術師とめぐる世界~魔物討伐より生産職をやりたい~

夏野小夏

錬金術は失敗から

 フラスコの中で深紅の液体が不気味に泡立ち音を立てている。額にもじっとりと汗が滲み、息を詰めて魔力のコントロールに集中する。ほんの少しでも乱れればこの数時間かけて調合してきた全てが無駄になる。


(よし、あと少し……)


 僕は慎重に魔力を調整しながら、薬草の抽出液を一滴ずつフラスコに滴下していく。目指すは冒険者向けの新しいスタミナ回復ポーション。少しだけいい素材を使ってより効果が高く、持続時間も長い従来品を超えるポーションを開発しようと試行錯誤を繰り返している。


 今回のレシピは師匠であるエスメラルダの錬金術書に記された技術を参考に、僕が独自に考案したもの。ベースとなるのは「エナジーフラワー」だ。その鮮やかなオレンジ色の花弁には、生命力を活性化させる強力な魔力が秘められている。そこに「スパークバード」の羽根を粉末にして加えることで、持久力と集中力を高める効果を期待した。


 問題は2つの素材の魔力が時に反発し合い、不安定になることだ。師匠は「エナジーフラワー」と「スパークバード」の組み合わせは扱いが難しく、経験を積んだ錬金術師でなければ成功させるのは難しいと言っていた。それでも僕は諦めきれなかった。なにより挑戦しなければ上手にならないのだ。


(絶対に成功させてみせる!)


 僕は師匠から教わった調合技術を思い出しながら、慎重に作業を進める。素材の比率、加熱時間、魔力の注入量、そして精神集中。あらゆる要素がポーションの成否に影響する。

 フラスコ内の液体が徐々に輝きを増し、オレンジ色から鮮やかな金色へと変化していく。成功の兆候だ。胸の鼓動が早くなる。


(このまま……)


しかし次の瞬間、フラスコから黒い煙が噴き出した。


「うわっ!」


 僕は咄嗟に顔を背け咳き込む。調合台の上は黒い煙で覆われ、焦げ臭い匂いが充満する。失敗だ。


「ダメかぁ」


 がっくりと肩を落とす。一体何が悪かったのか? 素材の比率? 魔力の注入量? それとも精神集中が足りなかったのか?


「師匠がいたらどこが悪かったか指摘してもらえたかもしれないのになあ」


 そう呟いて小さくため息をつく。

 師匠であるエスメラルダは数ヶ月前に、研究のため遠い地へ旅立った。ここ1年ぐらいは店は僕に任せて、たまにふらっと帰ってきてアイテムのストックや、師匠じゃないと対応出来ない依頼を片付けてまた出かけることを続けている。手紙は頻繁に送ってくれるし、店を任せてくれるのは認めてくれたようで嬉しいんだけど、気軽に聞けなくなるのが残念だ。


 黒い煙が晴れていく調合台を眺めながら、昔のことを思い出していた。

 何を隠そう、僕は転生者なのだ。まあ正直以前のことはぼんやりとしか覚えていないんだけど。結構若くして重い病気になって、それで気が付いたらって感じだ。それで次はのんびり好きなことして暮らしたいなあ、なんて思っていたらこの中世っぽいファンタジーな世界に生まれ変わっていた。

 そのことを思い出したのも何年か前だし、今は両親、師匠、友人にも恵まれて、運よく錬金術やルーン魔術の才能があり、両親と両親の親友の師匠から許しを得て、13歳から4年ほど住み込みで仕事をしている。


 この工房、エスメラルダの工房は街のメインストリートから少し外れたところにある。看板も店構えもひっそりとしていて、基本的には常連客と紹介された客相手にしか商売をしていない。それと『オールドツリー』という雑貨屋にポーションを卸しているぐらい。質のいいアイテムを販売している自負はあるし、師匠の名前が知られているので、それでも十分にやっていけているのだ。


 地下1階が錬金術の工房、1階が店兼応接室、2階が僕や師匠の寝室等、生活スペースになっている。工房は最新の錬金術道具が揃えられていて、最高の環境と言っていい。換気システムも当然ちゃんとしている。毒物も扱うからね。師匠には順調に成長しているって言われているし、このままゆくゆくは自分の工房を持つことが僕の夢だ。


 そんなことを考えていると、工房の入り口に設置された魔法感知のチャイムが「チリン」と優しい音を鳴らした。


 階段を上がっていると、来訪者はカイだった。


「なんだ、カイかあ。何の用?」


 ドアを開けて入ってきた彼は、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべていた。カイは長身の男性でこの街の衛兵だ。エルデリアン連邦軍の制服を着崩し、碧眼をキラキラと輝かせている。黙っていればそこそこ見られる見た目だと思うけど、この男、酒とギャンブルにお金をいつも使っている典型的なダメ人間なのだ。順調に「出世払い」も積みあがっている。


(とはいえなんだかんだで友人が続いている腐れ縁なんだよね……)


「よお! 別に用ってわけじゃないんだが今日は非番なんで寄っただけだ」


やっぱり。


「本当に非番? さっきまでパトロールしてたとか言いそうだけど。たまには商品を買っていってくれよ」


「今日は金欠なんだ。すまないがまた今度で……」


 毎回同じことを言っていて、もはや挨拶みたいなものだ。この調子だと工房がなくなるまでカイのツケは払い終わらないと思う。


「……はあ、しょうがないな。ハーブティーとケーキを出すから大人しく飲んでいって」


「お、いいのか? 悪いな」


 悪いと思ってるならお金を少しは節約したほうがいいのに。そう思いながらも僕は店の奥にあるキッチンへ向かう。どうせまた酒を飲んだんだろうし体にいいハーブティーを淹れてあげよう。


