第五講 深淵を這う者
深淵を這う者 壱
また変な夢を見ている…。
そう思った根拠は至って単純。見たこともない豪華絢爛な部屋にいたからだ。
まるで大名や貴族が住んでいるようなその部屋には大体の物が揃っていた。
高そうな文具に子供が喜びそうな玩具、名前も分からない美味しそうなお菓子や本棚に所狭しと納まった本。
手を伸ばせば何でも掴めそうな場所。
…なのに、その部屋の主らしき小さな子供はそれらに目も暮れずただ無心に鞠をついて遊んでいる。
着ている着物からして多分女の子。金色の髪がとても眩しい。
でも、その表情は楽しんでいるとは程遠く、ただやることがないから作業的にやっているといった風だった。
「ねぇっ」
声をかけるまで私に気付いていなかったのか、女の子はひどく驚いた様子で振り返る。
「えっ…?」
その顔を見て私はしばし言葉を失った。だって、その女の子がふみえ様そっくりだったんだもの。
「あなた、誰…?」
女の子が怯えたように後ずさる。
「えっと、私は…」
「いやぁっ!!」
名乗るよりも先に鞠を投げつけられる。
「おっと」
それを避けると女の子は部屋の端に蹲って泣き出してしまった。
「誰か!誰か助けて!知らない人がいるの!!」
「えぇっ!?ちょっ!」
どうすれば…あっ!
「待って!私は敵じゃないわ!」
今の自分は心努の学生の恰好をしている。つまり、刀も持参しているということだ。
だから刀を鞘ごと抜いて床に置き、敵意がないことを示す。
「…?」
思いが伝わったのか、女の子がゆっくりと顔を上げる。涙で潤んだ茶色い瞳もふみえ様にそっくり。
もしかして、本当にふみえ様?…いやいや!会ったことすらない頃のふみえ様が夢に出てくるわけないじゃない!
「あなたはここの子?」
屈んで視線を合わせて問いかける。女の子は小さく頷いた。
「他にも玩具がいっぱいあるけど、それで遊ばないの?」
「遊び方わかんないもん…」
与えるだけ与えて遊び方は教えないって…。一体どんな親なの?
…まぁ、元父上もあんまり褒められた親じゃなかったけど。
「じゃあ本は?面白そうなのたくさんあるよ」
「全部読んだ…」
「すごっ!?」
この本棚全部!?難しそうな本もいっぱいあるのに…
「あなたは、わたしと遊んでくれるの?」
「えっ?」
「信乃様はたまに来て遊んでくれるけど、すぐに帰っちゃうの。みっちゃんも全然会えないし…。あなたはずっといてくれる?わたしから離れたりしない?」
期待と願望が籠もった純真な瞳が私を射抜く。
この子が誰でこの家にどんな事情があるかなんて分からない。でも、だからと言って、こんな小さな子供に寂しい思いをさせていいわけがない。
「うん。約束する…」
女の子に近づき、両手を伸ばす。肩に触れるとびくりと体が跳ねたけど、時間をかけてゆっくりと抱き締めると段々と震えが治まっていった。
「私がずっと傍にいる。何があってもあなたを離さない…!」
その決意に嘘偽りはない。でも、ここは私自身の泡沫の夢の中。
夢が覚めたらただの口約束になってしまう。だとしても、せめてその瞬間まではこの手を離さずにいよう。
「…っ」
目を開けると、知らない天井があった。
土壁を削り、鉄格子をはめただけの簡易的な窓から差す朝日が今が朝だということを告げている。
暖かくなってきたとは言え、流石に茣蓙と煎餅布団で寝るのはちょっと寒かったな。
視界に映る剥き出しの土壁と鉄格子が昨日の出来事が夢じゃないことを告げてくる。
それだけじゃない。
「…たぁっ」
ふみえ様とうみか様から打たれた両頬がまだ痛い。
結論から言うと「断所ん。」を見つけて教えられていた避難所に向かった私はふみえ様からは平手打ちを、うみか様からは鉄拳を頂き、筆頭令違反と独断専行の咎で三日間の懲罰房入りを命じられた。
こればっかりは全面的に私が悪いから仕方ない。
「ごきげんよー。生きてるぅー?」
「ご機嫌よう。うみか様」
陰鬱な懲罰房に呑気な声が吹き込む。顔を上げるとご飯が乗った盆を持ったうみか様がいた。
