るはずだろ。上の窓枠と頭の間に空間があって、窓際に立っているように違和感なく見えたんだったら、そうじゃないってことだ」
「あぁ、そういうこと。特に違和感はなかったよ」
「てことは少なくとも窓から離れているところに服がかけられているはずだよな。でも、ファミレスの駐車場からホテルまでは4車線分の距離が離れてるといっても、角度的に窓枠から離れているところにかけてる服が見えるとは思えねえんだよな。見えたとして、何かしらの違和感は感じると思うんだが……」
……あぁ、そうだ。冷静に考えればおかしい点は次々と上がってくる。
「ということはだ。実際に窓際に人が立っていた……ぐらいしか説明がつかないんだよ」
「……じゃあ、なんでナオは嘘ついたんだよ?」
「そんなの俺が知るかよ。何かに気付いちまったんじゃねーの?」
「何かって……なんだよ?」
「本人に聞け」
「じゃあ今から電話して話を――」
「やめろバカ。今じゃないだろ。明日働く俺の身になれよ。俺の担当はロビーだけじゃなく、部屋の掃除もあるんだぞ。これ以上不安要素を増やすんじゃねえ。ただでさえ角部屋は気持ち悪いっていうのに……」
はぁー……と深いため息を吐きながら額を手で抑えている東海に僕は「ただでさえ角部屋は気持ち悪い?」と抱いた疑問をそのまま口にする。
どうやら東海はそれを僕に伝えるつもりはなかったみたいで、あっ、やべっ……とでも心の中で思ってそうな面を僕に向けた。
「あー、気にすんな」
「いや、それは無理だろ。角部屋になんかあんの?」
「……口を滑らした俺のミスだけど絶対に周りに広めるなよ。壁の向こうは外のはずなのに叩くような音が聞こえるとか、風呂には誰もいないはずなのに物音が聞こえたとかの苦情がたまにあるんだよ。それが角部屋に集中してんだ」
「へぇー。なんか怖い話とかでよくある話だな」
「それだけだったら俺も気のせいだろって済ませれるんだけどよ……角部屋だけ他の部屋と構造が違うんだ」
「え? なになに? ちょっと前に上映されていた映画でそういうのあったよな。妙な空間とかあんの?」
「茶化すなよ。リアルで気持ち悪い話なんだからよ。ホテルには姿見があるだろ? それがどうしてか角部屋だけ風呂場の扉の前にあるんだよ」
それを聞いた瞬間、ゾクリと背筋が凍る思いがした。
ありえないことではないし、ありえたところでなんだって話だが……もし僕が想像したそれが現実にあったとしたら、東海の言う気持ち悪いの意味が分かる。
いや、でも、それこそ東海が言っていた全国に展開されているビジネスホテルでそれがありえるわけが……。
「察しがいいな。つってもあれだけ言えばだいたいの想像はつくか」
東海はそう言って僕から目を背ける。
その彼の横顔は呆れたような、諦めのような、それらが入り混じった薄笑いを浮かべていて――「まっ、つまりはそういうことだ」と東海は言葉を続けた。
「部屋の姿見と風呂場の鏡、風呂場の扉が開いている時に合わせ鏡になる構造なんだよ。な? 気持ち悪いだろ?」
※※※※※
「この話どう思う?」
話を終えた僕はサヤカさんに尋ねる。
これはあの話が面白いかどうかを尋ねたわけではない。
サヤカさんは霊感が強い(自称)ので幽霊が見えるらしく、霊的なことが絡んでいる話を聞けば、寒気がしたり肩が重くなったり体調に不調をきたしたり等の変化を感じるので、僕はあのホテルの件が霊的なものに関わりがあると思い、彼女にそれを尋ねたのだ。
「うーん……別に何も変わりは無いですね。もしかしたら、本当に生きている人だったとか?」
「だとしたらナオが嘘をつく必要は無いだろ」
「その女の人? が凶器を持ってたんじゃない? 例えば包丁とか。それで四季君たちを見つめているのをナオって人は気付いてしまった。……おおっ怖」
肩をすくめながら戯けた様子で話すサヤカさんの顔は少し青ざめていた。
僕もサヤカさんの言っていたことを想像する。
窓際で包丁を片手に僕たちを見つめる真っ赤な服を着た女性を……。
「おい、変なこと言うのはやめろよ」
「変なことをずっと言っているのはそっちでしょ。人だと思っていたのが服だったとか、その部屋が合わせ鏡だったとか」
「いや、まぁ……そうだけども……それが体験した話そのまんまだし……」
