あの日見た未来

さくら

第1章 本章

第1話 母、そして父

朝日が差し込む。

カーテンをさっと開けて窓の外を見る。

窓越しに見るそこには、時間が止まったままの「その部屋」が見える。


窓を開けると肌寒い風が入ってくる。


そう……

もう、こんな季節か……


夏が終わる、そんな季節。


そっと窓を閉めて……もう一度その部屋に目をやった後、私はクローゼットを開け、いつもそうしていたように、『仕事着』に着替えて外に出た。




目を閉じると、元気だった『あの人』の姿が目に浮かぶ。

私を「あの世界」から救い出してくれた人。私の手を取り、私を「私のまま」で、受け止めてくれた、初めての人。


「私」が『あの人』に会ったのは、私が「私の世界」から出ることを拒んでから、ずいぶん経ったあとのことだった。


私の家は貧しかった。私が「私になる前」からずっと、まだ私が「僕」であった頃から、父も母も懸命に働いていた。毎日毎日、朝早くから夜遅くまで田畑を耕し、うちの中では内職をしていた。

それでも、食卓に並ぶものは少なく、固いパンと水が食べられればまだマシだった。

ここは領主が取り決めた年貢率が非常に厳しく、また土も決して恵まれたものではなかったこともあり、どんなに働いても年貢の分だけしか作物を育てることができなかった。中でも私たちの家の周りの土地は、その中でも最も過酷な環境であった。固く、水もはるか遠くまで汲みにいかなければ手に入らない場所に、私たちの家があった。

それでも領主は、そんな私たちからも、容赦なく年貢を取り立てた。


そんなある日、ついに母が倒れた。外で畑をしていた父が、母を背負ってきたのだ。

医者を呼んで来ようとする父を、意識が戻った母が手を伸ばして制止する。

私たちの家には、医者を呼ぶ金など、どこにもなかったのだ。


それからは、父が働き、私が家事をする生活が続いた。母の身体は一向に良くならず、寝たきりの状態が続いていた。明らかに、栄養が不足していたのだ。そんな母に少しでも食べさせようと、父も私も、自分の取り分を母に分け与えようとするが、母は断固としてそれを拒否した。そして、母の看病や父の仕事の手伝いをするとどんなに言っても、絶対に学校に行かせた。母のその頑固なまでの強い意志に、私はいつも感謝し……次第に衰えていくその姿をみて、私自身の無力感、領主への不満、不信が募るばかりであった。


せめて、少しでもよい物を食べさせて上げられれば……

そう思い、私は意を決し……あることを実行に移した。


貧しい私は、学校でもひと際浮いた存在であった。

決して周りが裕福だったわけではない。彼らも同様に年貢を取り立てられていたのだから。

しかしそれでも、私たちの土地よりは、はるかに環境の良い場所に住む子たちばかりだった。そんな彼らは、私の姿を見るたびに、横をすれ違うたびに、私を嘲笑した。体がやせ細り、小さかった私。貧しく、満足な服も持っていなかった私は、恰好のいじめの的だった。


そんな彼らに、私もやるせない気持ちをいつも抱いていた。彼らに私自身から近づくなど、絶対に嫌だった。しかし、そんなことを言っている時ではなかった。

私は彼らに近づき…請うた。パンを、チーズを。母に、食べてもらうために。そのためには…どんなことにも耐えるつもりだった。


それを彼らに請うたときの彼らの一瞬の静寂、そして大きな嘲笑。


――なぁ。お前、それがどういうことかわかってるんだろうな?――

――お前女っぽいからちょうどいいや――

――違いないな!はははは――


彼らが私を見る目が、初めておぞましい目つきに変わったのを感じた。


彼らは授業が終わったあと、誰もいない廃屋に私を連れていき、そして…。


――あぁ、ほんとに女抱いてるみたいだな――

――お前、長ぇよ、早く射精っちまえ――

――は、はは、口の中、あったけぇ――


いきり立つモノを口に無理やり入れられ、喉の奥で――そして、後ろの穴に吐き出される大量の精液。


「こと」が済み、満足げに帰る彼らの足音。服も、下着も引き裂かれ…身体を動かそうとすると、「後ろの穴」に鋭い痛みが走る。




肛門や体じゅうのあちこちからたちこめる、彼らの「情欲の痕」をなすりつけられた私の傍らに投げ捨てられた、一切れのパンとチーズ。それを手に持ち……痛む体をなんとか起こし、家に急いだ。