あんまりにもいつも通りすぎて昨日殴られたことも夢だったんじゃないかと思えてくる。
「ほい朝飯。しっかり食べなー」
「ありがとうございます」
格子の穴から朝餉が入れられる。玄米ご飯と山菜の漬物、それにつくしのお味噌汁。
ありがたいくらいのご馳走だ。
「いただきます」
手を合わせ、心努の恵みを堪能する。しばらく食べ進めていると、格子の前に腰掛けたうみか様がぽつりと呟いた。
「謝らないからね」
「…?」
「断所ん。を見つけたのはお手柄だったと思う。けど、あんたは筆頭令を無視して心努を、あんた自身を危険に晒した。それだけは絶対に許さない」
「お気遣いありがとうございます。皆様には多大なご迷惑をおかけしました」
「だったらやるなっての」
そこで会話は途切れ、無言で食事が進む。
何か喋らないと間が保たない。何より思い出してしまう。
私の頬を張ったふみえ様の、今にも泣きそうな悲しげな顔を。
「ふみえ様は何方に?」
「あんたが見つけた断所ん。に行った。他の筆頭達と一緒にね」
「そうですか…」
ふみえ様だけで調べるというなら脱獄してでも付いていくつもりだったけど、りず達もいるなら絶対安全ね。
「罠かもしれないって思わなかったの?」
うみか様が不意にそんなことを聞いてきた。多分あの妖怪のことだろう。
「思いました」
「罠だったらどうする気だったわけ?」
「あれが敵で、やっぱり罠だったという情報が手に入るだけです」
仮にそうなっていたとしてもふみえ様やうみか様達が健在なら心努は問題なく回る。
独断専行して皆に迷惑をかけたことは申し訳なく思う。
けど、あの場であいつらの情報を得るには誘いに乗る以外方法はなかったとも思っている。
「…」
うみか様は言葉を返さず無言で俯いた。
私、何かまずいことを言ったかしら?
罵倒されていた方がましだと思うくらい重々しい沈黙の中、ただ一途に次の言葉を待つ。
それからほんのわずか、体感的には一年くらいが経った頃になってようやくうみか様が口を開いた。
「やちよって先輩の話、聞いたことある?」
「はぁ〜…」
わたしは今、筆頭の皆様と共に心努の寮地で見つかった断所ん。の調査に来ている…んですが
「うぅ…。どうして叩いちゃったんだろ…?」
昨夜のあれやこれやに自問自答しています。
筆頭として真面目に調査しなきゃいけないのは分かってる。けど、振り払おうとすればするほど考えてしまうのが人の性。
筆頭としてはあれで正解だったと思っている。
手柄を立てたとは言え、しょうこちゃんが筆頭令を無視して独断専行したのは事実。
その咎として懲罰房に入れるのは当然のこと。
でも、問題はその前に平手打ちをしてしまったこと。
その後うみか様がしょうこちゃんに鉄拳を叩き込んで有耶無耶になったけど、守るべき生徒に暴力を振るうなんて筆頭としてあるまじき失態だ。
わたしはわたしが思う以上に激情に駆られやすい人間なんだと思い知らされた瞬間だった。
わたしを悩ませるのはそれだけじゃない。
今朝の夢もそうだ。
「よりによってなんでしょうこちゃんが…!」
子供の頃のわたしの前に現れたしょうこちゃんはあの頃のわたしが誰からも貰えなかった言葉をくれた。
ずっと傍にいると優しく抱きしめてくれた。
一昨日の夢もそうだったけど、やっぱりわたし達の夢って繋がってるんじゃ…?
「…」
「りずちゃん」
考え事をしているのを察したのか、りずちゃんがわたしに抱きついてきた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「…」
髪を梳くように撫でると気持ちよさそうに目を細める。
ネコちゃんみたいでかわいいなぁ。
深淵を這う者 弐
https://kakuyomu.jp/works/16818093087091573734/episodes/16818093088709770869
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