「……ねぇ、こういうのを小説に書けばいいんじゃない?」
何の脈絡の無いサヤカさんからの提案に僕の口から「はあ?」と間の抜けた声が出た。
「無理無理無理。体験したホラーなんて作り話だって思われてバカにされそうだし、ていうかそもそも僕のこれがホラーかって言われたら怪しいし、オチも微妙でその後に誰かが亡くなったとか連絡が取れないとかのインパクトもないし」
「その微妙な感じがリアル感があっていいじゃん。誰かが亡くなっていた方が嘘っぽいし、しかもそれだと四季君は書けないでしょ」
「そうだけども……でもなぁ……」
「何を渋ってんの? 書けばいいじゃん。色々な心霊体験しているんだから、書くネタは沢山あるでしょ」
「あるけどさ……それを書いたところで誰かに需要ある? いや、まぁ、誰かのために小説を書いてるわけじゃ無いけどさ。だけど、そもそも自分が書きたいと思っていないと書けないし」
「ホラーってけっこうな人気ジャンルだから需要はあるんじゃない? それに私だけじゃ分からないことも他の人なら分かることもあるかもよ。さっきの話だって似たような体験をした人がいるかもしれないし、何かを感じる人もいるかもしれない。四季君が不思議に思っていたことに決着がつくかも。ほら、これなら周りの人にも需要はあるし、四季君にも書く意味はあるんじゃない?」
……サヤカさんが言っていることには一応の道理がある……のか?
まぁ、なんにせよ。今までは自分が体験したことを小説に書こうとしたことなんて一度も無かったが、少しだけ書いてもいい気がしてきた。
しかし、分からないことが一つだけある。
「なんでそんなに実体験を書けって勧めてくるわけ?」
数ヶ月前に「実際に体験したことを書いたら?」と友人に勧められた。
そのさらに前にも一度だけ違う人物からも同じことを。
そして今回のサヤカさん、とこれで3人目だ。
僕は分からなかった。僕の人生は大して面白くもなければ波乱万丈もありゃしない、しょうもない人生なのに、どうして周りはそうやって僕が実際に体験したことを書かせようとするのか。
「……最近の四季君はしんどそうだったから。小説だって前は毎日書いてたって言ってたのに、最近は時々って言ってるし」
「……」
正直なところを言ってしまえば、しんどいと思っている自覚は無い。
だけど、もし周りが僕のことをそう見えているなら、きっと僕はそうなのだろう。
サヤカさんにはたまに小説を書いていると言ったが……本当は全然書いていない。――いや、書けていないと言った方が正しいのか。
書いては全てを消して、また書いては全てを消してをずっと繰り返している。
毎日を意味の無いことの繰り返し。
周りは結婚して、家族を持って、意味のあることをしているのに、僕は何も進まないまま。歳だけを漠然と重ねて、その場でただ足踏みをしている。
「小説だけがしんどそうにしている理由じゃないと思うけど、でもやっぱり小説も一つの要因にはなっていると思うから。だから実際に体験したことなら描きやすいんじゃないかと思ってね。私は小説を書かないからそこらへんよく分からないけど。……ま、まぁ、でも、あれだよ? 書くかどうかは四季君次第だから」
「いいよ。書いてみる」
僕のその一言にサヤカさんは大きい丸型の瞳をより一層大きくさせ、そして次に大きくさせた目を細めると、嬉しそうに微笑んだ。
「そっか。もし本当に書いたら読んであげてもいいかもね。それじゃ、暇つぶしはこれぐらいにして」
要件が済んだのか、サヤカさんは機械にもたれ掛けていた体を起こし、颯爽と持ち場に戻っていく。
僕も残っていた作業を速やかに終わらせ、次の機械に移動しようとした……その時――
[やっと書く気になったんだね]
聞こえるはずのない声が聞こえ、驚いた僕は声がした方を振り返る。
……僕が期待していた人物の姿はそこにはなかった。
それは僕に1番最初に実体験を小説に書くことを勧めてきた人物。
……まぁ、当然といえば当然だ。
ありえるはずがない。
ここにいるはずがない。
だって、そいつはもう数年も前に、この世から消えていなくなったのだから。
米屋さんと異聞奇譚 米屋 四季 @nagoriyuki
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