第3話

「ええ?ここぉ?」


 このような腑抜けた声を出したのは彼女だろうか。未開の脇道に、華の女子高生が二人。そこにはなんとも年季の入った建物が聳え立っていた。


 学び舎を抜けて十字路を右折。しばらく歩くと左手側に旧三河地区3番地の入り口が見えてくる。その門を横目に、そのまま直進。古びた日本地図で見た京の都のような十字路が続き、ちょこちょこと新興された店が立ち並ぶ道路に出る。「富んだ土地」の如き華やかさこそないが、その分を大人たちが活気で支えている。過去は工場のみだったらしいが、それでは味気ないと工夫を凝らし今の状態になったのだろう。そんな歴史が、街の表情から何とはなしに伝わってくる。


 シュカ曰く、「無駄な抵抗」とのこと。そこまで穿った見方をしなくてもとは思うが、彼女の憧れはここではないらしい。


 さて、そんな通りを直進すること信号3つ分。そろそろ疲れてきたが、彼女は「もう少しだよ」と掛け声を出す。人の心配をしている場合ではないというのに。


 私は生まれ持った恵体に備わる体力による熱を残しているが、彼女にはもうその余熱も残っていないらしい。ひいひいと言いながら重くなった足を引きづっている様子。棒切れか何かを添えてあげれば、まるで彼女は登山者の風貌。必要なのは、水。そして夢である。登頂の暁の景色には、まるで幻想のような景色が待っているのだろう。まあ、下山の際には、それ相応の現実も見る必要はあるのだが。


「大丈夫?シュカ...小鹿みたいだけど、足が。」


「......え?...小鹿のように細くて美しい脚?...まいっちゃうわね......はぁ...」


「お。まだまだ大丈夫そうね。次階段だけど。」


 目の前にそびえる遊歩道の下は、旧式の線路が整備されている。線路の上は、「富んだ土地」とここをつなぐ電車が走っていたらしい。今では全く使われなくなっており、ホラースポットと化している。「富んだ土地」のアクセス手段は、北口と東西口にある検問のみであるため、ここの電車は廃線となっているのだ。


「ええ......階段なんて無理なんだけど...おんぶして?」


「嫌だよ。ふつうに歩きなさい。」


 無理無理、と私はかぶりを振り、彼女を置いて会談に足をかけること5歩。


「おっぱいとか、揉みたくない?」


 私は階段を下りていた。不思議発見である。


 とまあ、紆余曲折あってたどりついたのがここジャンクショップことジャンク堂である。


 広さとしては、学び舎の校庭4分の1程度であろうか。店として見たとき、先ほどの活気のある大通りの店舗一つ一つと比べればかなり大きいと言える。しかし、そこには人々の喧騒も、そこからあふれん活気も何もない。ただの廃墟ともいえる何かが広がっていた。


 偶にガタンガタンという何かを運ぶような小さな音がするのが気がかりではある。私の耳を以てしても、かなり凝らさないと聞こえないほどの微音。こんなことろで何を作っているのか。疑ってくれと言っているようなものである。


 反面、シュカはその内心を、溢れんばかりに顔というキャンバスで表現している。眉は中心に寄り合いながら吊り上がり、溌剌とした碧眼は横軸にその座標をずらし、心なしか血管がピキピキという音を立てている。


 まさに悪鬼羅刹もかくやというところ。筆舌に尽くしがたい。あなたが言い出したことですよね?