しかし……部屋に入った瞬間、視界に飛び込んできたのは――


「……!!」


ボト、と床に落ちるパンとチーズ。力なく目を閉じたままの母を抱きしめて泣き崩れている父。

瞬間で、理解した。何が、起きたのか。


全身の力が、吸い取られるように私はその場で崩れ落ちた。


ダメだよ父さん!母さんの身体は弱いんだ、そんなに揺すったらだめだよ……

ほ、ほら、母さん、ぼ、僕、パンとチーズをもらったんだ。ほら、食べてよ……

食べて……!!!!



それから、何かが少しずつ壊れていった。学校では、周囲が私を……「僕」を見る目に、侮蔑とは別の、なにか舐めまわすような視線を感じるようになった。そして、予想通り……執拗に「ソレ」を求められ、強要される日々が始まった。


父も変わった。父は、本当に母を愛していた。その母を失い、父は生きる気力を失くしていた。そんな父が、いつしか酒に逃げ始め、畑に出なくなり、作物が枯れ始めていた。

年貢の徴収も、差し迫っていた。

私は学校に行く余裕がなくなり、父に代わって畑に出るようになった。慣れない仕事にくじけそうになりながら、なんとか畑仕事をやろうとしていた。


ある日、酒に酔った父が私を母の名で呼んだ。涙ながらに、嗚咽しながら私を抱きしめた。

父の溢れんばかりのその悲しみ、母への愛を、肌で感じた私には…拒絶などできなかった。

やんわりと父を抱きしめ、かつて母がそうしていたように、下の名で呼ぶ。びくん、と驚いたような顔をして私を見た父は…すでに私を「息子」だとは思っていなかった。

私の中にある母の面影に囚われた父は、それから私を「抱く」ようになった。働かなくなり、酒におぼれ、私の身体を抱いては、母の幻影にむせび泣く。そんな父を、私は…放っておくことなど、できなかった。


最初は嫌だった。学校の連中に暴行された時のことが蘇った。父に唇を吸われ、下腹部に指を入れられ、そして父の剛直を受け入れるたびに、その時のことが蘇った。


父は、そんな私でも優しく抱いてくれた。そんな抱き方に、次第に父と身体を重ねることに嫌悪感がなくなっていった。父に求められる時も、私は母がかつてそうしていたようにふるまった。なるべく艶やかに、女性のように喘いだ。父のことは、下の名で呼ぶのが常になっていった。


そんなある日、年貢徴収官が家に入ってきた。

酒に酔いつぶれた父と身体を重ねている私。はっとして身体を起こすが、すでに徴収官は家中を荒らしまわっている。

どうすべきか考えていると、どこにも納めるべき年貢がないことを知った徴収官が、父を棒でしたたかに殴りつけた。

悲鳴を上げる私。父への暴力を止めようと、徴収官に飛びかかろうとし、私も殴られる。

頭に血が上ったのか、剣を引き抜く徴収官。その切っ先が真上からまっすぐ私に振り下ろされようとする……。


その瞬間、ドン、と大きな衝撃を体に受け、壁に激突する。

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。目を開けると、血の海に沈んでいる父の身体。


言葉にならなかった。よろよろと父の傍に行き、その手を取る。

父が私を真っ直ぐ見て、にこりと微笑んで、一言。


「許してくれ」


そう言って、父は私の腕の中でこと切れた。


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