 ケーキはエメラルドグリーンの森で採れる「フェアリーベリー」を使ったタルトだ。妖精のいたずらで紫色に染まったと言われるこのベリーは、甘酸っぱく爽やかな香りが特徴。サクサクのタルト生地との相性も抜群でリフレッシュ効果もあって体によくとっても美味しい。お菓子や料理を作るのは趣味なんだ。


 キッチンから戻るとカイはソファに座って、店内をキョロキョロと見回していた。


「いい匂いだな。今日は何のハーブティーだ?」


「二日酔いに効くブレンド。君にぴったりだろ?」


「ぐっ、図星だな。昨日はちょっと飲みすぎちまって」


「まったく。少しは体に気を使わないとダメだろ」


 僕は呆れながらカイの前にハーブティーとタルトを置いた。湯気とともに立ち上るハーブの香りは心身のリラックスをもたらす。


カイはタルトを一切れ口に運ぶ。

「お、いいなこれ! この甘酸っぱさとサクサクの生地はいいな」


「気に入ってくれてよかった。で、少しは最近の出来事でも教えて元を取らせてくれ」


 衛兵をしているだけあって街の話にはそれなりに精通している。役に立つ情報も教えてくれるので、仕方なくもてなしているのだ。


「そうだな……最近魔物が活発化しているのは当然知ってるだろ?」


「数年前からだけど、ここのところは前より多くなっている気がするね」


「そうなんだ。で、お前もたまに行ってるらしいけどウィスプマーシュ。あの湿地帯はもともと魔物の発生が多くて定期的に冒険者が討伐して間引いているけど、この前ヴェノムフロッグの変異種がいたらしいんだよな。それならまだ冒険者数人で対処できるだろうけど、そこにいたのが新種の変異種だった。通常より二回りは大きくて緑色や紫色を帯びた皮膚に膿疱のようなものがあったって話だ。増殖スピードも速くて明らかにヤバそうだったから、冒険者協会に依頼して5人以上で遠距離から仕留めたらしい。お前も気を付けろよ?」


 ヴェノムフロッグは毒を吐く、大きいものだと50cm近い大きなカエルだ。解毒剤など対策を行っていないと結構危ない。うーん、変異種と遭遇したら逃げたほうがいいかな? 素材はちょっと気になるけど。


「ありがとう。あのあたりに行くときはアイリスやブレイブ、セシリアにお願いしてるから大丈夫だと思うけど、十分に注意しておくよ」


「まあそのあたりが護衛についてるなら大丈夫か。ただ新種って事だからな。今後他にも別の種類が出てくるかも知れないな」


素材採取に行くのも一苦労だ。


「あと、それと微妙に関連するんだがな。昨日も『預言の鎖』の信者が中央広場で不安をあおる演説をしてるやつがいたから連行して説教した。今まではただのカルト宗教だったのが、ここ数年で耳を傾ける人間が増えてきたのが気がかりだ」


 予言の鎖は本当かは知らないけど数百年前から続いていると言われているカルト教団だ。今まではごく一部の人間しか係わりがなかったけど、ここ数年で信者が増えてきているという話を聞いたことがある。


「そういえばこの前の祭りで歌ってた吟遊詩人、覚えてるか? 金髪で青い目の、結構イケメンなやつ」


吟遊詩人かあ。この前の祭りで何人か見かけたけど、金髪碧眼のイケメンとなると……確か歌が上手くて子供たちに人気だった人だ。


「うん、なんとなく覚えてる。何かあったの?」


「それがな、最近見かけないって噂になってるんだ。どこかの貴族に気に入られて屋敷に囲われたとか、魔物に襲われたとか色々言われてるが、真相は不明だな」


「吟遊詩人って色んな街を旅するから、たまたまクリスタルフォールを離れてるだけじゃない?」


「あいつの歌、結構好きだったからまた聞きたいんだけどな」


 そう言ってカイは少し残念そうに言った。意外な一面だ。でも確かに彼の歌は心に響くものがあった。僕もまた聞きたいと思っていた。


「そういえば今度新しくできたカフェに行こう。 結構面白いメニューがあるって噂だよ。もちろん、今回は割り勘で」


「あの店員の服が可愛いカフェか! ちょっと興味あるな。でも金欠で……」


「今回ばかりはツケは無しだからね。ちゃんとお金持ってきてよ」


「わかったわかった。じゃあまた今度な!」


 そう言ってカイは立ち上がり、軽く手を振って店を出て行った。少し抜けているところもあるけれど悪い人間じゃない。早くひとり前の衛兵になってほしいものだ。


 僕は空になったカップとタルト皿を片付けながら、カイが教えてくれた話を改めて考えてみる。魔物の活発化、行方不明の吟遊詩人、そして予言の鎖の暗躍。どれも何気ない出来事のようにも思えるが、もしかしたら何か大きな異変の前触れなのかもしれない。

 窓の外に広がる夕焼け空を見上げると、燃えるような赤色に染まっていた。

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