「...まあまあまあ、まあいいわ。自分が言い出したことだしね。理想と合わなかったからっていきなり不機嫌になるのも、人の器が知れるってものよ。」


「お、言いたいこと全部言われた。もう私が言うことは何もないな。....こんなに立派になって。よよよ...」


 わざとらしい泣き真似を一つ。


「張り倒すわよ。」


 辛辣な言葉を一つ。理の理といえばそれまでである。私は彼女に舌を出しながら弁解と疑問の言葉を紡ぐ。ふと考えていたことがるのだ。


「ごめんて。..まあそれは兎も角、理想って何さ、シュカ。あんたジャンクショップに何求めてたわけ?こうなることはわかっていたでしょうに。お店の内容的にも。」


「...この街はどう思う?」


「え、演説?」


 予想の遙上に投げかけられた言葉に、私はうまく反応が出来ない。こんな悪球、放り込む方が悪いのだ。ちゃんとミットめがけて投げてくれないと、こっちも言葉の準備が間に合わない。


「この街の状況って言った方がいいかな。ほらあれ。」


 ピッと彼女が指を指す。その先には「未来の目」が煌々と輝きを放っている。


「あっちの「富んだ土地」とこっちの土地での圧倒的格差。それを見て見ぬふりをする人工知能AI。そんな中で颯爽と流れる謎のジャンクショップの噂。となれば考えることは一つでしょうに。」


「それは?」


「秘密基地よ、秘密基地。。町の中にポツンとある、小さな小屋の中。そこで繰り広げられる日々の謎を、いろいろなジャンクグッズをつなぎ合わせて解決していくものよ。」


 滔々と語られる、彼女の夢物語。女子高生も極まれりの顔立ちをしているというのに、こういうところはアツい少年のような瞳をしている。


「どこの世界の基準だよ、それは。見たことも聞いたこともないわよ。」


 私は軽く手を振って、彼女の話を受け流す。これ以上は、私にはいささか聞くに堪えないものであったがために。


「まあ、そうよね。ただ、私は考えてたっていうだけ。考えるだけなら自由でしょうに。」


 そのような彼女の殊勝な態度に、私は心の中で、ひっそりと、そしてしっかりと謝罪する。謝罪とは「罪」を「謝る」こと。私には、「謝る」に値する相応の罪を、また一つ作ってしまったがために。 


 ん?...何故?


 疑問と不快感がこみ上げ、私の心は吐き気の空模様を映す。どこかに雨宿りしなければ、この不透明さの正体に押しつぶされてしまいそうになるのを著間で感じ取る。


「...まあ、入ってみようよ。中は意外とシュカのその夢物語にも通じる何かがあるかもよ?」


「夢物語って言った?」


「めんどくさいな...小さいことは置いておいて。ほら行くよ。」


 私は彼女の腕を引く。無理やりにでも、ここに何があるのかを楽しみにする自分を作り出す。乗りかかった船だ、楽しまなくてなんとしよう。


「意外と乗り気ね...嫌いじゃないわ...」


 シュカが建物の外装をもう一度眺める。胸に膨らました期待も、口を離した風船の如き速度で萎んでいくようであった。


 中に入るために、ドアに手をかける。古びた壮観と合致する建付けの悪さを、彼らは音で表現する。ギギギ...と若干不快な音を奏でるのは、ドアだけではない。私の口も協演していた。さながら不協和音のデュエット。不快さも2倍である。


 シュカは耳に軽く手を当てながら、音がすごいと宣っている。少しは手伝ってくれと思わなくもないが、まあ彼女の手があったとて暖簾に何とやら。なればおとなしく座っててもらおう。


「んぎぎぎ....っとぅ!」


 パキキという音を立てて、寂れたドアはやっとこさその口を開ける。てこずらせやがって...。後ろでシュカは軽く拍手をしながら、若干ひきつった笑みを浮かべていた。


「おお~、流石の膂力。女子とは思えないわね。...後なんか、壊しちゃったりしてないよね?弁償とかなったら、多分私払えないけど。」


「せっかく開けてやったのに、なんということ言うんだ...。今から閉めるぞ。」


「冗談よ。開けてくれてありがと。...さあ入りましょう、すぐ入りましょう。」


 彼女はぐいぐいと私の背中を押す。言い出しっぺの法則はもう死んだようである。顔はいいのに面は厚い。これこそ来栖シュカの本懐である。


「まじかよお前。人に行かせるとは...。」


「大丈夫!!何かあったらすぐ人を呼んであげるわ!」


「まず助けてちょうだいよ。助かる命だってあるのよ。」


「能力ないから無理。でも任せて、人任せは得意なの!」


「それは十分わかったわよ。今までの一連の話でね。」


 くくくと女子らしからぬ笑みを口の端からこぼしながら、私はジャンク堂に一歩踏み出す。そのすぐ後ろをシュカが続いているのがわかる。不気味な建物に彼女は若干委縮しているようで、背中に伝わる手が揺れている。


「え?」


「うわぁ、なにこれぇ」


 私たちは思わず唖然とした。ジャンク堂という名前から、使えなくなったゴミや、使い古されたオーパーツなどがあると思っていた私たちを、情報でぶん殴るかの如く思いがけない光景に出会ったがために。


 意を決して入館した私たちを待っていたのは、寂れた本たちであった。入って右奥側にある階段付近を除き、本棚が所狭しと鎮座している。それは建物の内部すべてに羅列されているようであり、それらすべてにぎっしりと本が詰まっているようだった。


 私たちは入って左手側の本棚の隙間に入り込み、物色を始めた。一応名義的には、ここはお店、そして私たちは利用者に当たるのだから、商品を検分する権利は有しているはずである。


「これは...本?だよね、シュカ」


「多分ね。...ちょっと量がありすぎだけど。見たことないわよ、こんなにたくさん。どこにあったのよ。すごいわね...」


 そう言って彼女は適当な本棚から無造作に本を取り出す。そしてそのままパラパラとページをめくっていった。


「これ、どんな高尚な本かと思ったら、普通に漫画じゃない。ねえねえ、そっちはどう?漫画以外にある?」


「ええ、漫画?...あ、これもだ...」


 シュカに倣い、適当に手に取った本をぱらぱらとめくる。そこには重厚な厚みのある絵と吹き出し、白熱したキャラクターが所狭しとページの中に閉じ込められていた。これは紛れもなく漫画だ。...いや、漫画のはずである。しかし、妙な違和感を感じざるを得ない。私が幼いころに見ていた漫画は――


「...まあ、いいや。じゃあちょっと反対側から見てくるよ。シュカはそっちから見ていって。」


 私は彼女に背中を向け、建物の真反対となるように右手奥側の方に向かって歩き出すと、シュカは私の腕をつかんだ。


「いや怖いわ、一人にしないでよこんなところで。」


「なんでちょっとかわいいんだよ。」


「ちょっとじゃないわよ、私は。」


「やかましいわ。」


こんなやり取りは今日だけで何回目か呆れる私に、彼女は続ける。


「でもなんか変わった漫画ね。こういうの見たことないわ、あんまり。」


 不思議そうに彼女はページのはじを持ちながらぺらぺらとめくる。その碧眼の双眸は、意外にも興味の光が照らし出されている。まるで宝石や洋服を見た子供のようである。


「たしかに珍しい感じのテイストよね、こういう漫画。」


 彼女が読んでいる漫画、その続きの巻を手に取りパラパラとめくる。そこには、事故により人間でなくなってしまった主人公が、悪の組織ともいえる敵を不思議な力を用いて跋扈していくという漫画であった。なんとなく、フランツカフカの変身を彷彿とさせる。


「これは...能力を使ったなにかとか、そういうのかしら。漫画にも出てくることあるのね、能力って。」


「見たことなかったわよね、こういう能力が出てくる漫画って。目に留まらなかったとかそういう次元じゃなくて。」


「...だね。」


 そう。私が幼いころに見ていた漫画は――能力なんて一切出てこないものだったのだ。人と人が恋に恋するもの、それが漫画のすべてであると考えていた。方法や過程はどうであれ、最後には恋や結婚の果てを叶える。そんな物語こそが漫画が漫画たる所以であると考えていた。そこに、私たちの世界のような異能に関するものは一切出てこないのがセオリーのはずだ。


 だというのに、なんだこの漫画は。能力が登場しているではないか。これは私の認識から大きく外れている。何となくだが、偶然ではない気さえしてくる。


「いや、もしかしたら...」


 私が今しがた自分の考えを吟味しているところに、不躾にも声が届く。


「おや、珍しい、こんなところに客人が続くのはいつぶりかな。」


 階段からコツコツと音を立てて、一人の男が降りてくる。どうやら私は自分の頭の中の物語に集中しすぎていたようである。


 その男は、上下を濃緑色のスーツを着用し、その上に若緑色のコートを羽織っていた。更に紅玉色のネクタイと靴を着用しており、一見どこぞの富豪かのようにも思えた。また、漏れ出す気品が、白髪や髭に年季の重みを感じさせている。


「あ、こんにちわ。...ここって、今やってますよね?...なんか、あまりにも外装が、その...」


 シュカがしどろもどろに答える。別に妖しいことは何もないのだが。


「ああ、もちろん営業しているとも。もっとも、こちら側から入る人間は知れているがね。扉もさぞ重かったことだろう。」


 手入れなんてしてないからね、と奴は笑っていた。その呆けともいえる仕草に、私の心の空は濁りを含む。何とはなしに、されど確かに。


「ああ、そうだ、紹介をば。私は神木透。そこの...」


 そのごつごつとした岩肌を彷彿とさせる指が、指揮者のようにゆらりと揺れ、その先を示す。そこにいるのは、もちろん私だ。なぜなら――


「神木哀の父を名義とするものです。」


 奴は一応、私の父だからだ。


 試験管で作られた、所謂試験管ベイビー世代の私たちにとって親という概念は存在しない。それはかつての保護者としての役割を完全の放棄しているため、便宜的に存在しないものとなっている。


 かつての親というものの役割はなんなのか。それはこう定義づけられている。曰く、「身体的、精神的、物質的、社会的安全を保障する」ことであると。そして、それらは生み出された子供を取り巻く権利になっている。


 子供の権利というものは、一概にその「親」というものによって完遂されるのが一般的ではある。しかし、先にも述べていた通り、過去においてそれがまかり通らなくなる事例が多数あったようで。そのために私たち試験管ベイビーは生まれたのである。


 試験管ベイビー世代の生殖方法とは、一般的には普通の人間と変わらない。普通に男女がお付き合いをし、その結果結ばれ、次第に愛を育む。ここまでは一般的な生殖方法と同じである。私も幼き頃に夢見たストーリーである。そんな私もかわいいものだ。


 さて、これまでと違うのは、母体で成長予定の受精した胚を試験管内に移すという手順が含まれるということだ。試験管内に子宮内膜と同じ成分を用意することで、女体の負担を激減させることを目的として研究されていた成果が、ようやく実を結んだといったものである。


 当時では、やはり倫理的な観点から物議を醸しだし、反対運動もそこかしこで見られた。やれ政府の策略だ、やれ権利を奪うななどの声があふれ出し、陰謀論も大いなる盛り上がりを見せたことだろう。


 それでも、政府は試験管ベイビーの導入を強行した。それにはやはり日本の出生率の著しい低下がみられたことによる焦りが大きいのではないか。日本の出生率はとうに限界を迎えており、このまま緩やかに衰退していく泥船のようであったために、打ち出した前代未聞の大博打である。


 その結果は、これから徐々に表れていくのだろうか。少なくとも、そこまで急激な変化があったなどのニュースは入っていない。そして、それを示すかのように、私たちがいる「その他の土地」には大人がまだまだ多い現状がある。これは未来機関なぞが望んだものなのだろうか。


 閑話休題。試験管ベイビーはその後人工知能のロボやホログラムによって育てられるため、親がかかわる時間など数えるほどしかなくなくなっていく。その貴重な時間も、時間とともに短くなっていき、やがては疎遠となってしまう。


 そんなことがあるため、自分の親たちがどこにいるかなぞ、まったく知らないのも無理なからんことである。少なくとも、私こと神木哀は、奴がここにいることなぞ知らなかった。


「あ、そうなんですね。...親って、案外近くにいるんだね。」


「..そうかもねぇ。」


 私は歩く顎をさすりながら答え、奴を睨む。すべて奴が悪いと言わんばかりである。甚だ逆恨みもいいところだとは思うが、奴がいるなら勇んでくる必要などはなかったというのに。


「そういえば、ここって何なんですか?ジャンク堂っていうから、てっきり...」


 そう言ってシュカは、先ほどの夢物語のアツい展開を奴に言い聞かせる。それを聞いた奴は、怪しげな笑みを浮かべ、こう続けた。


「ははは...それは期待を裏切ってしまって申し訳なかったね。ここは、いわば本屋だよ。かつての少年少女たちは、活字を追い求め、表現された絵から美を享受し、そこから夢へと発展させていく。その一助となる施設さ。そしてここは、特に漫画やアニメーションを充実させている。ここにない物語などそうそうないよ。」


「確かに見たことのないものばかりだったよね、シュカ。こういう能力系?っていうのかな。そういう力を題材にしたものとか、全然私たち見たことなかったもんね。」


「最初に君が持っていたそれは、人間でなくなってしまった少年が、悲劇の中でもがき、自分の答えを見つけていく物語だよ。人間とは離れた能力を用いて、敵組織や世界と自問する全島シーンが魅力的だね。抒情詩的ともいえる。」


 へえ~ととぼけたような声を出し、シュカはその本の最後のページまでめくり、その後本を閉じる。それをもとの位置に戻した後、さらに他の本を手に取り、パラパラとめくる。その目に映る輝きは、やはり宝石でも見ているかのような、無垢のそれである。


「それは、大海原に飛び出したある少年が、海賊の王を目指す冒険記を記した漫画だね。30年も続いて世界にその名前を轟かせたものだよ。伏線の緻密さや表現の多さ、雄大な夢の先までを見事に描き、その名を知らない人はいないとまで言われた超人気少年漫画さ。」


「壮大な物語なんですね~。じゃあこっちの本は?」


 シュカがまた違う本を手に取る。その本の表紙には、黄色の背景に屈強な男が腰に手を当て、それを見つめる一人の少年が、憧れをともした目で見つめているものだった。


「それは、個性といわれる能力で人々を守るヒーローに憧れた少年たちの戦いの記録だよ。特徴として、主人公の少年だけではなく、敵にもスポットを当てる群像劇のような濃密さがある。この最後のシーンにはさすがの私も痺れたものだよ。」


  神木のその話を、シュカはキラキラという擬音をその目で奏でながら聞き入っている。ずいぶん魅力に取りつかれているようだ。ここまで彼女が興味を持つのは、久方ぶりだ。彼女にこんな少年のような一面があるのは、会話の隅から感じてはいたが。それにしても妙な食いつき方。まるで金魚鉢の裾で口でも開けているかのようだ。


 その様子を見た神木は、なんとも上機嫌に見えた。うんうんと満足そうにこちらを見つめたそれは、まさに自分の蒔いた種が順調に育っていくものを見つめるプランナーのようである。私から見れば、若干の気持ち悪さが勝る。


 あまり持ち合わせてこなかった、不快という心のざわめきを脳が敏感に感じ取り、帰宅の選択肢が頭に浮かぶ。しかし、それも甘い誘惑がシュカの脳に刺さり、つられて私も押し流されてしまった。


「興味があるなら、上でアニメも見ていかないかい。この上は映画館になっていてね。チュロスやポップコーンが置いてある。好きなものを食べてくれてかまわない。」


「えぇ~!いいんですか?好きに食べても!」


 女の子は、お砂糖とスパイスと素敵なものでできている。そのため、同族同志は惹かれ合う運命にあるのだ。少なくとも彼女はそのようで。


「哀、見に行こう!!絶対楽しいよ!!」


「わかったわかったよ、引っ張らないで...」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるように階段をせく彼女に、引きずられるような形で私たちは階段を上がる。その姿を見た神木の表情は見えなかったため、その表情は私たちには知る由もない。


「ここが映画館ってやつ?私初めて入るかも。」


 二段構えの階段を超えると、CINEMAとでかでかとアーチが私たちを出迎えた。

それをくぐるとそこには薄暗い空間が続く。しかし、そんな鬱蒼とした店内でも、清掃が行き届いているのがわかる。それが外装や1階と隔絶された空間であることを強調していた。


「何か映画のリクエストはあるかい?ど派手なアクションモノからしっとり泣ける名作まで取り揃えているよ。まあ、そんなに人が来るわけでもないから、ほこりをかぶりつつあるがね。」


「みんな興味ないんですかね、こういうの。...あなたはどう?結構好きなやつとか見たいものとかはある?」


 私の肩に手を置き、顔を近づけて彼女は聞く。吐息が耳に語るのがいじらしいが、その心地よさに浸ってもいられないため、早急に答えを出す。


「別に私は好きなのとかないよ。シュカの好きなヤツを適当に、チュロスで流し込むだけの作業に徹するわ。」


 そんな私のすっけからんな返答に対し、なんとも物悲しいねと神木はため息を一つ。その吐き出された空気の中に、嘲りの感情が含まれているように見えるのは、思い違いであるように。


「え~じゃあ、どうしようかな...」


 シュカが悩んでいるその時間、私は奴と取り残されてしまう。そんな燻りの流砂のなかで、奴の方から口を開く。


「お前はまだこっちにいるんだな。紛い物でも火種は残っていそうなものだが、知らない間に捨ててしまったのかな?」


「なんであんたにそんなこと聞かれなきゃなんないのよ。しかも何なのよその紛い物って。興味ないことを興味ない人に聞かれても、返答にすこぶる困るのだけれど。」


 シュカから一切目を離さずに、奴の投げかけた言葉を斬る。


「なるほど、その部分は相違ないな。」


「あとその勿体付けた言い方が気に入らないわ。答える気が有ったとしても、それらの言い方ひとつでその気がなくなるの。言葉は刃物よ。覚えておきなさい。」


「ふむ、これもまた正論。」


 奴は顎に手を当て、こちらをその深い双眸でのぞき込むのを感じた。


「では、そうだな。お前の能力は、どうなったのかな?母譲りのそれも、そろそろ現れた頃だろうと思ってな。」


 私はその言葉を聞くや否や、奴の方をじろりと一瞥。流れるような素早い動きで右手を左の腰に当てて、静かに奴を横目で流す。


「...うるさいぞ。それ以上何も言うな。不愉快だ。」


「....残念だ。まだはずれのスカのままとは。まあ、それはそれでいいのかもしれんがね。私も一応の親として、責任というものは取らされることもあるだろうからな。」


 瞬間、私の怒りの閾値を悠々に飛び越していく奴の姿が脳裏に浮かんだ。


 そんな言葉に私が獲物を取り出すよりも早く、「これに決めた!!」とシュカの快活な声が響いた。


「これこれ、これにするわよ。なんか名前だけは聞いたことあったのよね、コレ。どこであったのかしら。...ん?あれ、何かあったの二人とも。」


 張り詰めた空気が、彼女の間の抜けた一言でいくらか弛緩する。否、そう思っていたのは私だけのようで、奴は何の動揺も見せていなかった。興味がない、意味がないとでもいうかのような乱れのないその態度に、私は心の片隅に棘を持つ。


 しかし、彼女の手前、そうもいかない。そんな姿は隠し通すのだ。彼女のために、私のために。


「なんでもないよ、シュカ。どれどれ...」


 そこには、雄大な空飛ぶ城と二人の男女が描かれた、蒼き空の一滴をかたどったようなパッケージがあった。濁り切った私の瞳とは裏腹に、二人の曇りなく眼はどこまでも澄んでいた。


「じゃあ私は、映写室にこれをセットしてくるよ。二人はそこらのポップコーンやチュロスをお好みでどうぞ。ドリンクサーバーも用意してある。そちらも好きなものを飲むといい。」


 神木はそう言うと、売店の横にある細い通路を辿って奥の方へ消えていく。私個人としては、そのままどこかへ消えてくれるとありがたい。先ほどの不愉快は私の心をあれよあれよと蝕むことに躍起になっている。炎にくべられた苛立ちという薪は、かくも燃え広がるのが速いのか。


「ありがとうございまーす...さて、さて、さて...っと」


 シュカが掌をあわせ、指を組む。そして組み替えること三回。擬音を添えるならそわそわといったところか。なんとも落ち着きのない様子。その一挙手一投足に私の心は緩やかに弛緩していく。


「落ち着きないわね、シュカ。そんなに甘いもの好きだったの?」


 映画館の入り口から、売店のほうに歩きだすとともにそんな言葉を彼女に問いかける。差の時、彼女はこの鬱蒼とした闇の中でも光を発するような瞳と表情でわたしに熱弁を振るう。


「そりゃあ女子たるもの、甘いものは必須でしょうに。個人的にはチュロスっていう選択肢があるのが評価点が高いわね。あの形状、手に持っても邪魔にならない質感、その上片手で持てるほどの手軽さ、すべてがベストって感じ...」


「甘いものっていうか、チュロスがそんなに好きだったのね。説明が早口すぎるわ。最初の一言で足りてたわよ。」


「あと、いざってなったわ振り回して武器になりそうな点もグッドね。」


「来ないでしょ。どんな状況よ、それ。」


「それはほら...巷のノーパン抜刀斎に襲われた時とか...」


「そんな時はない。断言するわ。」


 一刀両断。乱麻に切り裂き彼女の奇抜な発想を強制終了させる。このままでは、彼女のチュロス談議に延々と付き合わされることになる。そんなことをしに来たわけではない。



「まあ、それはそれとして...チュロスが楽しみっていうより、普通にあの映画が楽しみなのよ。なんか目を引かれたのよね、あれ。」


「映画ねぇ...あいつがいなければ私も楽しみだったかもしれないけど、今は甘いもの食べて帰りたい気分ね。」


 私は腕を組み、大きく広げた口からこれまた大きく息を吐きだした。分相応のため息である。ここまでのこれ見よがしなため息というのは、昨今なかなかお目にかかれない自負がある。


「なんか、試験管ベイビーらしからぬ態度ね。そんなにお父さん嫌いなの?」


 そんな吐き出された怨恨の言を、シュカは見逃すはずもなく、裏表のない純粋な瞳で私に問うてきた。


「私たちって別に、親の云々とかあれこれとか何にも知らないから、好きになることや逆に嫌いになるようなこともないと思うんだけど。まあ、もちろん生理的にっていうのはあるかもしれないけど...でも、ここまで露骨かつ反抗的みたいな感じがあると、何かあるのかなって感じちゃうのよね。」


「...ああ、あいつ...神木透はね、このご時世に合わない過保護だったのよ。」


「過保護?私たちの幼少期とかって全員施設だから、過保護とか以前に会うことがないような気がするけど...事実、私多分一回も会ってないしね。」


 シュカがその綺麗な白髪を靡かせながら遠くを見つめる。その様子は、どこか遠くにいるであろう親というものに見限ったような、興味を無くしたようなものであった。どことなく、奴の瞳に似ていた気がし、私は身震いを一つ。そうか、そんなことになりませんようにと。


 そんな彼女を横目に、ドリンクサーバーの奥からプラスチック製のカップとストローを手に取り、コーラを注いだ。


「...まあ、全員が全員そうってわけじゃないのよ。一応の血のつながりから、顔だけは確認しておきたいっていう安易な気持ちから始まって、そのうちに情が湧いて...みたいな連鎖が起きる。それで結局この子はうちの子、一緒に住むみたいなことを言い出す人も出てくるの。その一例が私の家だったていうだけ。」


「それだけなら、別にいい家族な気がするけど。家族の情に熱いことは悪ではなくない?」


 彼女が指を顎に当ててこちらを見る。その双眸に宿る疑惑の感情が、私の心を突き刺してくるのをじわじわと感じとっていた。私はその疑問に買いする答えが彼女を傷つけることに気が付いていながらも、カップに注がれるコーラのように、なみなみ流れる怨嗟の言葉を止めることが出来なかった。


「それだけならね。そう、それだけなら私もここまであいつに対して悪感情をされ毛出すことはなかったと思うけど...多分、能力の関係でしょうね。」


「ああ~...」


 シュカの目に宿った疑惑が、様々な色に変わっていく。諦観、憤怒、哀憐、困惑...色鮮やかに変わる感情の色が、彼女や私の心に渦巻いていた。


「人工知能って、全部を等しく平等にするみたいなイメージらしいけど、やっぱり欠陥システム極まりないわね。能力が人のすべてではないのに。」


「そりゃそうだ。まあ、さっきの態度はこんなところからくる怨嗟の声とでも思っておいてくれ。先に映画だけ見ちゃおうよ。一応、さっきのやつだけはとりあえず私も見るからさ。」


「そうね。甘いもの食べて忘れましょう。とりあえず、チュロスとポップコーンから攻略していく?時間はまだあるわよね。」


「その前に何飲む?私のお勧めはコーラで。」


「ポップコーンとコーラとチュロス。本当に言ってる?ここはウーロン茶一択よ。」


「ここまできたら何も変わらないと思うけど...」


 うるさいわね、と彼女に一蹴され、さらに追撃の膝を食らう。その足に込められていたのは、劣等感を紛らわすような、彼女なりの慈愛の心が込められているような、そんな気がした。


「さて、そろそろ上映開始だ。シアタールームへどうぞ。」


 映像の準備ができたという旨のアナウンスを聞きつけ、甘いものとジュースを両手にシアタールームへと私たちの足は一歩踏み出す。その移動距離は歩数にして15歩。こじんまりとした両開きのドアを見ると、腕でそれを押しながら部屋の様子を覗き込む。


「なんか、映画館ていうよりは、ホームシアターに近い感じなのかな。ここに座れるの、50人くらいしかいないんじゃない?」


 シュカは率直な感想を出しながら、中央の席を分捕り腰を下ろす。


 薄緑色のライトが部屋を妖しく照らし、その内装が明らかになっていく。入って正面には横長のスクリーンが張り出されており、部屋の面積に対して高い天井、壁面には大きめのスピーカーを置いた、まさに迫力ある映像をこれでもかと演出している。しかしそこは、確かに映画館と名乗るにはあまりに小さいように思えた。


 スクリーンから見て逆三角形を描くように雪崩れているシートは、およそ5列ほど。一列8~13人掛けの椅子となれば、まあだいたいそれくらいだろう。


「まあ、2階が映画館になっているとはいっても、うちは基本本屋だからね。そこまで本格的な大きさや設備は整ってないよ。そもそも人が来るのが珍しい場所だしね。」


 スクリーンの反対側。映写室らしき場所には一人の男の影が見える。映写機のまばゆい光とは反対に、ぼやっとしたシルエットが揺蕩っている。


「でも、まあ二人位には余裕で見れるからね。まあ、楽しんでいってくれ。君が選んだ映画はとても良いチョイスだったよ。」


「ああ、それはありがとうございます。」


 先ほどの話をきいてなのか、彼女のテンションは若干落ち目だ。奴の差別主義は未来機関の人工知能とも通じている部分がある。というかほぼそれといっても過言ではない。


 そのため、人工知能AIに批判的なシュカが、態度にでてしまうことも無理なからんことである。


「じゃあ、そろそろ始めようか。」


 かちりという音を皮切りに、先ほどまで部屋を照らしていた薄緑色の光が姿を消す。同時にジジ...という音が微かに私の鼓膜を揺さぶった。


 映画が始まる。











 


 

















 


 

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